直前のピース
「なぁちさりん」
「え?」
「伝えといてくれ、今の」
「ちょ、ちょっと…」
二時間目が終わった休み時間。
後ろの席には、朝よりもさらに勝ち誇った顔の勝彦がふんぞりかえっている。
俺はといえば、文学的に表現するならば「苦虫を噛み潰したような」、なんて形容がぴったりの顔に違いない。つまり、非常に残念なことだが、勝彦様の意向に従わざるを得ない状況に追い込まれているわけだ。
「なんだ、いい口実だろ」
「…あ、あのねぇ」
まぁいい。とりあえず、話だけは聞いてやるさ。
一通り聞いてしまえば、あとは用済みだ。みんなで足蹴にでもして捨ててやろうか、ふっふっふ。
「よろしく。後は任せた」
「う~」
悪代官か、俺は。
ともかく、勝彦の話題というのが昨日の関係らしいから、ここは良にも来てもらおうと考えた。それはごく自然な流れであろう。
となれば、もちろん良への連絡役は、奴の恋人であらせられるちさりん殿にお願いするというのが筋である…はずが、色好い返事がない。
「恐いのか?」
「ま、まさか…」
「じゃあなんだ、良の息がクサイ…」
「ヒロピー!」
蹴り上げられる。毎度のことながら痛い。
しかし蹴り上げる前にやるべきことがあるのではないか。
「蹴ったからには行ってこい」
「…関係ないでしょ」
「ないのか?」
「………」
しきりに髪の毛をいじる千聡。
念のために説明しておくと、中央で軽く分かれまっすぐに伸びた髪は、肩より少し長いぐらいで、きれいにそろえられている。前髪は引っ張ると鼻の辺りまで届くらしい…と、これは眼前で実演中だから間違いない。
早い話、別に珍しくもない。
まぁ確かに、良が千聡の見た目を褒めた言葉は聞いたことがないが、それは千聡が鏡山部屋にスカウトされそうだとか、そういうことを意味するわけではなく、単に奴の関心がないだけである。
む。
今時、鏡山部屋もないだろ。我ながら古い。
「ちょっと」
「なんぢゃい」
「はげまして!」
いかんな。イライラするせいで悪意がこもってしまった。
俺も必要がないから口にするつもりはないが、千聡の見た目は十分褒められるレベルであると、心の中で弁護しておこう。中三の頃にクラスの連中が作成した「美少女トップ10」なる資料にも、密かに名前が載っていたぞ。参考になるかは疑問だが。
「ふぁいとー」
「…恨むからね」
………。
まさか素直に頑張れともいえねーだろ。たかが彼女が彼氏に会いに行くだけのことで。
だいいち、遠く離れて年に一度しか会えないとかいうならともかく、毎日顔をあわせていて、しかも同じ階の教室に行けばそこにいるのだ。まじめに応援するほうが滑稽というものではないか。
千聡はスロー再生のビデオ並みにゆっくりと、教室を出て行った。
入口の扉が閉まるのを確認して、自分の机に視線を戻す。
…やれやれ。難儀なことだ。
最初の頃はまぁ、校内でそういう行為――言っておくが、ただしゃべるだけだぞ――をするのが恥ずかしいのかと思っていた。
それなら理解出来なくもない。
俺には残念ながらそのような経験がないけども、同じシチュエーションに追い込まれたなら緊張はするはずだ。たとえ言葉で冷やかされるとか、実害を被らなくとも。
しかし、千聡の理由は違っていた。
「ハックンよぉ」
「何かね、ワタクシは予習で忙しいのだよ」
意味もなく腹が立ってくる。
なんのために毎日「彼女」と呼び続けていると思ってんだ。
「そこに落ちてるノート」
「落ちてねーだろ」
そんな困った女子生徒のノートを盗み見ようとする、困った男子生徒の企みを無視して、予習に没頭することにしよう。よし、決めたぞ。予習予習…。
俺が気にしたってしょうがないのだ。今の件自体の首尾なんて判りきっているのだし、奴らが動かなければそれまでではないか。
そうだ。
………。
なんだか判らないが、うまくいってほしいのだ。




