―21―
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『15分以上連絡がなかったら、好きなようにしてて良いからね』
初めて待ち合わせをした日、小西さんはそういってくれていた。
私も、それを守っていれば、いつも待ちぼうけのようなことはしなくても良かったのだけど。
ここを、離れてすぐ来たら
すれ違いになったら
そう思うと、私はいつもそこを離れることが出来なかった。
今日は、時間の約束なんてしていない。
だから、何時になるか分からない。私は好きで早めに待ち構えているわけだし。文句をいっていく先もいう必要もない。
「碧音ちゃん」
つまらないことを思い出していたら、いつもの柔らかく心地良い声が聞こえた。
振り返ると少し息の上がった小西さんが視線の先に居た。
私の心臓は、とくんっと一度跳ねたあと鼓動を早めた。思いのほか、早い到着と、これから自分がハッキリさせなくてはいけないことを考えると、握った手が少し震えていた。
私のそんな心を知ってか知らずか、小西さんはいつもと変わらない笑顔で歩み寄った。
「これでも、急いだんだけど。やっぱり、碧音ちゃんにはかなわないな」
「今日は、暇だったんですよ」
これは本当だ。
葉月チーフはこういうイベントが大好きで、今日はノー残業デイと決め込んでいて、終業時間と共にそそくさと引き上げてしまったのだから。
「ええっと、どうしようか。ここで、良いの? 碧音ちゃんの好きなお店で良かったんだよ?」
「はい。大丈夫です」
私は、頑張って……頑張って笑顔を作った。
「そう? じゃあ……」
「『チロル』の方で良いですよ」
『チロル』というのは、カフェのほうで、そこの手作りシフォンケーキはなかなかの評判だった。
でも、社内ということもあって、あまり足を運ぶことが少ないのも正直なところだから、実際そこへ行くのは暫らくぶりだった。
店内は、アンデルセンの童話にでも出てきそうな可愛らしいディスプレイに、今日という日が重なってますます華やかな飾り付けになっている。
―― ……可愛いけど、ちょっとくどいな。
緊張のあまり、つい、どうでも良さそうなことを考えてしまう。
とりあえず、私たちはお店の奥の窓際の席を陣取った。
見晴らしは良い。
相変わらす眼下はきらきらとまばゆい限りだ。
「何だか、ちょっと緊張しちゃうね」
店員さんに注文を済ますと、その時置かれた、水を両手に包み込むようにもって小西さんが呟いて、少し固い表情で微笑んだ。
……ちくり……
心が少し痛んだような気がする。
私は心臓が口から出そうなくらい緊張していた。
小西さんのことは好きだ。
本当に好きで、
大切にしたくて、
信じていたかった。
彼のすることには、一つ一つ意味があって、それはきっと私が悲しむようなものでは、きっとないと確信していた。
でも、その私の考えは、浅はかだったのかもしれない。
甘かったのかも、しれない……。
しかし、もしそうだったとしても、そう信じてきた自分を否定するのもどうかと、私は迷った。
そんな私は、俯いていた顔を上げて、小西さんと視線を合わせた。
彼は、真っ直ぐ綺麗な瞳で私を見つめていた。いつもの、私の大好きな彼がそこにはいた。やっぱりあれは気のせいで、今の前姿が本物なのかも……そう思いたくて仕方なかった。
でも、私は膝の上できゅっと拳を握り、自分の希望を打ち消した。
「えっと」
そして、私は、何とか声を絞り出した。
体中が熱気を帯びてくるのが分かる。あまりの緊張のため、私はもう一度大きく息を吸い込み深呼吸した。
***
『ホントは、静也のほうが離れていくと思ったのよ』
俺は、あの日あやと交わした会話を思い出していた。
何か考えてないと、時間が長く感じて仕方なかったから。
『あいつ、あんな顔してるけど、人一倍負けん気が強いのよ。だから、彼女が自分の上に立つなんて、考えられないの。実際のところ、あたしがチーフになってすぐだったしね。あの子に手を出し始めたのは』
「結構、小さいな」
『ふふ。克己もそう思う? あたしも、そう思うわ。ほんとに小さい奴よ。だから、あたしは別れて正解だったし、碧音の傍だって、あの時の移動で、離れていくと思ったのに』
「なるほど。それでか」
『ああ、もちろん何度もいうけど、あの子の実力だって伴ってたのよ。それがさ、あんな結果を招くなんてね』
受話器の向こうから聞こえる、あやの溜息は重たかった。
「プロポーズ……か」
『―― ……そうね。静也、もしかしたら、気持ちだけは結構本気だったのかも、ね? それでも、あたしは許さないけど』
碧音さんのようなタイプはきっと結婚に幸せを感じるだろう。だから断る理由なんてひとつもなかったはずだ。子どもの頃には、本気で「可愛いお嫁さん」を将来の夢にして、それを今でもどこかで持っているタイプだ。
「あら、克己くんじゃない?」
物思いにふけっていたから声が掛かるまで全く気がつかなかった。声がしたほうに目をやると、そこには女が立っていた。寒そうに両手をこすり合わせながら俺の反応を待っているようだ。
こいつは覚えている、確か。
「弥生……?」
「良かった。覚えてたんだ」
俺の返事を聞いて、嬉しそうに弥生は近づいてきた。
―― ……ああ、覚えているさ。
人を平気で陥れるような怖い女。覚えておかないとどうなるかわかりゃしない。
「誰か、待ってるの?」
「別に」
「ああ、あやさん? あやさんだったら、もうちょっとかかるわよ。確か、打ち合わせがあるとかいって、怒りまくってたから」
「―― ……あ、そう」
別に、あやに用は無い。
そのため俺の返答はかなりそっけないものだった。そんな俺をどう思ったのかは知らないが「じゃあ、折角のイヴだし風邪ひかないようにね」といい終わるのが早いか、足早に立ち去るのが早いか、早々に通りすぎていってしまった。