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川辺の祭  作者: nats_show
寄来
53/84

m07-3

 北の町に生まれた。近くに海がある高台で、狭くて曲りくねった道が、ボロボロのアスファルトで舗装されていた。

 田舎なのか都会なのかといわれれば、きっと田舎だ。家の周りだけ写真を撮れば、鄙びた景色だと誰もが言うだろう。しかし都市の中心までは自転車で行ける距離。自分の感覚では、ここはそんな中心街とつながっている。

 とにかく、そんな町に生まれた。

 特別に、ここが好きだったわけじゃない。それはまさしく空気だった。吸ったり吐いたりする対象はなければ困るだろうが、あったからといって特に嬉しくはない。そういうものだ。


 友だちはいた。一人は家が近かったから、よく遊びに行った。ゲームもした。けれど自分の家にはあまり来てくれなかった。父親がゲーム機を買ってくれない上に、部屋には堅い本ばかり並んでいるから、きっと来たって面白くなかったのだろう。

 だけど一番の理由は、父親に会うのが嫌だったから。せっかく家に呼んでも、たまに聞こえるのは怒鳴り声だ。嫌がられて当然だった。


 父親は、昔は学者を目指していたらしい。

 …らしいなんて口にしたら怒鳴られる。口癖は、在野の学者。何を研究する学者なのかはよく判らない。一度も詳しい説明は聞いたことがない。きっと、子供だから判らないということなのだと思う。

 だけど自分も、父親が書いたものを読んでみたいとは思わなかった。

 どうせ誰かの悪口ばかりに違いない。酒を飲んでは口に出すから、音だけは知っている学者の名前が、漢字で書けるようにはなるだろうけれど、もちろん自分にはどうでもいいことだ。


 引っ越しの少し前、東京から学者の人がやって来たことがある。父親の同級生で、やはり名前だけは聞いたことのある人だった。

 この町の大学で学会があったとかで、夜九時ぐらいにやって来た。その時の父親はびっくりするほどの笑顔。自分も興味はあったけれど、残念ながら一言挨拶しただけで寝なければならなかった。小学生は早寝するものだからだ。

 母に聞いた話では、随分遅くまで酒を飲んでいたらしい。とにかく上機嫌で、翌朝――日曜日――その学者が別れを告げる時は、眠そうだけどやっぱり喜んでいた。また来てくれと、何度も言っていた。

 それなのに、帰った途端に父親は愚痴り始めた。あいつはバカだ、何も判ってないと大声でわめいて、そのまま寝てしまう。夜になっても、その人の悪口ばかりだ。

 腹が立った。そんなに言いたいなら、なんで昨日の夜に言わなかったのだろう。だいたい、そんなに嫌な人に、どうしてまた来てほしいなんて口にするのだろう。もう二度と研究とか学者の話は聞きたくない、そう思った。



 そんな自分でも、友だちよりは本を読む子だった。本棚には小難しい本が多いから、その中で読みやすそうなものだけ選んで読んだ。

 一番好きな本は、神話が書かれたものだった。今にして思えば、それはたぶん父親の研究とは関係なかったはずだ。西洋のいろいろな神の物語は、小学生でも読めた。よく判らないことも多いけれど、面白かった。

 学校で配られた町の歴史の本も、神話を読んでからは面白く思えた。西洋の神話に比べると、町の歴史は些細なことばかりだから、そんなことはどうでもいいと最初は馬鹿にしていた。だけど、些細かどうかなんて自分にとっては意味のない区別だ。そんなことを頭で考えるよりも先に、読みふけってしまう自分がいた。


 ある日、鬼の話を読んだら、それは家の近くの神社が舞台になっていた。ちょうど夏休みだったので、自由研究をこの話でやることに決めて、さっそく神社を探検してみたけれど、何も出て来ない。無人だから誰かに聞くわけにもいかない。困った末に、恐る恐る父親に聞いてみた。きっと怒鳴られるだろうと思ったが、意外にもいろいろ教えてくれた。

 …父親は、その鬼の話を知らなかった。

 元々、この家は母の実家だった。父親が生まれたのは同じ県だけど、もっと山の方に入ったところにある。だから余計、聞いていいのか迷ったけれど、父親はわざわざ一緒に県立図書館まで車で連れていってくれた。そして難しそうな市史を探して、これを読めと言った。

 その時はとにかく興奮していた。

 父親が優しくしてくれたのも嬉しかったし、初めて入った県立図書館は、沢山の本に囲まれたすごい場所だった。小学校の図書館なんて比較にならない本の数なのだ。

 市史を読んで、さらに興奮した。学校で読む本とは違って、そこには素っ気なく鬼の話も載っている。挿し絵はなくて、代わりに神社の白黒写真と地図がある。そして、独特の匂いがする。それは大人の本という感じがした。学校の本が急に安っぽく見えた。

 自由研究は自信作になった。担任にも褒められたし、父親も喜んでくれた。



 引っ越しは突然決まった。父の仕事の都合だったから、心の準備なんてものは何も出来ないまま、慌てて部屋を片付けただけだ。ただそれでも、小学校の卒業式はぎりぎり出席出来た。途中で転校するよりはずっとましだった。

 引っ越し先は南の町。と言っても隣の県だから、それほど遠い所ではない。町は小さいけれど、同じ日本海側で、雰囲気はそれほど変わらないような気がした。

 だけど知り合いはいない。すぐに四月になって、新しい中学校に通わなければならないのが憂鬱だった。どうしようもなく気が重かった。

 そして入学式。初めて会った新しい同級生たちは、みんな親切だった。前の町のことなどを、あれこれ質問されて、自分が答えていく。そういえば、転校生が来るたびに同じ光景を見てきたような気がする。質問されるのが自分という点だけが奇妙に思えた。


 新しい家も中学校も、どちらかといえば新興住宅地にあった。

 学区の中には古い市街も含まれているけれど、自分と同じように転校して来たと話す同級生も何人かいた。同じ市の中で転校したり、ずっと遠かったりバラバラだったけれど、そういう相手にはわりと気安く話し掛けることが出来た。

 それに対して、昔から住んでいる人間には、なんとなく劣等感を覚える。気のせいかも知れないが、自分は余所者として排除されているように思えた。

 だけど、そういう状況はやがて変わっていく。いや、変わらざるを得なかった。


 先に変わったのは父親だ。…違う。最初からそうだった。

 引っ越してすぐ、自分は母と一緒に近所を挨拶して周ったのに、父親は家を出ようとしなかった。その後も、仕事で出掛けて帰る以外はどこにも行かず、ただ部屋にこもっていた。

 元々そんなに外出はしなかったから、研究でもしているのか、とも最初は思った。けれどそれにしては、いつも同じ歌ばかり聞こえた。以前から聴いていたのか知らないけれど、暗い感じの歌を突然聴き始めた父親には、母も困惑していた。

 そして半月ほど経ったある日。新しい友だちを自分の家に呼びたいと父親に言ったら、怒鳴りつけられた。何を言ってもきかない。母も助けてくれたけれど、頑として父親は頷かなかった。

 その時、一つだけ気づいたことがある。頑として、と言ったけれど、怒りが和らいだ瞬間はあった。それは友だちが、小学生の時に隣の県――自分たちと同じ県だ――から引っ越して来たという話題の時だった。そして父の部屋を出た後、母が教えてくれたこと。最近聴きっぱなしのあの歌は、父の地元出身の人の曲なのだという。


 訳が判らなかった。

 つまらない歌。それも、こことも前の家とも関係のない都会のことしか歌っていなかった。何度聴いたとしても、自分には何も感じるものなんてない。そんな歌でも、ただ地元出身というだけで聴きたくなってしまうのだろうか。

 どうしたらいいのだろう。

 もちろん、父親には腹が立った。前の家は確かに好きだったし、あの町で不自由を感じたことはないけれど、この町が悪いというわけではない。だいたい引っ越しは父親の都合だし、いくら落ち込んだって帰れるわけでもない。無意味だ。

 …ばかばかしい。自分はこの町の人間になってやる。そう思った。



 この町の人間になる。それはいったいどういうことだろう。しばらく悩んだ自分が思い出したのは、結局あの鬼の話だった。この町にもきっと、何か昔話があるに違いない。そうやって町のことを知っていけば、余所者とは呼ばれなくなりそうな気がする。

 友だちに聞いてみたら、小学校で使ったという本を貸してくれた。自分が読んでいた本と似たようなものだった。

 だけど、貸してはくれたけれど周囲の反応はいまいちだ。郷土の偉人と書かれていた人のことを聞いても、名前ぐらいしか知らないし、全然興味がなさそうだった。考えてみたら、鬼のことを調べた時も同級生の反応は鈍かった。こんな話ばかりだと、新しい友だちに嫌われてしまうのではないかと思った。


 六月ごろ、図書室で本を探していたら「そんな本読んで面白いのか」と、男子生徒にいきなり話し掛けられた。あまりにストレートな質問に困って、仕方なくそうだと答えたら、ふーんと気のない返事。なんなんだと思ったが、その後もたびたび図書室で見かけた。とりあえず本が好きな奴らしかった。

 お互い、それほど興味が湧かなかったが、学校の図書室は狭いから嫌でも顔を合わせる。そのうちそいつは少しずつ、自分の知っている昔話を教えてくれるようになった。ぼそぼそとつぶやく内容は、クラスの友だちよりはずっと詳しかった。


 夏の暑い日に、そいつと自転車で神社に行った。相変らずつまらなそうな顔で、こんなことが面白いのかと言いながら道案内をするそいつが、次第に面白い奴に思えてくる。

 こんな奴は、前の友だちにもいない。変わった奴だと思わず口にしたら、お前の方が変わっていると返された。まるで納得いかないが、思わず笑ってしまった。

 それからは毎日のように、そいつがいる隣のクラスに顔を出した。ほかの友だちと違って、必ず不機嫌な表情だったが、別に怒ってはいないから気にはならない。だいいち、自分も負けないぐらい愛想が悪かった。黙っているだけなのに、怒っているのかと誤解されたことだってあるのだ。

 夏休み、そいつの家に初めて電話をかけた。用件は、図書館へ行こうというものだ。電話先でも相変わらず不愛想な奴だったが、それでも待ち合わせ場所と時間をすぐに指定してくる。なかなか手際が良かった。


 待ち合わせは市内の寂れた橋だった。なぜこんな判りにくい場所なのかと思ったが、実はこれが古い街道だったという。そこから図書館まで、ゆっくりと自転車を走らせながら、そいつは説明し続けた。

 びっくりするほど、町のことを知っている。自分が前の町で同じことをやれと言われても、絶対に出来そうにない。素直にすごい奴だと口にした。そうしたら、急にそいつは不機嫌になってしまう。何故なのかよく判らなかったが、その時は不愛想ではなく本当に機嫌が悪かった。

 それでも図書館に着いた頃には元の不愛想に戻っていたから、とにかく中を案内してもらった。もっとも、案内と言ったけど、そいつ自身もここに入るのは二度目だという。家からはあまり近くない場所だし、ぞれ以前に中学生には縁がないとそいつは言った。確かにその通りだ。

 郷土史のコーナーはじっくりまわった。借りたい本も沢山あったけれど、次はいつ行けるか判らないから、借りるわけにもいかない。仕方ないからコピーを取ろうとしたら、そいつはコピー機の使い方を知らないとつぶやく。今度は自分が手本を見せた。初めて自分が役に立ったと思った。



 なぜかは知らないが、自分は女子に人気があるらしい。友だちが最初にそう言った時は、もちろん信じていなかった。まだ余所者だから嫌われていると、漠然と思っていたからだ。

 だから突然ラブレターをもらった時は、正直困ってしまった。

 何かの間違いだと思いたかったが、はっきり自分の名が書いてある。困り果てて隣のクラスに行って相談したら、そいつは呆れた顔で一言、その気がないなら断れとだけつぶやいた。その言葉にほっとした自分は、さっそく放課後に断ることに決めた。

 相手の女子は初めて見る顔。自分は緊張でガチガチだったから、機械的に一言「その気がない」と告げてしまった。そうしたら、ほかに好きな人がいるのかと聞いてきた。予想外の反応だった。しばらく悩んだ末に、ようやく口にした言葉は「女子と話すこともないから判らない」。それでもなぜか、相手は納得したように見えた。

 実際に、女子の友だちはいなかったから嘘ではない。一ヶ月後に別の女子から聞かれた時も、同じ返答で逃げた。口にしながら、なんとなく恥ずかしいとは思ったけれど、小学校の頃から女子と話す機会がなかったから、今さらどう接していいのか見当もつかなかった。

 だけど周りの反応は違っていたのかもしれない。隣のクラスに毎日行くのは、好きな女子がいるからじゃないかと、男の友だちに聞かれた時はびっくりした。周囲の視線が急に怖くなった。

 そして、逃げる先はやはり一つしかなかった。

 隣のクラスのそいつだけは、自分がまるで女子に興味がないことも、話すのが怖いことも見抜いていたから、助かった。俺も同じく興味がないし、お前と違ってもてない、と笑うそいつだけが頼りだった。



 二年生になると、そいつと同じクラスになったから、いつも一緒にいた。相変わらず不愛想だったが、女子に話しかけられて困った時にも割り込んで助けてくれた。

 ほかの友だちからは、まるでマネージャーのようだと言われた。そう言われると、迷惑をかけているという実感が湧いてくる。だから無理はしないでくれと頼んだけれど、そいつは聞かなかった。逆に、お前が頼りないのをどうにかしろと怒られた。それはそれで正論なので反論出来ず、かといって実際にどうにかすることも出来なかった。


 その関係が変わり始めたのはいつだったのだろう。

 父親と話す機会もなくなって、相変わらず女子とも縁がなくて、本当に日々のすべてをそいつに依存していることに、ある日気づいた。

 気づくとそれは途端に恐怖になる。そいつは自分と比べて、何もかも上に思えた。学校の成績は同じ程度だと思っていたけれど、次第に差を付けられているような気がする。女子が苦手なのも同じだったのに、たまに自然に話しかけられている光景を見てしまうと、焦らずにはいられない。

 身近にいて、だけど絶対に追いつけない存在。幼い頃のそれは父親だった。



 中学三年になってすぐのある日、何故か一人の女子をそいつに紹介された。

 その女子生徒は、自分も名前なら知っているし、見覚えもある同級生。クラスは違うけれど、友だちの中にも話したことがあるという奴が何人もいた。

 だけど、なぜこうやって紹介されるのか判らない。だいたい、いつの間に二人は知り合いになっていたのだろう。自分の頭は混乱してしまった。


 翌日、そいつを問いただそうとしたけれど、あっさりと遮られて代わりに一言、相手に気を使う必要はないから自分で決めろ、と告げられた。その言葉で初めて、紹介された意味を知った。

 自分は女子とは意識的に関わらないようになっていたから、そいつを介して紹介されることは驚くことではなかったと、今なら言える。だけどこれまでは、そいつも女子を知らなかったから、せいぜい名前を聞かされて、聞いたこともないと答える程度だった。わざわざ対面することはあり得なかった。

 だからその女子は、そいつの友だちなのだと思った。


 数日経った放課後に、三階水飲み場で待っていろと告げられた。仕方なく行ってみると、例の女子がいたのだ。予想はしていたが、やはり混乱する自分。どう答えていいか判らなくて、ただわざわざこうやって紹介された相手だから…という言い訳が頭に浮かんだ。

 それは失礼なことだったと、今は反省している。

 もちろん、だからといって紹介したそいつを恨むわけでもない。自分が悪いのだ。今さらのように絶望感に襲われたその日、彼女という存在が出来た。


 そんなどん底の一日から、自分は変わっていきたいと願った。

 女子と毎日話すのは、きっとその一歩。最初は戸惑ったけれど、彼女とはやがて目をそらさずに話せるようになった。かなりの進歩に違いなかった。

 だけど本当は、まだ足りないものがある。彼女にただ気をつかわせるだけで、変わってなどいけるだろうか。自分は何もしていない。頼る相手が変わっただけだ。

 絶望は却って深まっていく。それなのに、自分はこの関係を断つことすら出来ない。なんて自分勝手な男だろう。



 ―――――希望の光はどこにある。



 かすかな予感は、直後からあった。

 それまでの自分とは違うものが芽生えて、広がって行く。あり得ないはずのもの。どうなってしまうのか判らない、恐ろしいもの。だからいつも自分は逃げ出す準備ばかり繰り返す。

 もしかしたら、絶望の淵から見える一筋の光明とはそういうものなのかも知れない。光明を見て、まずは逃げ出さないこと。それから何をしよう。


 ……誰かに聞いてみようか。

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