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俺が部屋を出て程なくすると、二人はあとを追うようにリビングまで出てきていた。
リビングに戻ると、碧音さんはまず携帯を片手に、うろうろ……そして、やっと決心がついたのかどこかに電話していた。
別に立ち聞くつもりはなかったけれど、そこらで普通に話をするから、普通に聞こえる。
「もしもし、弘雅さん? ああ、ごめん清明だったの。何か、暫らくきかないうちに、弘雅さんそっくりになっちゃったねぇ。それより、弘雅さんに変わってもらえる?」
―― ……実家か。
俺は、何だか理由もなくホッとしていた。
「あや。珈琲でも飲むか?」
「貰う。それにしても、TVもつまんないわねぇ。特番って、代わり映えしないから、あたしあんまり好きじゃないのよ」
ぶちぶちと、返事の返ってこないテレビに向かって文句をいっているあやの前に、珈琲カップをセットして、珈琲を注いだ。
そして、柔らかで暖かな香りが辺りを包む中……――。
「弘雅さん!!」
―― びくっ!
突然大きな声を上げた碧音さんに、俺とあやは顔を見合わせて、思わず肩を強張らせたあと、笑ってしまった。そんな俺達に気がついて、ちょっと顔を赤らめて背を向けると、声のトーンを落とした。
もう、遅いって。
それより、厳しい父親じゃなかったのか?
***
「弘雅さん、あのね。こっちに真葛さんが来てるのよ。分かってるの?」
『碧音ちゃんか。久しぶりだね。たまにはこっちにも帰ってきてよ。清明も寂しがってると思うよ。本人は強がってるけどさぁ』
ううう。頭痛くなってきた。
こっちは真葛さんのことで手一杯なのに、相変わらずの弘雅さんのおっとりのんびりとした話口調に少々苛立ちを覚えて、まだ、のんびり話をしていた弘雅さんの言葉を切って強引に話を続けた。
「明日! 必ず迎えに来てね。分かった?」
『うん。分かったよ。ごめんねぇ。碧音ちゃん。真葛ちゃんが迷惑かけてるみたいで』
「みたいじゃないよ! 迷惑っ。大迷惑なのっ! 分かる? あ、じゃあ頼んだよ」
真葛さんが、浴室から出てくるのが見えて、私は慌てて電話を切った。
「なんか、すっごい。ゴージャスだった!」
出てくるなり、少し興奮気味にそういった真葛さんを見ていたら、何だか同じ様なことを自分もいったような気がして、ちょっと恥ずかしくなった。
同じことを克己くんも思ったのか、視界の隅で一人で肩を揺らしていた。
「ほら、先に休ませてもらおう。うろうろしてたから、真葛さんも疲れたでしょう?」
「はいはい。分かったわよ」
「あや、克己くん。先に休ませてもらうね。今日は本当にごめん」
「おやすみぃ」
また、真葛さんが必要のないようなことを話し始めてはいけないと、私は無理矢理、真葛さんの背中を押して寝室へ向かった。
***
碧音さんたちが寝室に消えたのを待っていたかのようにあやは口火を切った。
「で、どんな感じ?」
「どんなって?」
何を問われているのか分からないわけではないけれど、あえてはぐらかせば、あやはくすくすと笑ってローテーブルに載ったカップを奥へずらし
「お酒のほうが良いわ。何かない?」
自分の要求を述べる。あやは、どこまでもマイペースだ。
「ブランデーで良いだろ」
仕方なく、俺は後ろを振り返り、リビングのコーナーの棚に置いてあったブランデーをとり、テーブルに載せると、立ち上がり氷とグラスをとりにキッチンへ移動した。
―― ……がらがら。
グラスに直接氷をいれるとあとは自分でやれとばかりに、グラスを手渡した。
あやは特に文句をいうでもなく、受け取るとグラスに飴色のブランデーを注ぎ、からからと、グラスを揺らす。
俺はその隣に座り、あやの姿をまじまじとみたが、相変わらす綺麗だという以外の言葉は浮かばない。
「あんたは、何だか、丸く収まっちゃってるけどさ。あの子の方はまだ、複雑なのかしら?」
―― ……ぽつり。
一言、そういったあやの言葉はその言葉の意味以上に俺に重たくのしかかった。正直、きっと複雑なのだろう。
だから、碧音さんはどうする術も見出すことが出来なくて、こうなってしまうんだ。碧音さんにとって、俺はまだ、そこまで確立された何かにたどり着いていないのだろう。
そう、考えると心のどこかが、ざわざわと騒いでいた。
「あらら。黙っちゃったわね。良いのよ、別に」
「何が?」
「うん。良いの。休み中もちょっと心配だったけど、碧音。大丈夫だったみたいだから、休みの間に顔が見られて良かったわ」
「そう、か」
あやはそういったが、碧音さんはここのところちょっと妙なときがある。
あの日、実家から帰った……そうきっとあの日から、たまに心ここにあらず。といったように、遠くを見てるときがある。
そのとき一体何を考えてるのか、今の俺では分かることが出来ない。
分からないから、分かりたいのに……その分かる術が見つからない。
小さく溜息を吐いた。そんな俺を見てか、あやは微かに目元を緩めた。
「良いのよ。分かろうとする姿勢がきっと、大切なんだと思う。分かることが出来るか、出来ないかはまた別の話。でしょ?」
「やけに道徳的なことをいうようになったな」
「ふふ。碧音の受け売りよ。あたしの言葉じゃないわ。じゃ、ご馳走様。あたしも寝るわね」
にっこりと、そう話し終えるとあやはその場を立ち、碧音さんの部屋へ消えていった。
俺はその姿を見送ると、空いたグラスにストレートで注いだ。
今夜はまだ、眠れそうにない…… ――