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―― …… ――
「ちょっと! あや!! まだ、仕事中!」
お昼の休憩にもならないうちに、突然やってきたあやは、私を引っ張って部屋を出た。
ずるずると引きずられるように休憩室に連れ込まれ、そこに設置されたソファに座らされた。
「何飲む?」
「ああ。牛乳屋さんのコーヒー」
同室に設置してある自販機に小銭を入れつつきいてきたので、条件反射で答えてしまった。
カコンッ……。
紙コップが軽い音を立てて落ちてきて、珈琲を注ぐとあたりに甘い香りが漂った。
こんな中途半端な時間にこんなところでサボっているのは私達ぐらいのものだ。出来上がったコップを私に手渡すと、あやは隣に腰掛け、煙草に火をつけた。
「あれ、あや煙草やめたんじゃなかったの?」
「ん? そんなこといったっけ? まぁ、良いじゃない。そんなこと」
ま、そんなすぐにやめられるもんじゃないのかもね。私は吸わないからその辺のことはよくわからない。
―― ……ふ~~っ。
と、一息白い煙と一緒に息を吐き捨てたあやは、まじまじと私を見つめた。その視線に耐えかねて、私はおずおずと問い掛ける。
「な、何かなぁ? あやちゃん」
「昨日と服が変わってないわ」
ぽつり。
そう呟いたあやにどきっとした。
その様子に感付かれたのか、にんまりと笑ったあやは私の肩をぽんぽん叩いた。
「慰めてもらったわけだ」
「あっ、あやぁ~」
―― ……そんな、実も蓋もないような言い方しないでよぉ。
「あらら。ごめんごめん。真っ赤になっちゃったわねぇ。可愛いんだから、碧音ちゃんてば」
「も~」
「あたしは、お勧めだけどね」
「え……?」
「克己のことよ」
私の手の中から珈琲を抜き取ると、一口飲んでぽつりぽつりと話し出した。
「悪かったと思ってるわ。静也のことは」
「―― ……うん」
あやのこんな真剣な声、聞いたことがなかった。人は誰でも、誰にも見せない顔を持っていると思う、その一面を今少し垣間見ているような気になった。
私が、傷付くのと同じ様にあやもいえないということに、傷付いていた。心を本当に痛めてくれていた。
「ありがとう」
「え?」
「私のこと、ずっと心配してくれてたんでしょ。私全然気がつかなくて、ちっともそんなあやの気持ちわかってあげられなくて。どうしてなのか本当に分からなくて……」
上手く説明出来なかったけど、でもどうしてもお礼がいいたかった。
あやにも……克己くんにも……。
「で、どうだった? 上手かった?」
「え?」
「だから~。昨夜のことよ」
「あやっ!!」
人の台詞をあやが聞いていたのかどうか定かじゃないけど、上手いことはぐらかされたような気がした。でも、それでこそ、いつものあやなのかもしれない。私は確信に似た何かを得て、人の顔を覗き込んでにやにやするあやの頭を小突いた。
「あ、そうだ。克己くんが夜、店の方においでっていってたんだけど。いける?」
「ん? 今夜……よね?」
こんな日にあやの予定がオフなわけもなく、当てにしないで返事を待った。あやは暫らく考えていたが、すっと携帯を取り出して電話を始めた。
***
「で、どうなったんだ?」
昨日の夢から覚めないような状態の俺を家から引っ張り出したのは、いつものこいつらだった。
わざわざ、聞く必要もないようなことで、俺は呼び出された。
真の緩みきった顔を見れば、昨日どうだったかなんて、容易に想像付くだろうに、透は直接確認したくてうずうずしているようだ。
「あ、ああ。丸く収まったってとこかな」
余程嬉しかったんだろう、へらへらとだらしない顔で答えた真の様子を見ていると何だか馬鹿馬鹿しいというか微笑ましかった。
「だろ? 瑠香ちゃんって、ぼおってしてるからさ、お前が気にするようなとこにまで、目はいかないんだよ」
「ぼおっとは余計だ」
「でも、瑠香ちゃん可愛いもんなぁ。良いなぁ。真、二回目もOKしてもらってさ」
「―― ……まぁな」
「おい! 聞いたか克己!! まぁなだってよ。かぁ! やってらんねぇ!」
―― ……バサバサッ!!
あまりにも、透の部屋の状態が厳しかったので、ごそごそと片付けてやっていたのに、のっかってきたもんだから集めた雑誌をあたりにばら撒いてしまった。
「あ、悪い。大丈夫か?」
「分かった。分かったから。俺から降りろ」
はぁ。
ここを、何とかするのは無理なようだ。どうせ、ちょっと片付いたところで、何分それが保たれるのか保障があったもんじゃない。
溜息交じりでそういった俺の言葉は全く無視なのか、透は俺の首に腕を絡ませていた。
そして、耳元でぽつり。
「それで、克己くんは碧音ちゃんとは、どうなったのかなぁ?」
「―― ……!」
思わず、透の絡みつく腕を払いのけた。
「あらあらら~? 克己くん顔が赤いわよぉ」
にやにやと、透が人の顔を覗き込んでくる。俺としたことが、こんなことに、動揺してしまった。情けない。
「べ、別になんにもない!」
「え? 何、古河ってなんかあったのか?」
「だから何もないって」
興味津々に話に入ってくる真に、すばやく返答する。
「まぁ、それはおいおい聞くとして」
―― ……何だよ。おいおいって。
掻き雑ぜるだけ掻き雑ぜて、さっさと話題を変えてしまう透の自由人っぷりは称賛に値すると思う。
「今日、克己バイト入ってるっていってたよな」
「あ? ああ」
「なぁなぁ。そこで、X’masパーティとかできないか?」
―― ……また、くだらないことを考えて。本当に馬鹿騒ぎするのが好きな奴だなぁ。
透の提案に少々呆れていたところに、携帯が鳴った。引っ付いて離れない透を足で引き剥がし、電話に出る。
「あ、そうですか。じゃぁ、今からそっち行きます」
2.3言返答して俺は電話を切った。興味深げに二人の視線が集まるのを邪魔臭く思いながら、ぱちんっと携帯を閉じて、ポケットに押し込む。
こいつらに付き合っている暇は本当になくなってしまった。
俺はそこらに散らかっている、雑誌にちゃちゃっと電話番号を控えて、透に渡した。
「これ『X―クロス―』のマスターの電話番号だから、やりたかったら自分で何とかしろ。俺はちょっと、行くところが出来たから」
「ええ~。帰っちゃうの? って、お前の紹介っていっても良いのか?」
―― ……こいつ、本気なのか……。
まぁ、俺の紹介だろうがなんだろうが、そんな話きっとOKしないだろうから、別にかまわないだろうと思い、俺は「好きにしろ」と頷いて部屋を出た。