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川辺の祭  作者: nats_show
大海
12/84

波濤

 古本屋で買ってきたガイドブックを眺める私たち。

 地図を指差しながら、がらんとした部屋に二人寝転がる。



 温泉があるよと、色分けされた道をなぞる。

 一瞬そこに残る軌跡が、私たちの旅の記録。

 逃げ出すわけじゃないよ。

 心だけ、どこかへ行けたらいいね。





 温泉の彼方に連なる山。

 いつかそこを越えたなら、それは幸せだったのかな。

 それとも、やっぱり逃げ出すしかないのかな。







 楽しい英語の時間が終わり、教室には寂しい風が吹く。

 もうあの時間は還って来ないんだ…。

 そんな喪失感に覆い尽くされる昼休み。

 ………。

 もちろん嘘だ。

 俺がそんなこと思うはずないだろ?


 とにかく昼休みになった。

 天下の勝彦様のご意向で、これから我々愚民ども一行は、テニスコートそばの土手に移動ましますことになっている。

 バカ殿の「お耳寄りな話」が、本当に耳寄りらしいのだ。思わず敬語がおかしくなってしまうほど、それだけはあってはならないことなのである。

 ああ、世も末だ。世紀末は過ぎてしまったが。


「面倒くさい~」

「じゃあ来るな」

「うるさい!」


 意を決して立ち上がる。

 側では殿様に対して、千聡の回し蹴りが的確に決まっている。愚民のわりには態度のでかいヤツだ。まぁ、身分を超えて「手が合う」仲なのであろう。

 良への連絡は問題なく済ませた千聡。

 教室に戻って来た時の晴れやかな表情が、未だに持続しているのだから現金な話である。


「飯は?」

「パン買えばよろし」


 きっとその瞬間、俺は本当に情けない面をみせていただろう。


「わびしいのぉ」

「知るか」


 空腹は罪である。

 今頃、一階はピラニアみたいにパンを買いあさる連中で騒がしい、まさに魔の時間。あえて苦行を求めるストイックな修行僧ならともかく、わざわざその群に身を投じるというのは、どう考えても賢い選択ではない。

 ない…が、それしか選択の余地はない。なぜなら空腹は罪だから。

 ならばせめて、誰かを巻き込みたいところだ。しかし千聡はいつもきっちり弁当持参。意外なことに――余計なお世話というものか――料理の腕は悪くないらしく、その上、早起きしてでも自分で作るのが楽しみなのだという。

 アンビリーバボー。

 俺だったら一分でも長く寝たいし、毎日献立考えるのも面倒くさい。全くあり得ない話である。

 …脱線した。ともかく彼女は仲間ではない。そして、勝彦もしっかり自分の弁当を持参している。きっと親が作ったのだろうが、この際そこら辺の事情はどうでもいい。持参したという事実が許し難い。

 感情のおもむくままに、少々恨みがましい視線を向ける。すると、バカはさっと身構えやがった。

 取るかよ。

 俺はお前と違って紳士なんだよ。おそらく。


「さて、行くべが」

「…小川さんは?」

「あ。………そうだな」


 小川か。

 オガワ。

 O、GA、WA。

 はっはっは、すっかり忘れていた…というのはもちろん嘘だ。さすがにトキオの真似でもごまかせない。

 …うむ。

 言うまでもなく俺の頭には、まだ朝の一件があった。

 別に振り返ってみれば、何があったわけでもない。それは確かなのだが、やはり引っ掛かるものはある。どことなく気乗りがしない。

 それだけに、彼女をどう誘っていいのか困る。

 そもそも、彼女を巻き込むに値する話なのだろうか。何といっても勝ピー様のご託宣である。とてもじゃないが自信をもって「大切な話だ、来てくれ、ベイベー」とは言えない。

 ………。

 ベイベーはこの際要らないだろ。「君の将来を決める大切なことだ」、違う。「あなたが行かないなら私も行きません」、脅迫だ。だいたい俺は私なんて口にしない。

 いかん。

 どうでもいいことに熱中してしまう。ボクノセンセイハ~、ではない。無意識のうちに、俺は本題を遠ざけようとしているようだ。

 もしかしたら、意識しているかも知れないな。

 見ろよ、空の青がまぶしいな…。

 ウガー。

 昔の悪役プロレスラーみたいな雄叫び上げてる場合じゃない!

 とにかく彼女は一応当事者だ…どころか、紛れもない主役じゃあないか。さぁ来い、来やがれ俺と一緒に!


「あ、あの…」

「は?」


 耳元のか細い声で、ふと正気に返る。

 目の前には、見るからに不安そうな女の顔があった。


「………」

「……………」


 ふむ。

 どうやら悩み苦しんでいた俺だが、しかし体だけはさっさと彼女の前に移動していたようだ。

 謎だ。こんなことがあっていいものだろうか、いやない。

 そうだよな…じゃねぇだろ!


「あ、わ、わ、わ」

「踊り?」


 へ?


「………」

「……」

「……………」

「ごめんなさい」

「いや、まぁ、えーと」


 一気に気が抜けた。

 どうも小川悦子という女、一筋縄ではいかない相手のように思える。


「とりあえず…」

「え?」

「面白かった」

「あ、そう…ですか」


 引きつった笑顔。今を逃がさず攻めろ。

 俺もなかなかの戦略家だ。


「誓って言うが、小川さんを襲いに来たのではない」

「はぁ」


 誓って言うようなこととも思えないが、正直発言の是非をあれこれ考える余裕はない。


「例のことで何か新情報があるらしい」

「例の…」


 一瞬、彼女は表情を凍らせる。

 嫌な緊張感。すぐにゆるんだからいいのだが。触れて欲しくない話題なんだな。

 とりあえず、睨みつけるような視線にならないよう、ちょっと顔を動かした…ら、そこに弁当が鎮座していた。

 けっこう大きい。

 いや、決してドカベンとあだ名されるような代物ではない。そもそも今時ドカベンなんてあだ名は思いつくものでもない…と、それはどうでもいいのだ。バカか俺は。

 とにかく、いつも見慣れている千聡のヤツよりは、一回り大きいサイズ。


「…あの」

「ほ?」

「あげるほど余裕がない…と思う」

「ぉおぅ」


 情けない返答。出来れば声に出したくなかったが、出てしまったからには仕方がない。

 違う。

 違うぞ。俺は欲しいなんて思ってなんかいない…と思う。たぶん。


「ゴホン」

「………」


 上目遣いに――まぁこのポジションでは当たり前だ――不審者を覗く彼女に、改めて俺は話しかける。


「小川さん」

「はい」

「ちょっと外に出ようと思うんだけど…」

「はい」


 素直な返事にほっとする。…が、一瞬、彼女の視線が揺れたような気がする。

 振り返ると、そこには手を振る千聡がいた。俺が手間どってるので様子を見に来たのだろう。正直すまん。

 それにしても千聡という女は、信用だけはされている。彼女にしても、それほど付き合いがありそうには思えないのだが、千聡が口を挟んだら女子が俺を見る目すら変わるのだから恐ろしいことだ。

 …………いや。

 恐ろしいはひどいな。これまでも何度か助けられたんだし。とにかく、無事に彼女も参加することになって、我らバカ殿軍団はぞろぞろ教室を出た。

 クラスの連中は、概ね無関心。しかし二三の不審な視線も浴びた気がする。実際、奇妙な組み合わせには違いない。

 もっとも、奇妙とは言ってみたが、小川悦子がいる以外はいつもの顔ぶれに過ぎない。むしろいつも通りの時点で、十分不審者なのではなかろうか、そんな不安にかられるのは言うまでもなく、先頭で勝ピーがはしゃいでいるからだ。

 これは危険だ。非常に不安だ。行く手にはきっと、あっと驚く展開が待っているに違いない。隣を歩きながら、思わず足元に気をつける。別に意味はないけれど。

 廊下の角を折れる時に、ちらっと後ろを見た。

 彼女は千聡と何かしゃべっている。普通に笑っているから、取りたてて深刻な話題でもなさそうだ。もしかしたら昼飯どうしようとか、そんな他愛のない話かも知れない。

 …う、それならわりと深刻だな。

 はぁ、しかし相変わらず髪がなぁ。


「皆の者、靴を履き替えよ!」

「バーカ」


 う……。

 なぜ俺はこうも彼女の髪型なんぞを気にするのだ。

 それはそう、たとえば人生と比べれば、うんと些細なことじゃないか。


「あ、その靴可愛い…」

「そう?、えーこちゃんもそう思う?」


 何が人生だよ。疲れる。


「うん。いつ買ったの?」

「入学祝い」

「へー」


 俺の靴は…。やれやれ、まだ穴あいてないな。

 どうもファッションの話題は高尚すぎてついていけぬ。別に加わる必要もないと思うけど。


「起きてるか?」

「今眠くなった」

「そうか」


 昇降口を出たところで、良は一人立っていた。待ち伏せだ。好きだったのよあなた…ではない。アホか。

 なんとなく足元を見る。とりあえず、穴があいてるか心配するような性質のものではないようだ。残念。

 そういや、コイツは靴にこだわっていたな。もっとも、自慢じゃないが俺は黒い靴を見たら「黒靴だ」としか言えない人間だ。基準にしても意味がなさそうだ。

 まぁいいさ。俺にはちゃんと同志がいる。なぁ、勝ピー。


「山際…くん?」

「む、な、何かね」


 スタスタ歩き出す。

 このままではまるで歩く妄想癖野郎だ。

 …というか、既に彼女の目にはそう映っていそうな気がしてならない。


「まぶしい…」

「昼寝したいね~」


 テニスコートは昇降口を出てすぐの右手にある。別に何の変哲もない、硬式用のやつだ。

 で、土手はその向こう側。ここからでも見えるから誰でも知ってはいる場所だが、大木が並んでいて、少々薄暗い場所である。

 話によるとこの高校は元々お城があった場所に建っていて、土手はかつての石垣の名残りだという。高校に入学したその日、噂を確かめようと俺は良と一緒に――本当は、興味があったのは良だけだ――探検したわけだが、その時は少しだけ石垣の石らしきものもあった。もっとも、二三転がってるだけではとても判断出来ないけれど。

 まぁ、一番の証人はこの大樹だろう。

 見上げるような高さ。それだけでこの土手は間違いなく古い。俺はともかく、良にとっては十分満足出来るもののようだ。

 とにかく、到着だ。


「腹減ったぞ」

「大丈夫だ、俺の弁当はここにある!」

「そうか…」


 とりあえず、殺意が走る。

 しかし、手を出そうとして幾つかの視線に気付く。

 全く興味なさそうな千聡。草を掻き分けて石を探す良。そして、黙って俺の顔を見ている彼女。

 …………。

 悪いのは俺か?

 …いや。俺も悪いよな。


「で、勝ピー」

「おう」


 溜め息一つついてから勝彦を促すと、ヤツはさっと手を挙げる。

 これで誰か出て来たら、まるで昔のスパイ映画みたいでなかなか格好良さそうだったが、何も起こらなかった。

 気まずい空気だ。

 一番熱心にヤツの指先を見ていた千聡が、そろそろ怒りの表情に変わりそうだ。

 慌てて手を挙げ直す勝彦。しかしその腕にはただ、真っ昼間のぬるい風が吹くだけだ。

 相変わらず、詰めが甘い。

 ………。

 とはいえ、あのシーンを再現するのは難しい。相手に見つからないように、しかし合図は見えなきゃいけないのだから大変だ。俺だったらやりとげる自信がない。


「アホー!」

「あー!?」


 結局、これ以上ないくらい原始的なやりとり。

 間抜けなヤツの声に続いて、いきなりどこからかギターの音が!


「じ、二郎?」


 …ちなみに、かなり誇張している。


「古い!」


 …くっ。

 今時フォークギター鳴らして来る馬鹿には言われたくない台詞だ。


「おめがだ、聴けぇ!」


 さっと土手の向こうから飛びだして来た野郎。

 それにしても、制服にフォークギターというのは実に似合わないものだ。昔は似合っていたのだろうが。


「ダンダンデュビデュデュービデュバダッ」


 ………………。


「ダンダンデュビデュデュービデュバダッ」

「おーい」


 さすがの勝彦もツッコミを入れた。

 まだこいつにも人間の心が残っていたようだ。やれやれ。


「ダンダンデュビデュ…」

「やめれ!」

「うるせぇ、邪魔すんな!」

「それは敵国の歌だろ!」

「うっ」


 おいおい。

 なんか雲行きが怪しくなってきたぞ。


「だ、団十郎だば、俺もだめだど思う…」

「だめだ」

「んだども、影法師だば好ぎでねし」


 二人はいつの間にかしゃがみこんで、しんみり語り始めた。我々を取り残して、あっという間に世界が出来上がっている。恐ろしい連中だ。

 溜め息まじりに周囲を見まわすと、良は相変わらず草をむしっている。そして彼女は当然のように固まっている。

 しかし、なぜか千聡は怒りに震えているように見える。


「ジョニーはどうした!」


 なぜか、ではないな。一番正常な反応ではないか。


「ジョ、ジョニーだが」

「そうだ」

「た、確かにこないだ公民館で見だども…」


 しかし、誰だよジョニーって。

 もはや100%会話の意味がとれない。ここにいても無意味じゃねーか。誰かそう口火を切ってくれないかな。俺にはパンを買うという崇高な使命もある。

 とはいえ…。

 良はそもそも聞いてないし、まさか彼女には頼めまい。

 ち、ちさりん。今は君だけが…。


「ちょっとちょっと!」


 よし、その調子。


「なんだ?」

「うるせーな、今忙しーんだ」

「ジョニーはうちの歌手でしょ!」

「なに!?」


 は?

 千聡サン?


「うちの近所に住んでんだから」

「む、確かに店もこの町だ」

「だどもおらほの公民館さ来だぞ」


 い、いかん。もう限界だ。

 俺はこんな所で何をしているのだ。

 いや、それよりも、こんなことのために彼女をわざわざ呼びだしたのか。果てしなく悪いことをした気がして、恐る恐る横を見る。

 すると、目が合った。


「…あの」

「はい」

「申し訳ない」

「………」


 とりあえず、何か言っておこうと思って謝ってはみた。が、正直俺が口にしたところでどうなるものでもないような気がする。

 しばらく、無言で見つめ合う。

 実際は、俺の視線は彼女の弁当から足先までを行ったり来たりで、ほとんど顔なんて見てないけれど。

 彼女はなぜか、俺の顔を見ていた。

 少なくとも、俺が彼女の顔を一瞬見てしまうその時は、必ず目が合った。

 ………。

 う…。

 そんなに注目されても困る。

 この状況からして、他に見つめる相手がいないのは確かだが、見つめないという手もある。というか、普通は見つめない。

 だいたい、せめて俺を糾弾するように睨みつけてでもくれたなら、まだ対応の方法もある。

 出来れば糾弾されたくはないから、やはりどこか遠い空でも見つめてほしいけど。


「推測だが…」

「ん?」


 何の脈絡もなく、良が話しかけてくる。こいつのマイペースぶりもたいしたものだが、正直助かった。

 しかし、彼女がさっと良に向き直った。俺の緩慢な動作と比べて、その反応の敏捷さは驚くべきものだった。


「つまり」

「はい」

「そういう話があったってことだろう」

「そういう?」


 ほとんど初対面といっていい良に、すかさずつっこみを入れる彼女。

 一瞬取り残された俺は、呆然と彼女を見つめ、やがて気がついた。

 …そうか。

 今さらだが、彼女は本気で期待していたのだ。

 俺のような馬鹿が誘った、こんなチンドン屋まがいの行列にすら。


「クツバミゴロウの…」

「お!」


 良の言葉に、論争中だった勝彦が反応した。


「すっかり忘れてたぜ」

「あーそうか」


 殿様はポリポリ頭を掻いている。

 しかし普通は、反省する以前にこんなことはやらないものである。


「よし! みんな集まったな!」

「……………」


 冷たい視線を浴びながらも、どこかの青春ドラマみたいに仕切る姿は格好いい…わけがない。


「紹介しよう、五組の鮭川だ」

「お、鮭川正ださげ」


 控え目にジャランとギターを鳴らして挨拶する野郎。さすがに今更感は拭えないが、とりあえず自己紹介は必要だろう。

 もっとも、良とは同じクラスだから既に顔見知りだ。俺は直接話したことはなかったが、勝彦からどんなヤツかは散々聞かされていた。そして千聡とは、既に仲良く喧嘩している。

 …つくづく、彼女には申し訳ない。


「で、クツバミゴロウだ」

「おらほの英雄だ」

「は?」

「英雄?」


 正は偉そうにふんぞり返る。

 まぁ英雄だからな…って、説明になってない。


「おらほってどごだ?」

「俺の村だ」

「だからな…」

「うちより上流だ」


 勝彦もちょっと偉そうに注釈を加える。役に立たないが。

 だいいち、さんざん振り回しておいて、この態度はちょっと腹立たしい。


「あの、鮭川さん」

「ショーと呼んでくれ」

「ショー?」


 身を乗り出して質問しようとした彼女だったが、さっそく困り果てている。


「タダシじゃねーか」

「うるせぇ」


 正直、このシチュエーションで声を出すこと自体相当なプレッシャーなのだ。それなのに手掛かりがほしくて、必死に彼女は問いかけたのだ。みんな、少しぐらい気をつかってやれないものだろうか。


「で、どんな奴だ、クツバミゴロウは?」


 しょうがない。俺が彼女の代わりになるしかなかろう。

 もっとも、誰の代わりというより、これは俺自身が聞かねばならない問題だ。


「知らね」

「へ?」

「ばーちゃんが昔しゃべてだ」

「んだ」


 相槌を打つ勝彦もなまっている。少なくともお前は今、この町に住んでるだろうに。


「俺のばーちゃんも知ってた」

「勝ピーの?」

「うむ」


 ふーむ。

 もしかして、そんな有名な話なのか?

 俺はちっとも聞いたことないが…。


「それで、いったいどんな…?」

「判らん」

「お前も同じかよ」

「電話だからな」


 勝彦の返答はようやくマシになってきた。どうやら彼女の表情を見て、少し冷静になったようだ。

 会話の通じない状況も、いくらか改善されるかも知れない。


「ばーちゃんは耳が遠くてな」

「はぁ」

「ただ、話は知ってるみたいだった」

「ほぉ」

「直接会いに行けばどうにかなるかも」


 うーむ。あり得ない話というのはあるものだ。

 正直、俺にはいまいち実感がわかないけれど、隣に立つ彼女のさっきより少しだけ明るい表情を見ていると、とりあえず良かったのだな、と思う。


「会いに行けるか?」

「お前がか?」


 その瞬間の勝彦は余り肯定的な態度ではなかった。

 ついでに、ショー――と呼んでおこう――の表情も。俺では何かまずいだろうか?


「俺は是非とも知りたい」

「わ、私も…」

「ま、まぁそれはいいんだが…」


 勝彦はまたポリポリ頭を掻く。


「田舎だぞ」

「あ?」

「正んとこも大概だが、うちもド田舎だ」

「なにい! おらほは村の都会だ!」

「矛盾してるだろ、それ」


 なるほど。要するに言葉が通じない、と。

 確かにそれは心配だ。村の都会の正すら、時々どころかしょっちゅう意味不明なことをのたまうからな。


「通訳はいるんだろ?」

「…俺も全部は聞き取れん」

「いないよりマシだ」

「お呼ばれの身分で偉そうだな、ヒロ」


 良がツッコミを入れてくる。どうやら相当に乗り気になったようだな。

 ともかく、今や言葉の壁など問題ではない。俺たちは真実を求めているんだーだーだー。

 …って、真実?


「しっかし、本当にいたの」


 しばらく黙っていた千聡が、呆れたようにつぶやく。大声だけど。

 どうやら未だ、一人だけ戦闘モードの模様である。


「こっちは四郎三郎だもんね~」

「知らねーぞ、そんな野郎」

「知ってるよね~、ヒロピー」


 む。そんなタイミングで振るなバカ。

 しかし、残念ながら…。


「知ってる」

「ほらぁ」


 何がほらぁだ。

 小学校で習った、昔の金持ちの名前じゃねーか。


「五郎なんて今時流行らないでしょ!」

「四郎三郎のほうが変だ!」

「んだんだ、ややごしぞ、どっちがにせって!」


 結局、話は元に戻ってしまった。

 クツバミゴロウ様が郷土の英雄ということであれば、今後も同じようないがみ合いが続くのかも知れない。バカだ。

 …だいたい、なんでそこまで地元にこだわるのだ。

 確かに小学校の道徳の時間に、俺たちは沢山の「偉人」の話を聞いて来た。ある時は教師が恍惚とした表情で、その素晴らしい一生を語っていた。それは確かだ。

 しかし、本当は単に金持ちが、自分の商売に役立つことをやっただけじゃなかったのか。一方的に教え込まれる「偉人」に反発した自分が、本当はどうでもいいことしかやってないのに褒められる連中に嫌気が差した過去が、なんとなく良につきあうようになった理由だったような気がする。

 インチキを暴きたい。

 そんな思いなど、安っぽいヒロイズムに過ぎないのだが。


「戻るか?」

「ああ」


 だけど、どこか千聡に同調する自分もいる。

 心の底に、自分の生まれた町を褒めなきゃいけないような、そんなくだらない衝動が生き続けている。

 今はあまりにあからさまな千聡がいるから、俺は冷静でいられるだけだ。そんな気すらする。


「小川さん、飯は?」

「えっと…」


 苦笑する彼女の視線の向こうには、未だ激論を交わす千聡。

 おそらく、いや絶対に、一緒に飯を食えるようなシチュエーションではない。


「すまん」

「ううん」


 彼女は右手に弁当箱を持つと、少しだけ笑った。


「いいことあったから」

「そう…か」


 結局、闘う三人は放置して教室に戻る。

 もっとも、俺は売れ残りのパンを買わなきゃならないから、靴を履き替えるとすぐに別れたのだが。

 パンの売り場は目の前にある。

 俺はおっちゃんに目立つように、指の跡がついたあんパンを手前に並べ、眉間にしわを寄せてじっと睨みつける。そしてまた、考える。

 なぜ俺たちは三人と別れたのだろう。

 いや、三人と別れることが出来たのだろう。


「10円まけて」

「………」


 俺自身の理由は判っている。

 良は…、奴は中学のときに転校して来たから、郷土の話題ってもんには入れないと思っているのだろう。これまでも、そういう引け目を感じている場面に出くわしたことが何度かあるから、まず間違いない。


「40円!」

「…………」


 だが。

 彼女は、どうなんだ?

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