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川辺の祭  作者: nats_show
葦芽
39/84

縢戸

 火曜日というのは中途半端である。月曜ほど暗黒でもなく、かといって休日前ほど浮かれ気分でもない。正確にいえば、どちらかといえば暗黒に近いが、でも一日終わってるじゃないかと騙されそうになる。実に迷惑である。

 それでも今日は、とりあえず図書館デーということになっている。そんな一日に救世主が…と言えるほどの大行事ではないが、何もないよりはマシなのではないか、と思う。二日続きの快晴と、天気も多少は後押ししてくれるじゃないかウッキー。

 …ちなみに最後の鳴き声は浮かれ気分を音にしてみたものだが、あまり適切ではなかったような気がしてならない。


「山ちゃんおはよう」

「おう、おはようさん」

「………」

「おはようさん、小川」


 まぁその辺の反省はともかく、今日は非常に珍しいことに校門で小川に出会った。珍しいというか、たぶん初めてのことではないかと思うが、ともかくなんとなく幸先の良い一日が始まったわけである。

 ………。

 しかし、会ったはいいが何か違和感を覚える。おかしい…としばらく悩んで、靴を履き替えながらはたと気付いた。


「もしかしてリボンは…」

「初めてだと言いたいの?」

「うっ」


 刺すような視線。どうやら不正解らしい。薄暗くて埃っぽくて、そしてざわめきだらけの朝の昇降口が、一瞬時間を止めたような感覚。

 それにしても、一昔前は微妙な表情の変化を読み取らなきゃなんて言ってたが、今ではもう一目ではっきり判るようになった。出来ればそれは、俺の観察力向上に伴う変化であってほしいものだ…と、こんな時に主張してもなんの説得力もないわけだハッハッハ。

 まぁどうみても残念ながら、小川が俺に対して遠慮しなくなったということだ。本性を現したという表現もある。

 別にそれが困るわけではない。俺の注意力散漫は今に始まったことではないし、はっきり示してもらった方がありがたいハッハッハ。


「遅刻するよ」

「え、…ああ」


 気のせいかギスギスした雰囲気で、階段を昇る。そんなに怒ることもないだろう、と思うのだが口に出せないのは、ならばさっきの違和感はなんだったのか、確信がもてないからだ。

 もしかして、本当は何も変わってないのか…と言っても、金曜の放課後にリボンがなかったことは間違いない。昨日は………………………。覚えてないぜあーあ。結局昨日から変わっていたのか、それともそれ以前から何度か試していたのか。並べてみると、どちらも絶望的な選択肢である。

 さっさと謝ろうか?

 いや、それもまずいだろう。きっと理由が判ってないことを彼女に気付かれてしまう。残念ながら彼女は鋭い。ごまかそうとしてることぐらい、一発でばれるに違いない。いやそれどころか、もうとっくに気付いているんじゃないかと思えてきた。どっちでも同じならやはり謝るか?

 ………と。


「また妄想?」

「うむ」

「素直ね」

「今更ごまかしてもしょうがない」

「そう…」


 彼女はゆっくりと階段を昇る。時間に余裕があるからかも知れないが、俺だったら面倒だから一段飛ばすところを、じっくり踏みしめるように昇って行く。

 …なんて解説してみたけど、女子ならそれが普通だよな。どうも俺は彼女を特別な存在だと思いたがっているようだ。いや、今までだって特別だった。むしろ、特別でなくなっていくことへの懼れ…かも知れない。


「図書館では…」

「え?」

「図書館では、良くんといつもどんな風に調べるの?」

「…ああ、えーと」


 ようやく階段を昇りきり、薄い陽射しを浴びながら二人並ぶ。

 彼女の横幅は随分狭いんだなぁとか、どうでもいいことを考えて、質問に答えなければと気を取り直す。

 とはいえ、何も特別なことじゃない。だいたいの目星をつけて、あとはそれぞれ分かれてシラミ潰しに探すだけだ。だから小川に頼むことも、普通に本を開いて文字を目で追うことであって、しかも探す文字は当事者だから容易に判るだろう、と話す。


「ただ、四人で行くから四等分というわけじゃないぞ」

「はぁ」

「ちさりんはあらかじめ戦力外だからな。良と一組だ」

「私は?」

「期待してる」

「でも初心者だし」


 今度ははっきりと不安な表情。案外本気で心配しているようだ。

 しかしその表情を見ると、却ってからかわずにはいられない自分がいた。


「神話に詳しい新戦力だろ」

「絵本の知識でも?」

「ないよりマシだ」

「…かえって不安になった」


 彼女が冗談混じりに最後の言葉を口にした時、すでに俺たちは教室に到着し、目の前にはちさりん大先生が鎮座していた。ちなみに朝の修行中のようだったが、詳細については個人のプライバシー保護のため控えておく。


「おはようちさりん!」

「わっ、な、なに?」


 期せずしてハモることになったから、千聡は判りやすく驚いていた。

 それにしても、彼女がちさりんと呼ぶのはまだまだ新鮮だ。


「なんで二人で…」

「待ちあわせしたから」

「えっ!?」

「もちろん嘘」

「…えーこって冗談言うのね」


 変なところで感心する千聡が妙におかしかったけど、これまで耳にした数多くはない情報によると、これまでの彼女なら、こんな軽妙な言葉を口にすることは滅多になかったらしい。

 本当は冗談と言葉遊びが大好きなはずなのに、今まではどうしていたのだろう、と思う。もしかして、心の中で一人ボソボソと冗談言ってたんだろうか。想像すると少々怖い姿である。まるで町中の本屋でたまに出会う、ちょっと服が臭い太った人のようだ。

 ………。

 ごめん。悪かった。というか、心の中でブツブツなんて、まさに俺自身じゃないか。臭くはないよな、たぶん。自分のことが不安になってきた。


「山ちゃん妄想中」

「悪かったな」

「悪いでしょ。じゃね」

「………」


 自分がそうだったから、俺の考えてることが判ってしまう。そう考えると納得いかないわけではなかった。

 そのわりに俺はちっとも彼女のことが判らないけれど。


「で!?」

「なんだ?」


 彼女が自分の席につくのを確認するようなタイミングで、千聡が疑惑の目を向ける。

 …なんの疑惑かよく判らんがな。宿題か?


「なんで一緒なわけ?」

「なんでって、そこで会ったからだろ」

「それだけ?」

「当たり前だ。だいいち朝に待ちあわせなんてスリリングな約束は出来ない」

「ま、それもそうか」

「納得するなよ」


 無駄に胸を張った俺も俺だがな。

 もっとも、最近はわりと朝が早い。勝ピーと仲良くランニングしないで済むのは素晴らしいことである。


「それと、山ちゃん?」

「ヤマヒロよりマシだろ」

「ヒロピーにすりゃいいのに」

「却下」


 とりあえず追求を逃れて席につく。程なく教師がやって来て、千聡の朝勤行も中断された…と一応表現してみたが、あれだけ無駄話して修行も何もあったもんじゃない。

 日本史の教科書を開いて、しばらくは黙って黒板を眺めていた。

 ふと、笑いがこみあげる。もしも教師が黒板に「沓喰五郎」とか書き出したらどうしよう。そんなことを考えたらおかしくなった。

 もっとも、小学校の実習になるほどだから、まったくあり得ないことでもない。さすがに日本史の授業は厳しいような気がするけど。

 厳しいと思う理由は……何よりも、実在したという証拠がないから。伝説として、いくら名前が伝えられても、たとえばザシキワラシを教える日本史はない。いや、ザシキワラシはそもそもいつの話か判らないから、それよりはまだ五郎のほうがマシかな。藤原氏にそんな人物がいたとは、きっと平泉の人だって知らないだろうから、やっぱり無理だろうけど。

 沓喰の村でなら現実でも、教科書ではあり得ない歴史。そんなことを考えていると、日本史という授業が途端に苦痛に感じられて、思わず窓の外に逃げようとする。

 いつものようにくすんだ窓の外には、同じように白んだ低い建物が並び、しかしそんな景色を遮るように、校舎横の樹木がチラチラ光る。いい天気だ。外で昼寝したら気持ちいいだろうな。放課後もまだ、これぐらいの陽気であってほしいものだ。

 ………。

 昼寝という単語で、なぜか千聡の顔が浮かぶ。我ながら失礼な連想だと思いつつも、ニヤニヤしてしまう。ヤバいヤバい。深呼吸して真顔に戻す。

 うむ。しかし千聡といえば、さっきの反応は妙だったな。一緒に教室に入ることがそれほど大きな問題だったのか。やかましいなりに常識人だと思うが、時々よくわからん時がある。

 ………。

 うーむ。しかし思い出してるうちにだんだん不安になってきたぞ。まさか二人で廊下を歩いていたと校内の噂になって、良からぬ方向に……。

 アホか。

 あんなぐらいで噂になるなら、昼休みに廊下で立ち話する時点で深刻な事態になっていただろう。それに、俺のことなんか噂したって誰も関心ないぞ。

 彼女は……、よく判らないけど。その辺は千聡に聞いた方が早そうだが、かといって口にすればかえって波風を立てるだけのような気がする。


「……にしても」


 とにかく、今日の一大行事は図書館だ。良のことだから、歩いて行くんだろう。三十分ぐらいはかかりそうだ。

 四人のうち、歩きは千聡と俺。そのうち千聡の家は図書館に向かう途中だから、俺が一度家に帰って自転車に乗って戻るのが一番早い。それは間違いないけれど、良はそういう計算をするような男ではない。どうも頼ろうにも頼り切れない奴である。


「ヒロピー!」

「な、なんだよいきなり」

「さっきから呼んでるでしょ!」

「………そうか?」


 そう言われれば何か聞こえていた気もするが、俺も妄想で忙しかったのだ。

 いや、そもそもこれは妄想ではない。放課後の予定を練るのは重要な作業なのだ。


「まったくしょーがないわね、ノート!」

「勝手に取るな」

「忙しいんだから手間かけさせないでよ」


 言葉だけならやり手の主婦のように聞こえつつも、目の前にはテキパキと他人のノートを丸写しする女子生徒がいた。


「必要なとこだけ写せ」

「どこが必要かわかんないでしょ。だいたいあんた、授業中に聞いても教えもしないし、事前に写すのが一番安全じゃない、わかってないわねまったく」

「…………」


 今更ツッコむ気分にもなれず、ぼーっとその姿を見ていた。そしたら、無駄に手際の良い千聡に思わず感心しそうになる自分がいた。我ながら、流されやすい性格だ。

 ものの一分で写し終わった千聡は、いかにも一仕事終わった顔で――たしかに一仕事終わってはいる――ノートを投げて返す。その投げられたノートが、きちんと机のほぼ定位置に停止するほど、手慣れた作業だった。


「それにしてもヒロピー」

「写させてもらった相手に苦情はやめてくれ」

「…あんな乱暴な口きいてたのねー」

「………」


 今度はそれか。ころころ話題が変わるもんだな、しかし。


「ハックン、次オレー!」

「賢い勝ピー様じゃねえのかよ」

「能ある鷹は」

「あー、もういい」


 というか、キミの優秀な姉上に教えてもらえばいいではないか。良から聞いた話によれば、かつては学校一の秀才だったらしいし、今だってそういう職業なんだし。


「ヒロピー!」

「急かすな。一度に何人も相手出来ん」


 千聡が何をそこまで追求したいのか、さっぱり判らない。

 まさか噂話のネタか? 有り得るだけに恐ろしい…なんて、だから俺のことなんて誰が。


「妄想野郎!」

「ぐ、その言葉はやめてくれ」

「いーじゃん、えーこも言ってるんだし」


 だから、それが困ると言ってるんだよ。

 やれやれ。面倒になったので一気にしゃべってオシマイにしよう。


「何を聞かれてるのかよく判らんが、そんな乱暴か? ちさりん様に対するのと変わらんと思うぞ」

「だからそれが乱暴だって言うの!」

「………」


 見るからに呆れているけども、そんな顔されても困るだろう。なぁ。


「ヒロピーの基準って私だけでしょ!?」

「そうはっきり言うな」

「私みたいに打たれ強い女はいなのよー。毎日毎日会えば悪口ばっかり言われて、それも「おしゃべり」とか「自分で宿題やれ」とか「肩にフケがついてる」とか「若白髪になるぞ」とか、言いたい放題言われて、それでもじっと耐えるなんて」

「ちさりんの半分はでまかせで出来ています」


 よくもまぁこれだけよどみなく嘘が言えるものだ。いや、すべてが嘘ならそれほど感心もしないが、フケの件とか、俺自身すっかり忘れていた些細なことまでしっかり覚えているのだから恐ろしい。

 ただ、千聡の言いたいことも少しだけ理解出来ないわけじゃない。確かに、俺が女子というものを意識するようになってから、初めてまともに話せるようになった相手が千聡だった。

 それはあくまで、良という最終目的のために利用しようと企てた、向こうの一方的な必要性によるものだった。言葉を替えれば、俺自身の意志だけなら、今の今まで女子と話す機会なんてなかったかも知れない。

 ………。

 それに、小川とのやり取りにしても、千聡がいなければ怒鳴った時点で終わっていたかも知れない。いや、そもそもあそこで千聡が止めていなければどうなったのか、考えるだけでも恐ろしい。暴力沙汰で退学だったかも知れないのだ。


「ハックンサンキュー」

「………」

「なんだよ気持ち悪いな」


 勝彦の顔をまじまじと見つめる自分がいた。ヤバイだろ。

 だけど、見つめた理由は判っていた。こいつも俺と同じだから。いや、俺より一年遅れてるから。

 口に出しては言わないが、ヤツも女子とはまるで縁のない男で、初めてまともに話せた相手はやはり千聡だった。

 …口にしないのになぜ判るかというツッコミもあるだろうが、二つ理由がある。一つは現実に、今の勝彦がちさりんのほかに女子と話すのを見たことがない、ということ。例外は祐子さんと、最近なら小川。はっきり言って、俺と同じだ。

 もう一つは、入学したての頃の話。入学式の日に、隣の席がまさかの千聡大先生と知った俺は、さっそく初日からあれこれ喜びの言葉を交わしたり罵声を飛ばしあったりしたわけだが、それを勝彦が不思議そうに眺めていたのは、今でもよく覚えている。

 俺が千聡を紹介して、それでも最初の一週間ぐらいは遠慮がちだった。千聡が見ていると気付くと、どっかの御笑い芸人の真似とかヨネ原人の鳴き声とか――ちなみに後者は実に迷惑だったが、それを言い出すときりがないのでやめておく――、そういう行為をやめて、教室の中をきょろきょろすることがあったのだ。

 うむ。あの頃はまだヤツも羞恥心をもつ生物だった。しみじみ。たった一週間しかもたなかったとも言えるが。

 まぁともかく、俺も思い出してみれば、千聡に片棒担がされて迷惑だと思いつつ、初めて女子と話が出来て嬉しかったのだ。あまり思い出したくない恥ずかしい過去だけど、間違いなくそんな自分はいた。

 ゴリっと肩を回す。

 案外、千聡を引き留めていたのは俺の方だったかも知れない。そんな結論に達しかけた俺は、いつもより少しだけ優しい視線を隣に投げかけたが、机の上に鎮座するさっきのノートを見て思い直す。一時の感情に流されるのは危険だ。すでにその程度の借りならとっくに返しているぞ。


「最近えーこちゃんと仲いいよねー」

「そうか?」

「噂になってるわよ、女子の間で」

「う、噂の男なのか」


 昼休みになっても、今日はこの話題だ。

 …というか、「この」話題と気付いた瞬間から、今日は正直言って千聡と会いたくなくなったのだが、隣の席ではそうもいかない。こんな日に限って放課後まで一緒というのがなぁ。

 ま、さすがに彼女を前に「この」話題はないはず。あってたまるか。


「男子の人気は高いらしいし」

「俺はそんな趣味ないぞ」

「ボケなくていい」

「くそぉ」


 それにしても苦手な話題だ。ごまかす言葉もぎこちなくなって来たぞ。はぁ。

 メシが不味い。もともとうまくはないのだが、この際そういう問題ではない。

 ………。

 …………。

 あれ? 小川は男子に人気あるのか?

 同じ口から二週間前に聞いた噂では、確か女子の中でも目立たない方だったはずだがなぁ。


「…ということはリニューアル成功なのか」

「リニューアル?」

「………」


 いかん。今のは口に出す予定じゃなかった。


「黙って白状しな!」

「しまった…」


 後悔先に立たず…とはいえ、さして秘密にするほどの話でもないか。むしろ千聡が知らなかったことの方が驚きかも知れない。

 まぁしょうがないので親切な俺は、懇切丁寧に教えてやったわけだ。

 ただしリニューアルの詳細には触れていない。それは隠したのではなく、単に説明出来なかっただけだ。しかし、この詳細を語らなければ何ら懇切丁寧ではないのもまた事実であるハッハッハ。


「へぇ、確かによく変わってたけど」

「そうなのか」

「そうなのかってアンタ、まさか気付いてないわけ!?」

「責めるなよ…」


 やはりマズいのか。

 頭で判ってるつもりでも、やはり心底呆れられた顔というのは見たくないものだ。


「あーあ、こんなんじゃ将来の彼女がかわいそうだわ」

「一応努力目標にはしてるつもりだ」

「偉そうに言うなバカ」


 だからそういう話題は苦手なんだよ。

 だいたい、どうせ彼女なんていないんだから、その辺は出来てから考えればいいじゃないか、なぁ勝彦。

 …………。

 いないな、こんな時に限って。見渡すと、遠く離れた廊下側の席で何かやっている。いや、婉曲的に何かと表現してみたが、「クワッパー」とか鳴き声も聞こえて来る。最悪だ。この役立たずめ。


「でもさぁ」

「あ?」

「それってヒロピーと知り合ってからでしょ?」

「…まだそっちの話かよ」


 しつこい。しつこすぎるぞ千聡クン。

 さすがに嫌になって、立ち上がろうとするがまだ攻撃はやむ気配がない。


「髪型変えるのは誰かに見てもらいたいからだしぃ」

「そりゃそうだろうが」

「でも話した相手はヒロピーただ一人!」

「…それもそうだが」

「結論は出てるじゃない」

「短絡的にもほどがある」

「どこが」


 確かに彼女が変わろうとしたのは、俺と関わるようになってからだ。その点は確信がある。千聡の見解は全くの間違いではないだろう。

 しかし、そこから導き出される結論は違う。そちらもまた、俺には確信があった。


「小川が向いてる相手は、たぶん沓喰五郎だ」

「………まさか」

「五郎に逢いたいんだよとにかく。俺にはとうてい理解出来ないがな」


 理解なんて出来てたまるものか。口にするだけでも腹立たしくなってくる。そのまま俺は席を立って、廊下に出た。いつもの窓には近寄る気もしない。結局チャイムがなるまで、ただ階段を往復していた。

 午後の授業になっても、モヤモヤは残る。

 数学の時間。それなりに集中しなければ、俺の頭では問題が解けない。どうにかしたいのに、黒板を見てもノートを開いても落ち着かないままだ。

 シャーペンの芯を意味もなく引っ込めては出し、適当に数字を書いてみる。それもすぐに消しゴムで消して、また同じこと。虚しい作業の繰り返しに没頭する時間。せめて順番がまわってくれば、多少の緊張感は保てただろう。問題が解けるという保証はないけれど。

 教室の空気は薄汚れた窓に遮られて、黒板と天井と自分の周囲を巡る。思考がその流れに乗ってしまえば、もはや逃れる術はない。そんなチョークの粉に等しい時間は、しかし本当は珍しくもなかった。

 妄想。逃げ出せなければ行き場のない自分。やがて平衡を取り戻すだろう。俺は自分の心臓が動いていることを、いまさらのように確認していた。

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