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―― んー……?
今朝もいつもどおり、良い匂いで目が覚めた。でも、今朝のはちょっと違うかなぁ。
私は寝ぼけ眼のままリビングの方へ出てきた。その先には、早起きした克己くんがエプロン姿でお鍋をかき混ぜていた。
「おはよう。何作ってるの?」
―― びしっ!
「おはやくない!」
振り向きざまに、おたまを突きつけられて突っ込まれてしまった。いわれてちらりと時計に視線を走らせる。
―― ……て、ああ……10時過ぎてるんだ。そりゃ早くはないな。あはは……。
曖昧に微笑んだ私は「それで?」と質問の答えを促した。克己くんはもう一度お鍋に向き合うと完結に応えてくれる。
「おせちの準備してるんだよ」
「ほう。おせち?」
ひょっこりと覗き込めば煮豆だ。つやつやと綺麗。
「まぁ、二人だからそんなにたくさん作らないけど、何かリクエストあったらいってもいいぞ?」
「んー。栗きんとん」
手を伸ばしかけた私の手の甲を、ぺしっと叩いてその場を離れると克己くんは話を続ける。私は叩かれたことを無視して一つ摘む。美味しい。
「だから摘むなよ。ほら、さっさと、顔洗って。栗の皮を剥く。―― ……了解?」
振り返った克己くんに、どん。と、ダイニングテーブルの上に、栗と皮剥き機を、ぽんっと乗せて私の顔を見た。
「了解」
と私は軽く返事を返して顔を洗いに洗面所に向かった。
それにしても、本当、克己くんって、まめだよねぇ。世の主婦だって、家でおせち作ったりしないだろうに。
いつものことだが、感心しながら、歯ブラシを咥えた。
「―― ……出来た。もう、無理手が痛いよ」
***
―― ……はぁ。碧音さんに頼んだ俺が馬鹿だった。
「……分かった。もう良いから」
俺からは溜息しか出なかった。結局、ボウルの中身を確かめたら10個あるかどうかだ。
まぁ、栗の皮はぐのは結構大変だけどな。
「私、お飾りとか買ってくるよ。ね? そうしよう」
少しは申し訳ないと思ったのか、ぽんと手を打つと、そういってコートとバッグを手に持った。
「何か買い忘れない?」
「こっちは大丈夫だけど、人が多いから、気をつけろよ。後、遅くなるなら連絡いれろ」
「―― ん。了解。」
この間のことがあったので、ちょっと素直だった。「行ってくるね」とにっこり、微笑んで、部屋を出て行った碧音さんを確認して、俺は続きに取り掛かった。
***
―― ……そんなこんなで、正月三が日は平和そのもの、最初こそばたついたものの、同棲生活も安定して平和だった。
ぼんやりと、お正月の特別番組を眺めながら、私は冷酒をすすっていた。
克己くんはといえば、バイトに出ている。今日から『X―クロス―』は営業を始めるらしく忙しいようだ。
昼間から、呼び出されて、あわただしく出て行った。
「―― ……退屈」
どこに回しても特番ばっかりで、あんまり面白くない。その上、手酌酒とあってはますます面白くない。私のぼやきは独り言に変わっていた。
―― ……RRR……RRR……RR……
ちょうどその時、携帯が鳴った。
あやからのお誘いだろうかと、ほくほく顔で手に取ると、発信元は「公衆電話」だった。一体誰だろう。不信感を隠せないまま、しつこくなる電話に痺れを切らして電話に出た。
『遅いじゃない?! 何やってたの? 碧音ちゃん!』
その一方的な会話の声にどこか聞き覚えがあって、ほんのり、酔っていた頭が急に冴えた。
「ま……ま、真葛さん?!」
『そうよぅ。碧音ちゃんてば、今年も帰ってこないんだもん、心配しちゃうじゃない』
どうにも気の引き締まらないテンションは相変わらずだ。私は寝転がっていた身体を起こして、面倒臭いという体を隠すこともなく返答する。
「―― ……で、何の用事?」
『冷たいなぁ。んん。今日はさぁ。碧音ちゃんのことが心配で遊びに来たのよ』
調子の良いその語り口調。私は、真葛さんの突拍子もない話に半ばめまいを覚えつつも、気を取り直して、気持ちを保った。
「あのねぇ。真葛さん? 遊びに来た……て? 何? 今どこにいるの?」
『ん? 駅だよ。ちょっと、観光してから、そこ行くね』
「ええ?! 駄目だよ。私、もう、あそこに住んでないし」
『え? じゃぁ、どこに住んでるの?』
「―― ……ええっと。友達のとこで同居させてもらってるのよ」
嘘でもないけど、咄嗟に同棲しているなんて言葉は避けた。
『ふぅ~ん……。良いよ、どこででも、寝られるから』
「―― ……え、ちょ、泊まる気っ?!」
『それじゃ、また後で電話するわね』
「ちょっ!!」
―― ……そういう、問題じゃない。
いいたかったがそれをいう前に、電話は切られていた。
これは弱った。
さて、どうしたものか……。
私は、酔いのさめた頭を働かせて、とりあえずもう一度受話器を握りなおした。
「良かった。今年は日本にいるのね」
『はい? 今は、海外だって携帯使えるのよ?』
「え? いないの?」
私が、電話をかけた相手はあやだった。このところ、年末は決まって海外にいっているので、正直捕まるとは思っていなかった。
『はいはい。居ますよ。日本にね』
「何だ。意地悪いわないでよ」
とりあえず、あやに事の次第を説明して、ひとまず受話器を置いた。