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川辺の祭  作者: nats_show
憑霊
31/84

三百六十五日

 らんらんらん。

 みんなであそぼ。

 ………。

 らんらんらん。


「それにしてもヒロピーは姉貴が好きなんだな」

「…そういうことにしといてくれ」


 急に歩幅が縮まる。

 勝ピーには俺の複雑な感情なんて判るまい。


「うー、気が重い~」

「千聡ちゃんはよく行くんでしょ?」

「生き別れの姉に逢えるのに嬉しくないのか?」

「…ヒロピー」


 蹴りが飛ぶ。

 避けようとすると前に進むしかない。が、前は彼女が歩いている。


「ぐ…」

「当たった?」

「驚くな」


 自分で蹴っておきながら、複雑な表情の千聡に呆れる。

 と同時に、この騒々しい三人を平気で流して進む残り一人にも少し呆れる。

 向かう先の地研部室は、汚い校舎の二階。幸か不幸か、我々の教室からは遠かった。


「後ろ、飛んでない?」

「飛んでるぞ」

「うそっ」


 振り返ろうとした千聡は、視界に入った何かに気付き、キッとこちらを睨む。

 俺は知らんぷりして、離れ始めた彼女との距離を縮める。


「なんか遠足みたいだな」

「どこがよっ!」


 そろそろ後ろと呼べそうな位置で、ほのぼのした会話が交わされる。踊りながら廊下を歩く――いや、歩いてないのか?――バカの相手は、やはり誰彼なく蹴り倒せるお方をおいてなかろう。

 そうこうしてる内に階段にかかる。

 さっきよりやや幅の狭い段差を、うつむいたまま四人は登っていく。

 薄暗い光景。天上には蜘蛛の巣。まるで俺たちの心象風景のような世界を進む。

 もっとも後ろの騒ぎ声を聞くと、その辺はちと怪しい気もするけども、深く問うことでもなかろう。


「えっと、登って…」

「奥へ進むとすぐ」

「はい」


 あっさり階段を登りきると、彼女は息を切らすこともなく、スタスタ歩く。

 なんとなくスタスタ坊主なんて単語が脳裏に浮かんだが、そんなマイナーなギャグをかましても誰も笑えないと一人反省する。

 反省はするが、急ぐ用でもない。狭い日本、そんなに急いで…と、また一つ浮かんだフレーズは、直前よりはいくらかメジャーに思われたが、やはり今さら口にするのは恥ずかしいのでやめておく。

 …というか、なんで俺はギャグを披露する必要があるのだろう。

 疑問を感じつつも、悩んでいては彼女との距離が開く一方なので、とりあえず前方に意識を集中することにした。

 ………。

 かーーーつ!

 …………。

 どっかの朝のテレビで、老人がわけの判らないことをぼやく時の決め台詞を心の中で叫んでしまった。バカだ。

 要するにこれは、現実逃避というヤツだ。


「ここ?」

「んでがんす」

「………」


 思わず飛び出す婆さん言葉すら気に留める様子のない彼女は、遅れた二人が到着したのか確かめるよりも早く、扉を開けていた。


「…こんにちは」

「あ、来た来た!」

「祐子さん、お久しぶりです」

「えーこちゃんも元気ぃ?」

「え、ええ、はい」


 彼女は開けた扉を掴んだその姿勢のまま、挨拶を交わしている。

 当然のことながら、俺たち三人は中に入ることも出来ず、ぼんやりとその後ろ姿を眺めるしかない。なんだかマヌケだ。

 いやしかし!

 これはこのまま引き返せという神のお告げではなかろうかっ!


「入って入って」

「はい、失礼します」

「あれ、独りなのー?」

「え、違いますけど…」


 そこで振り返った彼女は、はっとした表情。ようやく状況に気付いたらしい。

 ちょっと頬を赤らめながらぺこりと頭を下げると、部室の中へ消えて行った。さらば…。


「早く入りなさいよ!」

「は、はい!」


 おうのう!

 小野でもないし応用の訛りでもなく、まして能を見た外人の叫びでもない。

 やはり逃れられない運命なのか。

 ショーの襲撃に祐子さんの襲来と、まったく今日は厄日だ…と心の中で秘かに叫びつつ、恐る恐る部室に足を踏み入れる。

 汚い六畳ほどの部屋の内部は、左右に背の高い本棚が並び、真ん中に大きな机が二つ。実に圧迫感のある光景である。地震が起きたら脱出出来るだろうか。

 …と言ってはみたが実際の所、別に初めて見たわけでもない。薄汚れた床も散乱する紙屑もいつものこと。やる気のない部員たちが、掃除もせずに読みもしない本を積み重ねただけだ。

 我々が感じているこの圧迫感はやはり、正面の椅子にどっかと腰を下ろしてこちらを睨む、まさしく女帝と呼ぶにふさわしい人物のせいである。

 そして、下僕のように脇に立つ男の姿が哀れを誘う…とまとめると格好いいのだが、あいにく奴がほっとした表情なのは困りものだ。


「遅かったな」

「遅いか?」


 壁にかかった時計を見たが、止まっている。


「動いてないからな」

「見りゃ判る」


 几帳面な性格がウリじゃなかったのかと良をなじりたくなったが、今はそんな局面ではない。立っていてもしかたがないので、適当に空いている椅子に座った。

 もちろん、彼女を座らせるためだ。俺には多少の学習能力がある。


「ちさりんはこっち」

「は、はいっ!」


 ありがちなロボット歩きを披露しつつ、千聡は祐子さんの隣へ。

 続いて勝彦は、いかにも投げやりな様子で、その辺に転がっていた椅子に座る。左右を見渡した彼女が、最後にゆっくりと腰を下ろした。


「小学校は大丈夫なんですか?」

「大丈夫、今日は夕方熱が出たから」

「無茶な…」

「この時間なら仕事は終わってるだろ」


 思わず声の主をまじまじと見つめてしまう。

 あの勝彦が、誰もがうなづきそうな言葉を吐いた。姉貴の存在はこうまでも人を変えるのか。それとも、さすがは「かーくん」と呼ばれるだけの人物ということか。


「で?」


 勝彦は相変わらずやる気のなさそうな声で質問を続ける。

 キャラが違うのはちょっと怖いが、唯一祐子さんに遅れをとらない人物である。ここは期待しないわけにはいかない。


「何しに来た」

「後輩を訪ねに来たんでしょ」

「いないぞ」

「………」


 部室に緊張感が走る。

 というか、祐子さんは平然としているが、隣で良が困ったという表情で肘を付く。


「逃げたのか?」

「…挨拶はして行った」


 その件に関しては俺もあまりいい感情を抱いていなかったから、加勢する。

 もっとも、良を責めたところで意味がないのも判っている。


「引き籠りのままごとクラブって言いたいんでしょ?」

「え、いや…」


 ストレートな解答に思わずどもってしまう。

 まぁその通りなんだがな。

 清川行きの時にいろいろ話した後だし、俺たちの――勝彦と俺では微妙に違うはずだが――不満なんてもうお見通しというところか。


「私もここ来るの四年振りだしね、一応活動記録なんて眺めてみたわけよ」

「はぁ」

「一目見て飽きた」

「早いですね」


 ノートを放り投げるポーズに、良が苦笑する。

 祐子さんのことだから、脚色ではなく本当に投げた可能性は高い。


「ほい」

「………」


 祐子さんが机に放り出してあったノートを投げる。

 落下地点は俺と勝彦の中間、やや勝彦寄り。思わず二人で顔を見合わせると、次の指示があった。


「読めガキ」

「知るか!」


 怒鳴りながらも素直にページをめくる勝彦が微笑ましい。姉弟の絆とはこういうものなのだとか、あらぬ妄想にふけりそうになったが危ういところでこらえる。


「六月十日、読書会」

「………」

「市史を輪読。第一章…」

「もういいでしょ」


 姉上の言葉に「やってらんねぇよ、ケッ!」とすねるようなポーズで音読を止めた勝彦は、次の瞬間ノートを放り投げていた。

 ああやはり姉弟だ、と思ったのは俺だけではあるまい。千聡は笑いをこらえているし、位置的に表情がうかがえない彼女もきっと笑っているだろう。


「ま、それはそれとして…」

「………」

「良くん、そこに移動」

「はい…」


 おせっかいな祐子さんが、無理矢理良を千聡の隣に座らせる。

 一応断っておくと、椅子はまだ四つぐらい空いている。狭いからとか、そういう理由でないことは明白である。

 それはまぁいい。別に二人も嫌がりはしないだろうし、座られて困る奴もいない。しかしそれ以前に、自ら話の腰を折るのはやめてほしいものだ。

 俺もどっちかといえば同類だと思うが、ここまであちこち飛ぶことはない…よな?


「沓喰五郎は進展してる?」

「え?」


 祐子さんはまず彼女を見て、それから俺を見つめた。

 しばらく無言が続く。なんとなく俺は、彼女が先に答えるのだろうと思って遠慮したのだが、彼女は彼女でこちらの出方をうかがっているようだ。

 うーむ。

 しかし悩んだところで、答えは一つ。


「まったく進展ありません」

「えーこちゃんも?」

「え? は、はい」


 声から困惑の様子が伝わってくる。

 いや、確かに小川悦子には判るはずがない、という言い方はおかしい。紛れもない当事者がここで困惑するいわれはないのだ。

 しかしこれまでの乏しい知識を総合する限り、彼女はとりたてて郷土の歴史に興味があるわけでもなく、そういう文献調査を得意とする気配もなかった。


「良くんの報告だと、村史は見たって?」

「まぁ、それは、はい」

「なかった」

「まぁ…」

「沓喰という地名はあったんですが」


 良が口を挟んだので、俺は少し乗り出し気味だった姿勢を元に戻す。

 餅は餅屋。本業に任せたほうが良い。


「地図はいつのだった?」

「昭和三十五年ってありました」

「そぉ」

「その地図では人家がいっぱいありそうでしたが…」

「まだ、そうかもね」


 こういう話になると、祐子さんの風格が一段と増して見える。

 答える良も、緊張してはいるだろうが、明らかにいつもより張りきっている。普段の部活じゃ、きっとこんな頼りがいのある相手と話す機会なんてあるまい。


「民話の本は読んだ?」

「あ、それは…」

「村史はアテになんないからね。本当に沓喰五郎なんて人がいたかなんて、いちいち考える人が書いてたら、無視されるのがオチ」

「はぁ…」

「年寄りに聞くと、こんなのは嘘だとか自分で言ったりするからねー」

「なるほど」


 そりゃまぁ、自分のこととして考えたなら――沓喰五郎は他人事じゃないんだが――、俺だって嘘だと思うだろう。

 いや、違うか。

 それこそ、杖を突いて水を湧かせたという弘法大師が、本当にこの辺を歩いたかなんていちいち悩みはしない。悩むまでもなく、それは「伝説」に過ぎないからだ。

 「伝説」。その便利な言葉で思考は止まる。そこに嘘も本当もないが、しかしあえて問われれば嘘、だろう。

 ………。

 自分の頭がループを始めた。これ以上考えるとヤバいかも知れない。


「全国のやつをまとめた本もあるから、まぁ気長に探してみなさい」

「はい」

「ヒロピーもね」

「え、は、はぁ」


 俺の返事より先に、千聡が笑う。

 子供をあやすような祐子さんの口調は、なんだか妙におかしかったから、その相手が自分でなけりゃきっと俺も笑っただろう。

 当事者としては複雑な気分だけどな。


「ところで良」

「なんだ」


 突然勝彦が立ち上がる。

 正直、昼休みの悪夢が思い起されて、俺は冷や汗をかいた。


「チョイス!」

「あ、お、おう…」


 そういえば机の上が淋しいと思った。

 うむ。よくぞ思い出した。今し方の冷や汗などすっかり忘れて、俺は心の中で勝彦に加勢した。ついでに良をじっと見つめ、プレッシャーをかけた。

 …しかし、良の様子がおかしい。

 まさか裏切ったんじゃあるまいな。


「あの…な」

「もうないわよー」

「何い!」


 祐子さんの情け容赦ない言葉に傷ついたのは、勝彦だけではない。

 チョイス!

 ブルボンにしてはちょっと高めで、さくっと噛むと歯にこびりつくチョイス!

 選択、と訳すとさっぱりわけが分からないが英単語の勉強にはなるチョイス!


「虫歯が増えるから我慢しなさい」

「いや、我慢も何も」


 呆れたように言葉を発する俺の隣では、すっかり肩を落として意気消沈の弟君。もしかしなくても、これだけのためにやって来たかのようだ。これはこれで呆れた根性である。

 しかし視線を移すと、秘かに落ち込む千聡の姿も目に入る。やはり一箱200円のチョイスは高級菓子、庶民にとっては高嶺の花なのである。


「部員と食べたのよ」

「はぁ」

「それくらいしないと、間が持たないでしょ、ね?」

「…まぁ」


 良はうつむいたまま返答する。

 別にそこまで恐れるような相手だろうか。確かに強引な人には違いないが、俺たちのレベルに合わせて話してくれるわけだし、まして同じクラブの先輩なら…。

 そんな俺たちの意志を口にしたのは彼女だった。


「祐子さん」

「なーに?、えーこちゃん」

「そんなに話が通じないものなんですか?」

「…どう思う?」


 この部の日常を知らないから、彼女には余計に理解しがたいだろう。

 それを祐子さんは、いつかのように良に振る。自分で答えても良さそうなもんだが。


「…………」

「良くんは、ちさりんが好き?」

「なっ…」

「ゆ、祐子さん!」


 うつむく良と慌てる千聡。

 それにしても、ここまで脈絡のない会話があっただろうか。


「さっきもそうだったよね」

「………」

「大事な時に口籠るのが格好いいかな?」

「姉貴!」


 たまらず勝彦が止める。

 その声を聞いた祐子さんは含み笑い。これは確かに怖いかも知れない。

 知れない。

 知れないが、言いたいことは判る。

 昼休みの苛立ちも、突き詰めれば同じことだったんじゃないか。格好つけてるつもりで、ただごまかして先延ばしにするだけの良を、いい加減誰かが非難しなければならないのだ。そうだ。

 ………。


「それにしても良には厳しいですね」


 とはいえ、さすがにここはフォローすべき局面にも思える。

 自分も同類なのだから嫌らしい気もするけど、泣きそうな顔の千聡も不憫だ。


「そう?」

「やっぱり後輩だからですか?」


 それはさりげなく話題を逸らすつもりの言葉だった。

 しかし…。


「後輩?」


 祐子さんの返事は少し意外なものだった。


「後輩ねぇ…」

「違うんですか?」


 なんだろう?

 躊躇するようなことでもないと思うぞ。


「良くん」

「は、はい」


 また質問。

 緊張感が走る…けど、祐子さんの語気に、さっきのような刺々しさはなかった。


「この会の歴史、どこまで知ってる?」

「…あまり古いことは」


 良は硬直したまま、小声で答える。

 隣で不安そうに、千聡が見守る。

 こうして見ると、案外つきあってる雰囲気が出てるなぁ…などと、思わずどうでもいい感慨に浸りそうになった。


「そう」


 祐子さんは一つ溜め息をついて、本棚に視線を移す。

 つられるように俺と勝彦も頭を動かしたが、そこにはさっきと変わらない本棚があった。

 あえて違いを探せば、さっきより少し暗かった。それだけのことだ。


「この部はね、一度潰れたの」

「潰れた?」


 勝彦の素直な返事に、皮肉っぽく笑いながら祐子さんは話を続ける。


「昔の研究会はとにかく現場主義でねー、毎月調査に出掛けて、聞き取りやってたわけ」

「はぁ」

「毎月ですか」

「そう。行き先はまぁ…数ヶ所あってね、代々訪問してるとこもあったし、部員の誰かのツテってとこもあったけど、まぁ熱い部だったわけよ。良くんが望んでるように」

「………」


 思わぬところで名前を出された良はまた緊張した様子だったが、目を合わせた祐子さんの悪戯っぽい笑顔に、ひきつりながらも笑顔をみせる。

 話の内容よりも、俺はそのやり取りに感心していた。


「顧問は今と…」

「同じよ」

「なら」

「あの人が何か役に立ったことあった?」

「さ、さぁ…」


 そういえば顧問って誰なんだ?

 千聡を見ると、やはり判らないという様子。


「地研は顧問を無視するのが伝統」

「伝統…ですか」

「そう、部員が自分で考え、自分で行動する。例え大人になって思い返せばくだらない研究ごっこだったとしても」

「ごっこ…」

「学生運動から始まった歴史ってやつね。いい意味でも悪い意味でも、顧問は敵だと思ってたものよ。金だけ持って来ればいいのに、肝心の役には立たないしさ」


 ……………。

 正直、相槌を打とうにも言葉が思い浮かばない。

 何もそれは、今の地研があまりに違いすぎるという表面的な理由からではない。

 祐子さんがここにいたのは五年前。その頃自分たちが小学生だったと考えれば、なるほど昔の話かも知れないが、かといってたった五年で、これほど世界は変わるだろうか。

 自分を基準においた場合、とても高校生のやることには思えない。


「清川の近くのとある村で祭があってね」

「………」

「廃れそうな祭で、いつ終わってしまうか判らないっていうから、毎年…じゃなくてもう、そこは毎月出掛けて話聞いてたなー」


 遠い目をするのは昔の記憶をたぐり寄せるためなのか。

 いつの間にか良はメモ帳を取り出している。考えてみれば、これも聞き取り調査には違いなかった。最近の地研には珍しい現場主義…なんて呼んだら皮肉が過ぎるけども。


「で、村の青年団の人たちと議論したりして」

「青年団…」

「平均年齢四十五歳ぐらいだけどね」

「………」


 一応笑いどころには違いないが、別に誰も笑いはしない。

 還暦前なら「青年」って世界を知らないほど、ここは都会ではないからだ。


「でさ、この祭はこうじゃなきゃいけない、とか」

「はぁ」

「私たちはいろんな文献読んでるから、いろいろ提案してみたりしてね」

「提案?」

「そっ。方々の事例をあげて、ここは本当はこういうつもりでやってたはずだから、今のやり方はおかしいって言うわけ。くだらない正解探しだったけど」


 そこで祐子さんは立ち上がる。一瞬、千聡の肩が揺れたように見えたのは緊張のせいだろう。

 しかし別に、何をするでもなく、ただ冷え始めた窓に、べったりと手のひらをつける。


「この神様はどういう素性か、この神社の位置にはどんな意味があるか、祭の目的は何か、御輿が周るルートはどうすべきか、こと細かに話し合った」

「そ、そんなに細かく…」

「祭の直前には、週に二回は出掛けてた。私が部長の時は特にね」


 呆れるように良を見ると、奴もはっきり驚いた表情をしている。

 けれど隣の千聡は、さして反応がない。不思議だ…と見渡すと、目の前の勝彦もぼんやり眠そうな顔で肘をついている。既に現実感が無くなっているのだろうか。


「私が三年の六月に、その祭が行われて、終わった」

「………」

「やってる最中は興奮してねー」

「でしょうね」

「何しろ、自分たちが提案した通りに祭が進んでいくんだから」

「………」


 祐子さんは机に腰掛ける。

 どうも落ち着きがない。


「それですごい充実感を味わって、二三日して、祭はもうやらないって話になって」

「なんで!?」

「ちさりん、そこで驚くようじゃまだまだ素人」


 どこをどう考えても千聡は素人だぞ。

 …って、そんなことはどうでもいい。何故だ?


「村の人たちがやる気を無くしちゃってね」

「なぜ…」

「簡単なこと。自分たちの祭じゃなくなったから」


 自虐的な笑い。

 再び立ち上がった祐子さんのポーズは、昼休みの勝彦と何も変わらぬものだったけれど。


「とにかく、私たちの提案が、祭を廃絶に追い込んだ」

「そ、それは…」

「祭神も、社の場所も、練り歩くコースも、すべてが村の人たちの手を離れてしまったから、もう村にとっては必要が無くなった」

「………」

「勝手に文献資料で「昔通り」に作り上げた正解なんて、もう地研の私たちにしか価値のないものだったってことよ」


 良がメモをとる手を止めた。賢明だ。

 今の奴がなすべきは、書き留めることではなかろう。


「それでここで会議を開いて」

「………」

「こんな風にね」


 そう言って祐子さんは、再び机に腰掛ける。


「で、部長として最後の提案が、研究会の解散」

「えっ?」

「正確にいえば、いったん解散して、今までの活動を清算して、それでやりたい人はまた集まる、と」

「…それが今の」

「そう。実際は顧問の教師が慌てて繕ったんだけどね。監督責任問われるから」


 相変わらず皮肉な笑顔の祐子さんがその「新生」研究会に参加したかどうか、一瞬聞いてみたくなって、すぐに思い直した。

 聞くまでもない話。そんな質問で、これ以上自虐的な笑顔を見せられたくはなかった。


「だからねー」


 ここで祐子さんは俺を見る。

 バカな質問をしそうな気配を察知した…わけはなかろう。


「本当は清川行きも反対だったのよ」

「…でしょうね」


 俺たちが沓喰五郎を知りたいと思う中にも、きっと功名心みたいなものはあるし、現に文献を探している以上、「本当はこうだったんでしょ」とか言い出す可能性は否定できない。

 こんな話を聞いてしまった今はともかく。


「でもまぁ、せっかくだから托してみようかなってね」

「それは、良に?」

「そ」


 当然のように、この場の視線は奴に集中する。

 その、将来を托されようという人物はしかし、困ったような表情のまま、無言。

 しばらく、そのまま時は流れた。


「そこでまぁ、問題がねー」

「………」


 相変わらず良は無言。

 代わりに身を乗り出したのは千聡だった。


「何が問題ですか?」

「あんた」

「へ!?」


 のけぞる千聡。

 そりゃそうだと思ってすぐに、さっきのやり取りを思い出す。

 どうやらそれなりに、あの会話にも脈絡があったらしい。相変わらずどうつながるのかさっぱり理解できないが。


「ちさりんが告白して一年?」

「え、え、えー…」

「なんて言ったの?」


 それにしても厳しい詮議である。

 千聡の真っ赤な顔を見るのも何度目だろうか。


「そのぉ…」

「だから姉貴、なんの関係が」

「ガキは黙る!」

「誰がガキだ!」

「あんた誰かに「好きだ」って言ったことあるの!?」

「ぐ………」


 今までに見たこともない表情で、押し黙る勝彦。

 それにしても、こんな無茶苦茶な姉弟喧嘩を見たのは初めてである…などと、冷静に眺めていられるのかどうか。

 いつ巻き込まれるとも判らない。ロシアンルーレットの順番を待つ気分とは、きっとこういうものではなかろうか。


「ストレートに言ったんでしょ?」

「そ、そうです」

「で、一年だ」

「はい…」

「勢いだけでなんとかなるのが一年」

「………」

「残り火が消えるまで一年」

「…………」


 なんだか話がヤバい方へ向かってる気がするぞ。

 いや、それは曖昧な予感ではない。どう考えても…。


「そ、そんなことないです!」


 沈黙を破る千聡。

 しかしなんでこんな話になるんだよ。もう逃げ出したいぞ俺は。


「だ、だいたい二人のことは私たちが一番知ってます!」

「そーおー?」


 すまん。悪いが俺もそれは疑問だ。

 身をえぐるような祐子さんの連続攻撃を前に、反撃する千聡はまだ健気だと思うが。

 …もう一人はどうした、と奴を睨みつける。


「…祐子さんには不満かも知れませんが」


 ようやく、急かされるように良が口を開く。

 その割にはのんびりしゃべるよな、しかし。


「二人で考えさせてください」

「そ、そう、私と良くんで」

「そんなこと出来るのかなー」


 その言葉だけ取り出してみれば、若い男女を冷やかすおばさんのようでもある。

 出来ればそうあってほしい、と思う。どう考えても無理だがな。

 この張り詰めた空気、硬直したままの勝彦。彼女の表情が見えない位置なのが少々救いかも知れない。


「ちさりん、ヒロピーと仲いいでしょ」

「ゲ」


 遂に来たか。

 一度深呼吸をして、勢いをつける。


「そ、それは」

「祐子さんはまさか、我々がいわゆる一つの三角関係だとでも言いたいのですか?」

「そんなこと言ったっけ?」

「言ってない言ってない!」


 いや、千聡に否定されてもこの場合あまり意味がないぞ。

 どっちにしろ、千聡に恋愛感情なんて抱いていないことは、自信をもって言える。あり得ない話である。うむ。


「ちさりんは、ヒロピーの方が話しやすい」

「………」

「好きじゃないからでしょ?」


 勢いをつけて、こくこくと頷く千聡。

 別に不服があるわけでもないが、だからといって面と向かってわざわざ好きじゃないと言われるのも、決して愉快な話ではない。

 あーぼくちゃんは今貴重な体験をしているう。思わず気が抜ける。


「好きじゃないから、ヒロピーになんでも頼んでしまう」

「う…」

「だから、ヒロピーのほうがちさりんを知っている」

「ひ、ヒロピーの前では見せないものもある!」

「でも、ヒロピーの前でしか見せられないものも沢山あるでしょ」


 眼前のやり取りは、間違いなく自分に関するものだった。

 かといって、俺が口を挟む余地はなさそうだし、そのくせ目をそらすわけにもいかないのが辛い。


「だからどうしろって言うんだよ」

「そうねー」


 今度はガキ殿のツッコミを流さず、それなりに真顔で返答する祐子さん。そのまま熟考タイムに入ったようだ。

 別に何か状況が変わったわけではないけれど、それだけでほっとする自分がいる。

 しかし、やがて顔を上げると、千聡に向かってまた意外な言葉。


「漫才やりなさい」

「は?」


 硬直するのは千聡。

 うつむき加減の頭を思わず上げたのは良。

 で、なぜか俺が声をあげる…などと、説明しても意味がないわけだ。


「ちさりんにはツッコミの才能がある」

「はぁ」

「ならツッコんであげなきゃ」

「はぁ…」

「良くんは隙間だらけでしょ。だから部員につまらない口実で私を押しつけられるし、こうなるのを予期してチョイスを余計に買ってないし、ちさりんと離れて座るし」


 千聡はぽかんとする。

 自分によって引き起こされたトラブルをすべて良に転嫁してしまう怒濤のしゃべりこそ、大いにツッコまれるべきシロモノに思えてならないが、たぶんこの二人にそういう選択は許されないのだろう。


「でも…」

「いいじゃない、私も千聡ちゃんは才能あると思うし」

「え、えーこちゃん」


 そういう話じゃないと言いたげな表情で、千聡は口籠る。

 しかし、事態はちさりん様の思わぬ方向へ進む。


「俺も賛成だ」

「勝彦…」

「だいたい貴様、一度ちさりんの蹴りを食らってみろ!」

「わ、わっ」

「うむ、それは同感だ」

「ヒロピーまで…」


 結局、当事者以外の全員一致により、二人はドツキ漫才の特訓を積むことに決定した。

 もちろん、最終的にそれをやるかやらないかは二人次第。いくら俺たちでも、ついでに祐子さんであっても、強制することは出来ない。

 例えて言えば、「今日限り別れろ」と命令する権利がないようなものだ。


「ということで、今何時?」

「さぁ…」

「六時半だ。先生なんだから時計ぐらい持て」

「要らないわよ。壁に掛かってるし」


 そういう問題だろうかと言いたくなるが、口にする気力はなかった。祐子さんにツッコんだところでのれんに腕押し、やはり徒労かも知れない。


「五郎ちゃんは、私もちょっと調べてみるから」

「…よろしくお願いします」


 何度目か判らない話題の転換も、いい加減支障なくクリアする。しかし五郎ちゃんってのはさすがに新鮮だな。

 そのままお開きとなりそうな会話は、しかしまだ蛇行する。


「私も」

「えーこはダメ」


 せっかく声をあげた彼女の申し出を、なぜかはっきり拒絶する祐子さん。

 会うのが二度目なのにすっかりみんなをあだ名で呼んでることにも感心しつつ、しかしその発言の真意が理解できず、次の言葉を待つ。


「面倒な調査は彼らに任せて」

「でも…」

「あなたには他にやるべきことがある」

「え…?」


 立ち上がりかけて、そのまま固まる彼女。

 他にやるべきこと…?


「ヒロピー」

「は、はぁ」


 真顔で呼ばれると、やはり緊張する。

 今度はどんな謎をかけてくるのだろうか。


「ドライブインで、沓喰五郎は何かしゃべった?」

「………さぁ」

「少なくとも、あんたは憶えてない」

「はい」

「えーこは?」

「…判りません」


 答えながらあの時の記憶を辿る。

 以前にもまして、多くを忘れていることに気付いたが、いずれにしろ俺がツルを顔見知りの女として見た瞬間はない。それだけは断言出来る。


「ツルはきっとおしゃべりなのよ」

「は?」

「詳細を語ってくれるのは、たぶんツルさんだってこと」

「………」


 なるほど。

 無言の彼女は再び椅子に腰掛けた。

 そうだ。言われてみれば確かに、あの場で俺はツルの言葉を聞いたかも知れないが、沓喰五郎として返事をしたわけではなかった。

 つまり、だ。

 あれはすべて、ツルが一方的に見ていた光景なのだ。


「だからえーこは、もう一度、二度はツルにならないといけない」

「………」


 相変わらず無言のまま祐子さんを見つめる彼女。

 口を開かないことが不思議に感じられた俺は、しばらくじっとその光景を眺めて、はたと気付き、うつむいた。


「記憶のない時間を過ごすのは怖いだろうけど、最終的にすべてを解決できるのはあなた」

「…………」

「ツルが五郎を好きだったなら、なおさら」


 そこで彼女の肩が一瞬揺れる。

 言われてみればそうであったに違いない。

 出逢った時の感触として確信した俺じゃなくとも、ツルが五郎を求める理由がどこにあったかなんて簡単に想像できるのだ。

 まして彼女にとってなら、これまでにもあったという記憶のない時間が、すべて五郎へ向かっていたと考えることもたやすいはずだ。

 もちろん、俺はあれ以前に体験していないのだから、そう推測した場合、ツルは逢えずにいたことになる。もしも何人も相手がいたら別だけど。


「ま、そう深刻に考えない」

「………」

「ヒロピーもえーこも強い子だから」

「う…」


 最後はわけの判らない言葉で締められる。

 ちょっとだけゆるんだ彼女の表情は、決して心から納得したというものではない。手伝うな、という命令は実際、いくらなんでも極端な話だと思う。

 ただ、とりあえずこの場で性急に結論を出すのはやめよう、とも思う。この一時間にいったいどんな話がなされていたのか。祐子さんの話は脈絡がなさそうであるし、ありそうでない。

 どうせ別に、これから図書館に行って調べようというわけでもないのだ。家に帰ってから、もう一度のんびり反芻しても構わないだろう。


「ま、ヒロピーはここ自由に使って」

「はぁ」

「山際博一、良くんの要望により、貴殿を本日付で名誉部員に任命する」

「名誉?」


 思わず睨みつけると、良が慌てて手を振っている。

 いちいち現役部員に罪をなすりつける祐子さんの狡猾さに戦慄を憶える。慄然とする。どっちでも同じことだ。


「だいたい名誉部員ってなんですか」

「さぁ」

「………」


 呆れるように問いかけたのだが、返って来たのは祐子さんの皮肉な笑みと困った良の顔。

 どうも裏があるらしいな。いちいち気の抜けない人だ。


「ま、とにかく帰りましょ」

「はぁ」

「今日は楽しかったねー」


 一同、動きが止まる。

 もうこんな胃の痛くなる時間は勘弁してほしいと、誰もが感じているというのに。


「あ、そうだ祐子さん」

「ん、何?」


 そう、誰もが……だろ?


「ショーくんが、一度祐子さんにも歌を聴いてほしいって」

「へー、そうなの」

「今日もここに来る前にみんなで聴いてたんです」

「なんだ、せっかくなら呼んでくれればいいのに」


 いずれショーに追及されるのが目に見えているとはいえ、何もこんな文脈の果てに誘わなくてもいいじゃないか、と彼女の頭がだんだん判らなくなっていく自分がいる。

 ともかく、この場は知らんぷりしてやり過ごそう。さー、もう暗くなったな、帰らないとなー。


「生きる意味」

「え?」

「なんて考えたことある?」


 しかし電気の消えた部室を出て、階段を降りる最後のチャンスに捕まったのは、他ならぬ自分だった。


「誰だってさ」

「はぁ…」

「語れるほどの想い出なんてものがあるわけよ」


 聞き耳を立てると、バランスを崩しそうになる、そんな場所でも構わず話は続く。


「だけど、そんな想い出なんてその人以外にはなんの価値もない」

「………」

「なんの価値もない想い出に」


 踊り場でこちらを振り返った祐子さんは、いかにも大袈裟なポーズで俺を指差した。

 その勢いに一瞬足が止まり、バランスを崩しかけた体を支えようと手すりを掴む手は汗をかいている。


「キミは命を賭けられる?」

「さ、さぁ…」


 命を賭ける?

 正直、言ってることが理解出来なかった。

 祐子さんの、たぶん今まで見たこともない表情から考えて、これは冗談ではないけれど。


「ま、これは宿題ね」

「宿題?」

「そ、今度来た時まで考えなさい」

「え、あ、あの…」


 今度ってどういうことだよ。

 聞き逃すにも無理のある襲撃予告を残して、風のように去りぬ。ああ無情…と、こんな時にまでジョークが頭に浮かぶ自分に呆れつつ、家路を急ぐ。

 高校一年生に、命をかける何かがあってたまるか。

 消えかかった足元を見つめながら、俺は走っていた。一分一秒を競っていた。

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