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顔を真っ赤にして俯いた碧音さんは、猫が顔を洗うようにごしごしと両手で顔を拭っていたから泣いてるのかと思ったけれど、そういうわけじゃなさそうで良かった。
俺が買い足してきたボトルを手渡すと反射的に受け取って「何これ?」と包装をぎゅっと瓶に押し付けてラベルを透かせる。
薄っすらと浮き上がったワインのラベルをまじまじと見つめて、納得したように微笑んで抱えた。
根っからの酒好きだな。
音もなく苦笑した俺に気がつくことなく、碧音さんは、それはそうと……でもいうようにぽつぽつと切り出した。
「克己くん。えっと、その、私も、悪かったの。ごめんなさい。一方的に怒ったりして、克己くんの話も聞かなかった。私の方こそ、大人気ないよね。本当にごめん。手、痛かったでしょう? 小西さんのことは、本当にもう何でもないから」
階上に到着してドアが開く。それにも気がつかないように話す碧音さんの手を取った。軽く引けば素直についてくる。のんびりと廊下を歩き始めれば、俺より一回り小さな手に、きゅっと力が篭る。なんだか不安そうなその仕草が可愛いとか思ったら終わってる。
でも、俺は終わってるからするりと指を絡めて繋ぎなおすとぎゅっと握り締めた。誰かの手を自分から取ることがあるなんて、以前の自分なら、絶対にないと思っていた。
「本当に、私のせいで克己くんに嫌な思いをさせてごめんね」
「―― ……別に」
「……もう、顔を合わせるようなこと、ないと思うから……」
「寂しい?」
反射的に訪ね返していて、俺は地味に凹んだ。どれだけ小さい男なんだ。慌てて「今のなしっ」と取り消そうとした自分がもっと小さく感じて再度凹む。
そんな俺の一連の動揺に気がつくこともなく、碧音さんは素直に答えてくれる。「内緒だよ」と可愛らしく前置きをして
「ちょっとほっとしてる。私、そんなに良い人じゃないから……やっぱり、ちょっと辛いよ。それに、なんだか怖い」
「怖い? また気持ちが揺れそうで?」
うわぁぁ……また俺小さい……俺の中狭小過ぎんじゃねぇの……。
もうとっくに部屋の前についているのに、鍵をあけるのも忘れて話し込んでしまう。
「え? ああ、うぅん、まさか。そういう怖さじゃなくて、文字通り怖いの。他人が近いのはやっぱりちょっと怖い……」
「―― ……」
他人との距離の怖さは色んな意味で分からなくもない。だから思わず黙ってしまったら「そんなことよりも」とぐいぐいっと手を引かれた。
何? と顔を合わせれば、ふわりと笑みを溢された。
「かばってくれて……ありがとう……」
「え」
「私の名誉、守ってくれようとしたんだよね」
「……いや、別に……」
にこにこにこにこ……なんだろう、この碧音さんの妙に押しの強いところは……。がっくりと肩を落として、俺はこう答えるしかなくなる。
「どう、いたし、まし、て」
「うん」
あ! 鍵開けなくちゃとバッグからか慌てて鍵を取り出して開錠する碧音さんの後姿を眺める。かちっと開錠音がして玄関を開き肩で支えた碧音さんは俺を振り返って安堵したように微笑む。
「おなかすいちゃったね」
「ああ、そうだな」
「ねぇねぇ、今日の夕飯何?」
「ん? 今日は…… ――」
―― ……ありがとう……か……。
扉を支えれば、先に靴を脱いで「ただいまー」と声を上げる。
碧音さんと居ると、表情筋が鍛えられる気がすると思った傍から頬が緩んだ。
「克己くん、ただいま、忘れてるよ」
「は? あ、ああ、ただいま」
「おかえりなさい」
この馬鹿みたいに安穏としているのが、もう俺の日常だ…… ――