―5―
「あれ……?」
思わず漏れた言葉を、あやが見逃すはずもなくすばやい返答があった。
「トイレよトイレ。心配しなくても、帰ったりしてないわよ」
「誰も、そんなこと、聞いてないだろう」
「で、あたしの計画通りになってしまった、感想でも訊こうかしら?」
くすくすと小さく笑い声を上げながら、あやは俺の答えを待っていた。今日もあやは頭の先から足の先まで完璧でいつもこいつはソツのない女だ。
さて、どう答えたものかな。俺は暫らく沈黙してしまった。
「ま、良いわ。あんたの口から聞かなくても、あんたの顔見れば分かるような気がするし。大事にしてやってよぉ。いっとくけど、あたしの唯一の女友達なんだから、泣かせたり傷つけたりしたら」
続きをいい止まって、にこにこ。
そのにこにこが薄ら寒くて恐い。別に酷いことをするつもりはない。大体、自分から折れるなんて俺にしたら天変地異の前触れというほど珍しいことだ。
「―― ……ああ、分かってる。ていうか、どういう顔なんだよ」
「さあ、ね。今日は、克己のおごりでしょ? なんといってもあやちゃんは恋のキューピットなんだからさ。ほら、もう一杯ついでちょうだい」
「……フツー社会人が学生におごらせるかぁ? ったく」
ワイングラスをあけたあやが、ゆらゆらと俺の前でグラスを揺らしてみせた。仕方なくグラスをうけとって、そこへワインを注ぎいれた。
まぁ、今日は最初からそのつもりだったし、別に良いんだけど。
しっかし、こいつも酔ってんのか? ころころ、よく笑うな。あやって、もっと大人な感じだったような気がしたんだけど。
もしかして、喜んでいるのだろうか? 含んだ笑みでもなく作られた笑みでもなく、思わず漏れてしまうようなそんな喜び?
「あ、私のにもお願い。」
そして、席に戻った碧音さんは、ほんのり赤い顔を緩ませていた。
***
「やっぱし、あんな無愛想な子でも顔さえ良ければもてるのねぇ」
あやが、何かを確信したように呟いた。
確かに、そうなんだろう。後ろに集まっていた、女の子がかわるがわる、ちょこちょこ追加を頼みにカウンターまで足を運んでいる。
「克己も、もうちょっと、愛想笑いでもしてあげれば、あの子達も喜ぶでしょうに」
「そうだねぇ。体中から『いっぺんにいえよ』って台詞が滲み出てるもんねぇ」
「まぁ、そのほうが、あんたも安心できて良いでしょ」
「なっ! 別に私は、克己くんと付き合ってるとかそんなんじゃないんだから!」
にんまりと私に問いかけてきたあやに慌てて反論した。
そう、別に付き合うとか、付き合わないとか、そんな話になったわけじゃないし、それに私は……――。
「何? 静也と別れたばかりなのを、気にしてるの?」
その一言に小さく頷いた。
そんな私に、あやは「やれやれ」と小さく溜息を吐き言葉を続けた。
「別にあんなやつのこと、気にすることないわよ。それに、失恋の特効薬はやっぱり、新しい恋ではないかな? 碧音くん」
「もうっ。茶化さないでよ」
―― ……ぱしっ。
にこにことそういって、私に人差し指を突きつけたあやの腕を軽くはたいた。何か、今日のあやって、ちょっと子供っぽい。酔ってるのかな。そんなに飲んでないと思うんだけど、って、私と比較したら駄目だよね。
「ま、あんたのことだから、勝手に必要ない障害を沢山作ってんだろうけど。こういう、波に乗るってのも悪くないと思うわよ」
「―― ……」
―― ……こういう波……ね。
あやは、私の返答を聞かずに席を立った。
「あたしは、次の予定があるから、あんたそれ飲んで帰っといてね。克己のおごりらしいから、残したら悪いわよ」
笑顔でそういいながら、私の肩を軽く叩いて、その手をカウンターにいた克己くんにも振りつつ店を出て行ってしまった。
飲んで帰れって、これさっきあけたばっかりで、八割がた残ってるじゃない。
はぁ、何で学生ばかりの店内に私は一人で、ワインを飲んでないといけないのよ。私一人部外者なんて益々居心地が悪いっていうのに。
そう思うと、少し機嫌が悪くなった。