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川辺の祭  作者: nats_show
底流
4/84

水の衢

「ヒロピーよぉ」

「………」

「ヒーロピッ」

「…なぐるぞ」


 昼休み。勝彦は早速呼び名を頂戴したようだ。最悪だ。


「弁当タイムだぜ、ヒロピー」

「しつこい」

「ハックンのほうが良かったか?」

「なぜ二者択一なんだ」

「ふふふ」


 なぜ、俺の後ろにクラス一やかましい男がいるければならないのだ。

 だいたい、息苦しい午前の授業が終わり、今は一日で唯一の憩いの時間なのだ。ゆったり落ちついた気分で、優雅に昼飯ぐらい食したいと思うのが人情ではないか。

 それがどうだ。毎日のように方々から妨害を受けている。こんな不幸なことが世の中にあるだろうか。


「で」

「は?」


 と、不意をついて隣の机がくっついた。見れば――見たくもないが、千聡である。

 そうだ。方々というのはそういう意味だ。


「飯食うか、ヒロピー」

「嫌だ」


 条件反射の返答。

 勝彦がクラスで一番なら、こいつは学校で一番騒々しい女なのだ。なぜ俺の周りにはこうも厄介な連中ばかり集まるのだろう。


「遠慮するな」

「そうだそうだ、掃き溜めにもドクダミの花ってやつだ」

「勝ピーっ!」


 千聡の得意技、必殺のローキックが炸裂する。幸い被害者は勝彦だからどうでもいいが。

 ま、他人事である限りそれなりに面白いといえなくもない…が、出来れば永遠に他人事であってほしいものだ。

 …?

 おかしい。今勝彦は歓迎してたような気がするぞ。


「どっこいしょ」

「ババァめ」


 無駄口の勝彦にさらに一発かます、余裕の千聡。

 …って、解説してどうする。


「やっぱりお昼は楽しく和気あいあいと過さないと」

「あーそうか」

「ヒロピーと勝ピー、我ながら」

「ワンパターン」


 勝彦はまた蹴られている。どつき漫才だってもう少し手加減すると思うが、ここは漫才の文化圏ではないから仕方ない。いや、仕方ないのか?

 う。どうでもいいことで悩むのはやめよう。

 とりあえず、どうせ抗っても勝てそうにないだろう…ということで、さっさと飯を食う戦術をとることにする。食べ終わったら合法的にバイバイすればいいのだ。


「で、ピロピロ」

「………」


 しかし、そうは問屋がおろさなかったようだ。


「返事は!?」

「誰に言ってんだ」


 たとえ判りきっていても、承服しがたい呼び名には断固たる態度をとらねばなるまい。


「…じゃあツル男」

「う…」

「ツルヲツルヲ」


 調子にのってはやす馬鹿を見ていると、本当にこいつは高校生なのか不安になる。

 仕方ないな。とりあえず千聡の例にならって、控えめに蹴っておく。頼むから立派な大人に成長してくれ。

 …別に立派な大人はいらないか。人並みで結構だ。


「俺は不幸だ…」

「あーそうか」

「で、ツル男」


 千聡がぐっと身を乗り出して来る。どうやら話題をそらそうという、俺の高等な戦略に気付いたようだ。

 まぁ気付くだろうな。高等でもなんでもないし。


「…何かね」

「ツルって誰?」


 なんて単刀直入な質問なんだ!

 思わず感動した。ドラえもんなら「ジーン」って感じに。

 もちろん、俺は当たり前のように返答に困る。しかし千聡も勝彦も、ただじっとこちらを見つめているだけだ。

 お前らも感動しろ、といいたいところだが、どうやら気が乗らないらしい。というか、最初からそういうつもりで俺を囲んでいたわけだ。

 さぁて。


「…昔おじいさんとおばあさんが」

「へぇ」

「山で傷ついた鶴を見つけてだな」

「ふーん」

「かわいそうだと思った二人は」

「うんうん」


 かわいそうなのは俺だ。

 どうもこの二人が相手では分が悪い。かといって、本当のことをしゃべってもどうなるわけでもなかろう。

 …だいたい俺は、本当のことを知らない。


「…そんなに聞きたいか?」

「おう!」


 勢いよく返事した勝彦を、千聡がまたもや蹴り上げる。


「何か悪いことしたか~?」

「この馬鹿ピー」


 そして彼女は急に俺を睨みつける。ちょっとだけ怖い。


「こちとら遊んでる暇はねーんだ」

「さ、左様か…」


 なんで江戸っ子言葉なのか理解に苦しむところだが、千聡の目線はやっぱり怖い。


「ごまかしてどうにかなる?」

「…いや」

「あんた、笑い話で済むと思ってんの? この暴言男!」

「………すまん」

「…………」


 まぁそうだ。

 小川悦子の身になってみれば、別人の名で呼ばれたうえにいわれなき罵倒だ。そしてその光景は、ほぼクラスの全員に見られてしまっている。

 笑って済ませられる話ではない。彼女だけではなく、恐らくクラス中の女子を敵にまわしてしまっただろう。

 はぁ…。

 正直、自分のことで頭がいっぱいだったから、そこまで考えが及ばなかったのだ。

 ピンチだ…。


「…ふぅ」


 とりあえず、彼女には謝るしかない。が、今朝の仕打ちを考えれば、直接謝るのはハードルが高そうだ。

 少なくとも、俺が逆の立場なら、謝罪を受け付ける気にもなるまい。

 ………。

 千聡が間に立ってくれるなら、実際助かるのも確かだ。


「笑うなよ」

「笑わせられるもんなら笑わせてみなって」


 自信たっぷりに言いやがる。しかもまだ江戸っ子だ。

 まあいい。やっぱり気乗りはしなかったが、今さら隠しても、事態が好転することはない。とりあえず知ってるだけのことは話してみよう。


「…で?」

「終わり」

「何それ」

「俺に聞くな」


 そして、予想通りの反応。当たり前のように、困ったという表情。

 まぁそれでも、笑われるよりマシか。


「ツルさんか…」

「恩返しって話じゃねーな」


 そう言って思いっきり椅子を傾けた勝彦。

 早くも思考を放棄したようだ。まぁ最初からこいつには期待していない。


「クツバミゴロウに憶えは?」

「ない。全くない」


 千聡は腕組みして、いかにも考えているポーズ。きっと、ポーズだけだと思うけど。


「…ヒロカズだもんね~」

「ヒロピーじゃねぇな」

「なんか言った?」

「いんや」


 とりあえず今は牽制している場合じゃなかろう。かといって問題そのものは、千聡にどうにかなるものでもないし、悩まれたところで互いに時間を無駄にするだけのような気がする。

 しかし、五郎。古くさい名前だ。口にしながら、気恥ずかしい。今時そうそうあるもんじゃない。

 ましてクツバミなんて名字は聞いたこともない。俺にはいくら考えてもお手上げだ。


「あ」


 妙なリアクションの千聡。どうも何か思いついたようだ。

 少々嫌な予感もするが、おそるおそる聞いてみるか。


「どうした?」

「…小さい頃、御三家とか呼ばれてた?」

「なんだそりゃ」

「お、知ってるぞそれ」


 寝ていたはずの勝彦が身を乗り出す。密かに聞き耳を立てていたらしいが、ヤツが知ってるというのは危険だ。


「いいか、舟木一夫…、いてっ!」


 すかさず激しいツッコミ。格闘技風にいえば、目にも見えないほどの早さでローキックが飛ぶ。

 嘘だ。見える程度だが、誰も見てなかっただけだ…じゃない。そんなことはどうでもいい。

 だいいち、勝彦はきっと飛んでくると判っている。判っちゃいるけどやめられない。バカだ…って、また戻ってるぞ。


「あんたは寝てろ!」

「間違ってねーだろー」


 うーむ。

 真面目な反応ばかりというのも怖いが、ここまでいつも通りのノリが続くと、それはそれで腹が立って来た。嗚呼俺は、こんなにもがき苦しんでいるのに。

 いかんいかん。こいつらにどんどん巻き込まれているぞ。出来れば俺は、クラスの騒音発信源における、残されたただ一つの良心でありたいのだ。

 はぁ。

 しかし、蹴ったら眠気が醒めるよな。

 代わりに気を失うかも知れないけどな。


「…で」

「ちさりんの言わんとするところはよく判った」


 またもや突然真顔になる千聡に、俺も普通に返す。勝彦を一人取り残して。


「ボケなくていいからね」

「勝ピーとはキャラが違う」

「そぉお?」

「…自信はないが、たぶん」

「へぇ」


 とにかく。

 早い話が野口五郎だろう。

 まぁ無理に幼少の記憶をひもといてみれば、「私鉄沿線」が得意だったとか、怪しい経験の一つや二つはあったかも知れない。

 そんな忘れ去られた過去が、不意に思い出された…なんてことは、正直言って万に一つもないような気がするが、これまでが何一つとっかかりなしという状況だから、前進と言えなくもない。

 相当に苦しい説明だな。まぁしかし、今はポジティブにいきたい。


「渋いな、ヒロピーのくせに」

「そういう問題か」


 もちろん名字の謎はまるで解けないし、それ以前に実は野口五郎の真似なんてしたことがないという、致命的欠陥もある。あんなオッサンの真似、するわけあるかって。


「要するに、おツルさんに聞かないと判らない、と」

「そういうことだ」


 千聡の結論が、俺と同じところに落ち着いたのには、正直ほっとした。

 俺もまだ、人並みの思考が出来るようだ。

 ………。

 なら、そのツルが小川悦子であると信じていることも人並みか?

 ……………。

 わりと勘がいい千聡でも、まさかそこまでは判るまい。まして、出来ればさりげなく、小川悦子に探りを入れてほしいという俺の希望など。

 もちろんそれは、自分から頼めばいいことだ。しかしまだ、それを口にするのは気が引ける。

 俺は自分を信じ切れていないから。


「しかしなぁ」

「ん?」

「なんで青龍の滝なんだ?」

「あ?」


 勝彦の質問は唐突だった。

 一瞬、その意味が判らずに生返事。


「車で通りかかった…って答えは聞いてねぇな」

「そんなことどうでもいいだろ」

「バカ」


 勝彦に馬鹿にされ、千聡にはズバリ。無性に腹が立つ瞬間だ…が、今は我慢だ。


「今時青龍の滝なんて流行らねーだろ」

「修学旅行で寄るぐらいだよねー」


 何か生産的な話でもしてくれるかと思ったが、結局は聞こえよがしなイヤミに耐える。渡る世間の嫁の気分はきっとこんなものに違いない。


「…俺だって見たかったわけじゃない」

「ほんとかなー」

「他に寄るとこあるだろ」


 クソ、なんで今だけ二人の意見が一致するのだ。理不尽だ。

 しかし…、言われてみたらそうかも知れない。そんな気がして来た。ヤバいな。折れてしまいそうだ。ああ、敗北の甘美な世界。

 いや。まだだ。


「…あそこ通ったら青龍の滝って相場が決まってんだよ」

「へー」


 やけくそな主張。自分で口にしながらも、さすがに無茶だと思うし、俺はやっぱり敗北者になった気がする。

 もっとも、青龍の滝という場所は、千聡が言うように、修学旅行でどこかに出掛ける時には必ず休憩するから、誰でも知っている。何も考えていなければ余計、とりあえず休憩してしまうのだ。実際、こいつらだっていざとなれば、きっと同じ行動を取るに違いないのだ。

 そうだ。そうして知らず知らずのうちに、俺たちはあそこの経営を助けている。恐ろしい陰謀だ。

 …と偉そうに言ってはみたものの、ふと気付く。俺はあそこで一銭たりとも使った憶えがない。トイレ借りたぐらいだ。要するに、助けてない。


「まぁヒロピーの主張はさておいて」

「おくな」


 いや、おいてもらった方がいいか。苦しいから別の話題にしてほしいぞ。


「あの場所に何かあるんだろ?」

「そうか?」

「おツルさんと出会う必然はあるよね」

「あ」


 まぁ、そうかも知れない。あそこが俺にとって初めて訪れた場所だったら、真っ先に考えただろう。両手で余るくらい行ったことがなければ。ふぅ…。

 それでも検討する余地はあるか。野口さんよりはよっぽど核心を突いているような気がする。

 …うむ、青龍の滝のおツルさん。いかん、うつった。時代劇じゃあるまいし。

 時代劇…。

 まぁ確かに、クツバミゴロウとツルなら、そんなイメージがお似合いか。話だけ聞いてりゃなおさらだ。

 俺にはそうは思えないが。

 あの場にいた俺――ゴロウ――はチョンマゲなんて結っていないし、「ムラ」が見えると口にしたツルも、普通の女の子だったはずだ。

 ん?


「あ」

「何?」


 「ムラ」だ。


「うーむ」

「何よ?」


 こんな簡単な、しかもこの上なく重要な手掛かりを俺は見落としていたのか。

 「ムラ」だ。あの場所から見えるもの。青龍の滝でなければならなかったもの。

 正直これはダメージが大きい。やはり俺には人並みの思考が出来ないのかも知れない。

 はぁ………。


「さっさとしゃべれバカ」

「う」


 …しかし、だ。


「なぁ」

「何よ?」

「あの対岸にムラなんてあったか?」

「ムラ?」


 答えを待つまでもない。滝があるくらいだから、対岸は切り立った崖ばかり。上流か下流か、どっちかに移動すれば何かあるかも知れないが、少なくともあの場所から見えるものは、滝と、滝を祀った祠ぐらいだ。


「聞き間違えたんじゃない?」

「う………」


 じっとりと視線がまとわりつく。二人ともまるで俺を信用していない。

 もっとも、俺だってそうだ。仕方ないだろう。


「ほんとはタクィとか言ってたんじゃ」

「まさか…」

「フォコラ」

「んー」

「ズンザ」

「お前らどこの人間だ」


 他人事だと思って好き放題言いやがって。

 少なくとも「タキ」ではない。

 当時の俺は少なくとも車酔いだったが、そんなバカな聞き間違いが出来るほどなら、そもそもその時点で記憶などなくなっている。

 しかし、だから逆に不安になる。

 本当にあの場所でなければならなかったのか。


「そういや、青龍ってなんだ?」

「青い龍」

「アホか…って、いてーな」


 先手を打って蹴っておいた。なんの合理性もないような気もするが、まぁ俺は痛くないからいいだろう。


「で、真面目に」

「知らん」

「うー」


 実際、あるのは滝だけなんだから、滝の由来は知って損はないな。

 というか、それしか手掛かりがない。あそこに「ムラ」があるのなら。


「良に聞いたら判らねーかな」

「え?」

「なぁ、ちさりん」

「は、はぁ」


 良、という名前が出た途端に豹変する千聡。判りやすいヤツだな、しかし。


「…き、聞いてみる」

「聞いてみろ」


 良は一応、千聡の彼氏ということになっている男だ。

 俺は中学時代からヤツとは仲が良かったから、どうやって千聡が良に絡んだかも知っている。ふっふっふ。


「どれ、雪隠でも行くか」

「せっ………」


 何となく一区切りついたので、席を立つ。千聡は動揺しているし、その意味でもちょうどいい。

 とはいえ、今さら千聡が動揺する理由があるとは思えないが。

 いまいちそこら辺がつかめないところだ。とりあえず恋人同士なんだから、二人のプライベートにまで立ち入るつもりもないけど。


「ともかく、良によろしゅう」

「うん」

「それと…」


 小川悦子のことも頼もうとしたが、千聡は軽く右手でそれを遮った。というか、それは任せとけと言いたげな表情。

 お見通しだったか。

 …というより、最初から謝らせるのが目的だったのだ。今さらそんなことに気付く俺が情けない。さっさとトイレ行くか。

 気がつけば勝彦は居眠りの体勢。急速に周囲はのんびりした空気に包まれはじめている。


「ヒロピーさぁ」

「ん?」

「女の髪は長いほうがいいの?」

「なんだそりゃ」


 呆気にとられて振り向くと、千聡も机を戻して、うつぶしていた。

 良の名前を出したのはまずかっただろうか。俺の一件なんてどうでもよくなっているような雰囲気を感じて、急に不安になる。

 千聡にしてみれば、自分の問題のほうが重要に決まっている。

 ………。

 しかしいずれにせよ、今は千聡に頼るしかないのだ。祈るように教室を出る。

 俺はまず、この不安定な精神状態をどうにかしよう。お膳立てが出来ても、このままではぶち壊してしまうかも知れない。それだけは避けたい。

 …しかし、どうしたらいいのだ。経験のない事態、しかも俺自身が頼りにならないのだから、何も策など立てようがない。

 とりあえず…。

 寝よう。

 そうだ。俺は眠くてしょうがないのだ。

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