わだいがない 11
紺崎君の場合
「心の開き度合いの問題よ!」
友人の言葉に、僕はちょっと笑った。だが、友人はこうも続けた。
「そりゃ、ドアを開きすぎたら、いろんな人が入ってくるから傷はつきやすけど、最初から怖がってたら、恋なんかできない!紺君はドアをもっと開けるべきよ!」
通常なら、ドアを開けるだろう。しかし、世の中にはドアを開けて過ぎて、傷が付きドアが自然と開かなくなる者もいるのだ。
だが、彼女のドアは今日も大きく開かれている。
恋愛体質というべきか、いつも誰かに恋をして、できた恋人を中心に世界が回り、恋人がいない期間のほうが少ないんじゃないかという彼女は、今日も僕に恋を語る。
僕らを知っている共通の知人は言う。
「なんで、あんたたちが友達なのかわかんない。」
昔は、よくわからなかったが、歳を重ねて僕の思う正解は、「好きになる対象の好みが違うから。」である。
正直なところ、彼女が泥酔して、服を脱ぎだして、自分に迫ってきたら当然断らずに、彼女とホテルにでも入るだろう。若かったならそうしていたかもしれない。
だが、僕の周りの友人たちはちゃくちゃくと結婚し、子供ができ、へたをすれば離婚までいる。そんななか、遊んでいる場合なのか、という気持ちになるのはもう若くないからかもしれない。
今日もネイルのきれいな彼女がやってくる。実際にきれいかどうかはさておき、きれいだと言わないと、怒られるのだ。
「彼と喧嘩した。」
開口一番、これである。これにも慣れた。
「また?」
「だってぇ……。」
彼女が口をとがらせて、愚痴っていく。ほかの僕の友人はそれを聞くと、「バカだなぁ。相談に乗って、オレに乗り換えないか、くらい言えよ。」というのだが、もうそんな気持ちはどこかに行ってしまった。
「あ。」
「ん?」
彼女の見つめる窓の向こうに、地味な女性がいる。格好がだ。
「知り合い?」
「顔だけね。あの子さ、面白いんだよねぇ。」
そういうと彼女は、窓の向こうに向かって手を振った。地味な女性は気が付かない。
ばんっ
窓をたたく。
「おい、壊れるぞ。」
「気づいた、おーい。」
地味な女性は、彼女に気が付くと満面の笑みで手を振った。そして、オレに気が付くと、ぺこっと頭を下げた。
「入ってこない?」
彼女は、そう言ったが、窓の向こうには聞こえていないようで、彼女は手を振って去って行った。
「あーあ。行っちゃった。あ。あたし、コーヒーホットで一つ。」
「かしこまりました。」
おそらく窓を叩いたことを見に来たであろう店員にあっさりと注文をして、追い払った。この心臓の強さを少しでも分けてほしいものだ。僕は話の続きを振った。
「なに、面白いって?」
「んー。漫才みたいな子なの。」
「漫才……。」
「でもねぇ。あたしが思うに、あの子は絶対に人生、損してる!」
「なんで?」
「だって、面白い子だってわかるまでに時間がかかるんだもん。人に心開くまでに時間がかかるんだよねぇ。もったいない。ドアが開いてないというべきか。ああ、そういえば、紺ちゃんと似てる。」
「僕と?」
「そー。心のドアは90度しか開いてないの。しかも直角で。」
「90度も開いてりゃ、十分だろう?」
「だめ。170度くらい開いてなきゃ、人は来ない。90度じゃ、関心のある人しか来ないじゃない。まずドアが開いているのかどうか確認してから入ってこなきゃいけないでしょ。」
僕は90度開いているドアを想像してみる。なるほど、直角の90度は横から角度によっては閉まっているように見える。
「超美人だとか、超ハンサムだとか、お金持ちとかいう特徴があるなら、90度でいいけど、あたしみたいに一般的なのは180度手前くらいまで開けとかないと、誰も相手してくれないもん。」
「そうかぁ?」
「だいたい、紺ちゃんは人づきあいが悪い。」
「えー。なんだよ、急に。」
女性の話は基本的に飛ぶ。彼女と友人になって、これだけはいまだに慣れない。
「この間だって、友達を紹介したのに、ほとんどしゃべんないし。その前だって男友達としか話していないし。その前なんか……。」
そっと店員がコーヒーを持ってくる。話しているとなにも言わずに、伝票を置いて行った。
「あー、わかった、わかった。なんか、面倒でね。」
「これよ。」
「なにが?」
「それがだめなの。面倒って何?子孫繁栄のために生きなさいよ。男子のほうが数が多いんだからね。女の子なんか、いいのからさっさと持って行かれちゃうんだから。ま、いいのの基準が男と女じゃ違うけどさ。」
「まぁな。」
なぜ、彼氏と喧嘩の話から僕のダメ出しに話が飛ぶのかわからない。ここが女性特有で、男性の苦手なポイントだろうか。結論はどこだろう。
「で?」
「なにが?」
「彼氏と喧嘩したって?」
「そー。彼もねぇ、ドアの開いてない人なのよねぇ。」
「へ?」
話があっちこっちに飛ぶ。
「もうさ、男の美容師と話すのも怒るんだよ?美容師よ、美容師。ホント、最悪。」
心のドアとどう関係があるんだろうか。
「嫉妬深いってことか。」
「嫉妬深いのはいいんだけど。」
いいのか?
「怒らないでほしいのよね。黙って嫉妬してりゃいいのに。ぐちぐちとうるさいったらありゃしない!」
僕は黙って聞いている。基本的に怒っている女性にアドバイスは必要ない。肯定も否定もせずに、黙っているが正解なのだ。
「聞いてる?」
「聞いてるよ。コーヒー、そろそろ飲めると思うぞ。」
「そう?」
猫舌の彼女は、そっと飲んだ。
「うん。美味しい。あ、ごめん。」
携帯がぴろぴろ鳴る。
「もしもし。うん。なに?」
僕はその音だけで、誰からの電話だからか、わかっている。彼氏にはいつも同じ曲。窓の向こうを見ると、地味な女性がまた歩いている。お昼から戻ってきたのだろう。だが、その顔にさっき彼女に見せた笑顔の欠片もなかった。僕も普段はあんな感じなのだろうか。さっき似ていると言われたことが頭に浮かぶ。
「じゃあ、今夜ねー。」
ぴっ 電話は切られた。
「仲直りしたのか?」
「うん。すぐに謝ってくるとことが好きなの。」
いけしゃあしゃあというのだ。さっきまでの悪口はどこへ行ったやら。
「でね?今度あゆみちゃんとダブルデートしよう。」
またも話は飛ぶ。誰と誰がデートするのだ?
「あゆみちゃんって誰だ?」
「さっきの子。手を振ったでしょ。紺ちゃんにどうかと思って。」
「ああ、漫才の。いや、待て、なんでそんな話になるんだ?いーよ。デートとかしなくて!」「だから、紺ちゃんはダメなのよ!そろそろお母さんから結婚は?とか彼女はどう?とか聞かれない?」
「いや、聞かれないが。」
「あと、5年もしたら、口が酸っぱくなるほど言われるのよ!孫の顔が見たいとかさー。紺ちゃんは人づきあいに時間がかかるんだから、さっさと行動あるのみで、次々に人と会わないと、間に合わないでしょ。」
「おい、だからって……。」
好みかどうかも分からない人と話のは苦手だ。
「紺ちゃん。積極的にならなきゃダメ。待ってても王子も姫も来ないの!いい?明後日の日曜開けておいて。」
「ま、まて。」
僕は手帳を出した。
「出さなくてもわかってる。暇でしょ。」
まったくもって彼女の言うとおりだ。予定など入っていない。
「だけど、そのあゆみちゃんだっけ?の予定は聞かなくていいのか?」
「開けさせるわ。」
彼女はにこやかにほほ笑んだ。きっとあのあゆみちゃんは彼女の勢いに負けて、日曜にやってくる。僕はため息をついた。いったい、なにを話せばいいやら。困ったものだ。
「あゆみちゃんていうのは、顔だけ知っているんじゃないのか?」
「そうよ?でも、面白いんだもん。」
それだけで、ダブルデートに誘う彼女の心のドアを誰か少しは閉めてくれないだろうかと僕は心から願う。とりあえず、僕は会社に戻るために伝票を二枚持った。