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「朝から、よく食うよな」
俺は唯一、碧音さんに入れてもらった珈琲を傾けつつ、ぼやきに似た暴言を吐いていた。
「朝は食べないと駄目なんだよ。そのくらい克己くんだって知ってるでしょ」
「知ってるとか知ってないとかじゃなくって、それを実行するやつが居る時点で不思議だ。二日酔いのくせに」
「そっかなぁ」
少々不服そうな表情は見せたが、碧音さんはそれを言葉にはせず代わりにトーストを口に運んだ。
「ええっと、薬飲んでいくか? 頭痛いんだろ?」
「うん。貰っとく」
碧音さんの返事をまってソファーの後ろにある、引き出しをがたがたとさせ、取り出した鎮痛剤を碧音さんの横に置くと、そのまま隣に腰掛けた。
「碧音さん」
「……なぁに?」
俺の声がちょっとこわばったのに気がついたのか、手に持っていたトーストを皿に戻し、俺のほうに向き直った。その目はいつもとなんらかわらない、綺麗で真っ直ぐな瞳だった。
俺は、一度大きく深呼吸して、呼吸を整えた。
「一緒に暮らさないか?」
「―― ……へ……?」
突然そんな話を切り出した俺に、碧音さんは目を白黒させて、珍しいものでも見るようにマジマジと見つめた。
「ここに、居て欲しいと思うんだけど。駄目か?」
そのまま、言葉を付け加えた俺を見て、碧音さんは少し目を細めた。
この表情は前にも見たことがある。
いつもは童顔なくせしてこういう表情をさせると、この俺にも大人を感じさせる。どきりと胸が弾み、合否を問う時ですら特に緊張したことのない俺を緊張させる。
つっと碧音さんは脇においてあった、珈琲を一口口に含んでゆっくり流し込んだあと、口を開いた。
「克己くん」
「ん……?」
「あのね。一緒に暮らすっていうのは、大変なことなんだよ? 今日急に話を始めて、はい。そうしましょう。とはいかないの。分かるよね?」
「―― ……ああ」
俺の冗談のような発案を、碧音さんは真っ直ぐ受け止めてくれていた。
普通なら、冗談で笑い飛ばされそうな発言で、自分でも思うくらい突飛なのに。俺はきっと碧音さんのこういうところも気に入っている。
「で、駄目だと?」
「だから、駄目だとか、駄目じゃないとか、そんなこと急に決められないし、住むなら住むで、いろいろ決めなきゃいけないこともあるし、ほら、家賃のことや、光熱費とかの、お金のこととか」
「じゃあ、嫌か、嫌じゃないか。今はそれだけでも聞きたいんだけど?」
何だか、子供を宥めるような口調にまどろっこしさを覚えて、俺は柄にもなく結論を急いだ。
***
克己くんの目は本気なんだと思う。
いろいろとあったから、嘘を見抜く力には自信はなかったけど、今の克己くんの言葉には嘘はないと確信に近いものがあった。
そんな、克己くんを前にしていると、心の中がきゅう……となって、何だか苦しかった。
だから、私は
「駄目でも、嫌でも、無いよ」
―― ……克己くんがそう望むなら。克己くんが、私を必要としてくれるなら……。
そう答えることしか出来なかった。本当に、私、駄目な女の見本かもしれない。
でも、その答えを聞いた克己くんは、ぎゅっと私を抱きしめた。恋愛感情なんて抜きにしても、自分の中で男前だと思っている人にそうされると、身体が緊張し頬が熱を持つ。
「か……克己くん?」
「良かった! はぁ……こんなこというの初めてで、無茶苦茶緊張してたんだよ。何か、いろいろ難しいこというから、どうしようかと思った」
折角ブローした私の頭をくしゃくしゃにしながら、一気にそういった克己くんは普段の雰囲気とは違って、まるで子供みたいで可愛かった。
一旦、家へ帰ろうかと思ってたけど、克己くんとあんな話になってしまったので、そんな時間の余裕はなくなってしまっていた。
職場へ急ぐ中、私は、何となくさっきまでのことを考えていた。
今まで、いろんな人と付き合ってきたけど、一緒に暮らしたい。そういわれたのは正直なところ、初めてだった。
家事もろくろくこなせないような女が家にいても、邪魔なだけだろうということはゆうに想像出来た。その点で行くと、克己くんは、家事一般もきっちりこなすし、私にやらせようとか、そういうあれは無いのだろう。
でもだからってどうして私?
それならそれで、もっと良い人が居るはずだし、わざわざこんなお荷物背負う必要ないと思う。
「帰りに、店の方にあやとでも来いよ。美味いワインと飯でも用意しといてやるからさ」
笑顔でそういった克己くんは、キスで私を見送った。
出会ったころのふてぶてしい態度の彼はそこには存在していなかった。
一体、どういう風の吹き回しなんだろう。私は、からかわれているだけなんだろうか、それとも、大人のくせに情けない私を見ておけなくて?
今の私たちの関係は何だろう?
恋人ではないし、友達……というには深く踏み込みすぎているような気がする。
いや、世間的にはそういう関係だけの友達というのもありだということも聞いたことがある。克己くんだって今時の子なんだから、そういうこと、なのだろうか?
でも、それならやっぱり私である必要はない……よね?
比べる対象がないから分からないけど、ずば抜けて床上手というわけではないと思う。
確実に克己くんはモテるタイプだと思うし……渦巻くのはそんな疑問ばかりだった。
はぁ……
と吐いた溜息がほわりと白く浮かんで冷たい風に攫われていった。