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川辺の祭  作者: nats_show
寄来
44/84

m07-1


 朝六時、起床。

 今までより一時間以上早くなっちまった。あーあ。


春火鉢 俺は蒲団で 朝寝してぇ



 高校ってやつに入学した。

 ま、俺にとっては別に行く必要のない場所だと思ったが、しょうがなく入ってやった。当時はそう語っていた。まったく青くせぇ話だ。

 当時は……、というのも汚ねぇよな。どうしても防衛本能が働いてしまう。

 俺の実家は、簡単に説明すれば農家だ。それも、今時珍しい専業農家。進学しなければ自動的に俺の職業も決まっていくって寸法だから、必死だった。やりたくもねぇ受験勉強だって、そのためなら苦にならなかったぐれぇに、だ。

 こういうのを本末転倒って言うんかも知れねぇな。そんな気がするだろ?


虫売も 受験受験と 鳴き騒く



 入試の結果が張り出されて、実際に入学するまでの二十日ほど、俺は燃え尽きていた。まるでそれが人生のすべてであったかのような充実感と喪失感。冷静に考えてみりゃあ、そんなものは僅か三年の猶予を得たに過ぎねぇ。だが当時の俺には、どんな当たり前のこことだって判るわけなかった。

 そうだ。これは当時だ。

 所詮、その辺に転がってるガキでしかねぇ俺には、目先の時間しか追えねぇんだ。三年先などどこにもありゃしねぇ、一週間後の次は永遠だ。勝ち取った永遠の自由。その響きに俺は浸っていた。森田健作なら、「これが青春だーーー」とかくだらねぇ台詞を吐きながら砂浜を走るかもしれねぇな。

 あいにく俺の家は山に囲まれていたから、せめて気分を出すなら近所の川に飛び込むぐれぇだ。もっとも、本気で飛び込んだら心臓止まるだろうがな。数日前に雪が降ったぐれぇだからな。


山深み 飛び込む川は 沢と言ふ



 自分で言うのもなんだが、俺はモテた。俺様が通ってた中学なんてロクな女がいねーから、その実力を発揮する機会もあまりねーもんだったけど、その数少ない女連中は、たいがい俺の虜ってヤツだった。

 虜っつーのも格好悪いか? つーか、古いか?

 まぁいい。とにかく俺はやりてぇ放題だった。ロクな女じゃねぇし、遠慮してやったがな。

 はっきり言っちまうと、俺は田舎の女が嫌ぇだ。カッペ臭ぇ顔でカッペ臭ぇ言葉をしゃべりやがる。しかもその癖、つまらねぇジャニタレの話題で盛り上がる。バカだ。カッペは所詮カッペなんだよ。

 ……そんな俺にとっての都会が、実は人口十万人の町でしかなかったことは秘密だぜ。

 東京なんて遠すぎる。あんなもんは、ニューヨークがどこにあるか知らねぇのと同じこった。今もニューヨークなんて町は知らねーがな。


大都会 果ては東京 ニューヨーク



 高校はその、近所の都会にあった。だからそこで教室にいる女も、とりあえずカッペ臭くねぇ連中のような気がした。まぁ、これも「当時は」、だな。

 俺はしょーがねぇから女をもらってやることにした。適当に目をつけて、声をかけてやった。あっさり成功したのは言うまでもねぇ。

 ……これもまぁ「当時は」だが。

 今考えてみりゃあ、あんなもん告白にもなってなかった。相手の女はきっと、「友達になれやワレェ」ぐれぇに受け取ったはずだ。

 まぁ俺もまだ本気を出してなかったってこった。クク。


 それから数日後。運命の出逢いってヤツがあった。ベートーベンだ! 裏返せば第九だ!!

 一目惚れってのは、こういうのを言うんだな。まぁ俺は惚れやすい男だから、何度も口にした台詞なんだが、これだけは本当だ。見た瞬間に世界が変わりやがった。

 そん時つきあってた奴は――まだ確か二日目だ――、まぁやっぱり三日前には一目惚れしたんだが、こう比べてみると相手にならねぇ。まさに月とスッポンってやつだ。しょーがねぇから、拝み倒して別れてやった。そのせいで悪い噂がたったとしても、仕方ねぇだろと開き直った。相手はただきょとんとしただけで、それっきりだったがな。

 まぁとにかく俺は惚れちまった。そんな女は初めてだ。

 翌日、さっそく好きだと言ってやった。俺はまどろっこしいのが嫌ぇだから、昼休みに廊下を歩いてんのをつかまえて、ガッと叫んでやった。「好きだ、俺とつき合え!」

 そしたらその女、顔色一つ変えずにこう返した。「断る!」

 断る?

 断る!?

 断るっ!?

 俺はショックで二日は寝込みそうだった。


海猫渡る どうしてお前は 断った



 しかし一目惚れした俺は強かったぜ。寝込む予定をキャンセルして、放課後もあとをつけると、女は旧校舎に向かったのだ。

 用もねぇ校舎に向かうとは胡散臭ぇ女だと思ったが、入った先はただの部室だった。

 ……部室? 俺はそこで初めて、部活というもんを思い出した。中学までは、まっとうな部活なんてもんを俺は体験したことがなかったのだ。

 何しろ絶対的な人数が少ねぇ。探検部を作ろうにも教師が協力しねぇし、だいいち一緒に探検してぇって奴も見つからねぇ。最悪だった。

 女が入った場所は、なんの部なのか判らねぇが薄汚ぇ場所だ。まぁしかし判らねぇにしろ俺は勢いよく扉を開け、高らかに叫んでやったのだ。「者ども! 俺は今から入部してやるぜ!」

 そうしたら中から返事があった。「けっこうだ! 敷居をまたぐなバカ!」

 俺は落ち込んだぜ。それこそ三日は寝込むぐらいに。


 しかしこんな程度でめげるような俺じゃねぇ。三日の予定を十分に短縮して、もう一度部室の扉を開けた。「者ども! 俺は今からっ、………今から入部させてください」

 敗北だった。俺はこんなにも惚れていたのだ。笑い声が響く中で俺はうなだれるほかなかった。


ああ部活 ああ小汚ねぇ 春の夕べ



 翌日。

 俺は朝から悶々としていた。

 気がつくと俺は、なぜか部員だった。それもあまり楽しそうじゃねぇ、なにやら本を読まされそうな部だったのだ。

 俺は探検がしてぇっ!!

 俺は藪をかき分けてぇっ!!

 何も人喰いな人々に逢いてぇわけじゃねぇが、藪を分け入って進む仲間がほしかっただけだ。そんなささやかな望みすら、ここでは叶わねぇのかっ!

 俺はひとしきり泣いた。


春炬燵 涙で濡らし 飯を食う



 だがしかし、俺には崇高な使命がある。あの女を跪かせることだっ!

 そのためには多少の齟齬は仕方ねぇと割り切ることにした。苦渋の決断だ。

 放課後、さわやかに俺は部室の扉を開ける。「お前ら、今日も来てやったぞ!」

 すると待ちわびた女の声だ。「やかましいっ!」

 俺は一瞬ためらい、こう言った。「ごめんなさい。すみません、どうか中へ入らせてください。お願いします」

 昨日以上の敗北だった。


 結局、それからの俺は女の下僕だった。

 同じ学年で、入ったばかりのはずなのにすでに部長のようだったその女は、部員募集期間が終わるころには部長を完全に隅に追いやっていた。とんでもねぇ物識りで、俺は自分の家のあたりのことすら勝てなかった。まさに完敗だ。

 もちろん見た目は最強だ。性格と同じくきつい目をしていやがるが、それでも次から次へと男が寄って来る。何人かは俺の真似をして入部しやがった。余計なのが増えて許せねぇと最初は思った。……が、あの女の前ではみんな下僕でしかなかった。

 俺は下僕筆頭だ。筆頭って響きは悪くねぇ。しかし全然嬉しくなかった。


桜狩 花に迷わぬ 下僕かな



 この女を必ず俺のものにしてやるっ!

 そう堅く心に誓いながらも、俺は機会を逸していた。夏になって、体育の授業でプールに入った時は、こっそり水着姿を覗きに行った。親父が読んでた週刊誌のグラビアが小学生に見えるほどいい体してやがったのに、俺のものには出来なかった。

 そのうち、俺は気づいた。この女は男に興味がないのだと。

 女はただ部活に没頭していた。俺には何が面白いのか理解出来ねぇものだったが、引きずられるようにあちこち出かけるようになった。

 それはちょっとだけ探検部に似ていた。だからまぁ、それでもいいような気もしたのだ。

 女はどこへ行っても雄弁だった。二年になると正式に部長になって、ますます活動は忙しくなる。たまに捕まると、三十分以上は確実に女から話を聞かされた。せっかく二人きりなんだからあれこれ妄想してやろうにも、勢いにのまれてしまう。完敗だ。手も足も出ねぇ完敗だったのだ。


日焼する 腕も気になる 長話



 そうして翻弄され続けた日々は、ある日突然途切れることになる。

 三年になって、もう引退も近い時期に女はこう言いやがった。「もう二度と話しかけるな」

 俺はそこで食い下がることも出来なかった。二年半の間に、そこまで俺はヘタレてしまった。それどころか、女の視線にさらされることに、もう耐えられなくて席を立った。

 扉を開け部室を出る時に俺は捨て台詞を吐いた。「好きだ! 俺とつき合えっ!!」

 最後の叫びに、背中から声がした。「死んでもつき合うものかバカっ!」




 それから年月が流れ、俺はあの女を忘れたり思い出したりした。

 あの女に惚れられたという自信はねぇ。いや、それどころか一瞬たりとも、俺は男として扱われた記憶すらねぇのだ。

 俺はモテる。それはきっと嘘じゃねぇと思う。卒業しても東京なんて行けるわけもねぇから、とりあえずここよりは人の多い場所で二年過ごしたが、何人かの女に声をかけられたし、面と向かって好きだと言われたこともあるぜ。全部断ったがな。

 俺の理想の女。

 思い浮かべると、結局あの女になってしまう。怒鳴り散らされ、下僕一号と呼ばれることすら、理想の一部になりかねねぇほどに。

 ……いつかあれ以上の女に逢えるのだろうか。

 それでも俺はすっかりあきらめていた。話しかけるなと遠ざけられて、素直に従ってしまいやがったヘタレだ。しかもその後、あの女には男がいたらしいと聞いて、そんな噂を受け入れてしまいやがったヘタレ野郎。

 所詮、そんなもんだ。あきらめるしかねぇんだ。



 戻って来た人口十万人の町は、田舎になっていた。中心街はカッペどころかそもそも人がいねぇし、国道沿いの店に行っても、そこにいる連中は色あせていた。

 俺は戻ったことを後悔していた。当面この町で職を得て、なんとか農家の跡継ぎを逃れた気になったとしても、ただ家の周囲が拡大しただけなら、きっといつか逃げ出すはずだ。暗黒の日々だ。もうおしまいだ。オフコースだ。


 だけど俺はまだ生きている。

 所詮俺なんて、死ぬだけの勇気すらありゃしねぇ小物。もう気づいていた。俺はあの女に逢ってしまっていたから。

 だが、この町に残ることへの一縷の望みなんてぇもんが、もしもあったとするなら、それはやはりあの女だ。俺が知っているあの女は、戻った今でもカッペではない。それどころか、この町の十倍の人がいた世界ですら、あの女ほどの都会はいなかった。

 俺はそんな女に惚れて、そしてそんな女の下僕だった。何の役にも立たねぇはずのつまらない記憶が、俺を生かしていた。


 そうして再び、時は動き出しやがるらしい。俺という存在は、何も変わりはしないだろうが。

 ……所詮、下僕は下僕でしかないのだろうが。


雨休み 旱の島も 一休み

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