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桜の下で君を待つ  作者: 汐井サラサ
第三章:falseness
47/166

―15―


 ***



 オーダー表を持って、優が厨房に入ってきた。


「あやさんのお連れさん。今見えたよ」

「ふーん……で、何で、そんなこと俺にわざわざいうわけ?」


 にこにことオーダー表を渡しつつそう付け加えた優に思わず、眉を寄せて苦々しく問い返す。優はそんな俺を特に不審に思った風もなく、軽く「ん?」と肩を竦めて答えた。


「だって、あやさんが君に伝えてくれってさ」

「あっそ」


 ったく、あやの奴。


 ―― ……やっぱし、出て行かないとまずいよな。


 でも何だか気が重い。

 はあ、と溜息を落としつつ、優の持ってきたオーダー表に目を落とす。そこには、いつもの優の女っぽい丸っこい文字で大きく『何でも』と書かれていた。


 ―― ……何でも……


 がっくりと肩も落ちた。いうほうもいうほうだけど、それをそのままここまで運んでくるのもどうかと思う。気心が知れた常連相手に、時々あることとはいえ…… 

 晴れない気分を何とか落ち着かせ、オーダー表にある『何でも』を作ることにした。


 適当に見繕って作った。茄子とひき肉のスパゲティー(トマトベース)はとりあえず今日のお勧めだ。

 さてと、一つ大きく深呼吸した俺は覚悟を決めてフロアに出た。

 そして、そこで目にしたのは意外なものだった。


「あたしは絶対に許さないから!! 信じられない!! そんなこと真に受けてOKでもしたんじゃないでしょうね?!」


 あやの罵声だった。


 俺も驚いたが、その罵声の矛先になっている碧音さんはもっと驚いているようだ。目を大きく見開いて驚愕の表情を隠せない。


「いや……まだ、返事は、してないけど、明後日には……OKしようか、と……」


 返答もしどろもどろだ。


「断んなさいよ! 絶対!! OKなんてしたら、あんたは本当にただのお人よしの上に馬鹿をつけるわ! 馬鹿よっ! 馬鹿っ!! 大馬鹿者よっ!!!」

「あや、どうして?」

「どうしてですって?! そんなのわざわざ説明する必要ないわ! とにかく、静也は駄目よ! 絶対に!!」

「―― ……あや」


 碧音さんは今にも泣き出しそうだ。

 表情が硬直している。

 碧音さんの気持ちはあやだって痛いほど分かっているんだろう。下唇を噛み締めて後から出てきそうな言葉を、必死に堪えているのが分かった。


 ―― …… ――


 暫らく、緊迫した沈黙が続いた。本人たちはもちろん、運なくその様子を見守る羽目になってしまったほかの客も固唾を呑んで見守っていた。店内に流れている緩い音楽だけが空気を読むことなく変わらない。

 そして、どのくらいの沈黙が続いたのか


「少し、落ち着きましたか? もし、そうなら座っていただくと有難いんですが」


 沈黙を破ったのはマスターだった。

 二人の前にそっと、ミネラルウォーターを置くと柔らかく微笑んだ。二人ともカウンターに載せられた水をちらりと見て、やはりまだ黙す。しかしその状態に先に音を挙げたのはあやで、そのまま、ぷいっと席を外し店を出た。


 からんからんっと少し乱暴にベルが鳴り。その音が店内から消えてしまうと、ほかの客は時間を取り戻したように、我に返りそれぞれの時間に戻った。


 碧音さんはあやの後を追わなかった。

 いや、追えなかった。

 一瞬、かたんっと腰を上げたが思い留まった。今追いかけてもきっと堂々巡り。そう、判断したのかもしれない。


 ―― ……きっとそれは正しかったんだろう。


「どうして、どうしてなの」


 うわ言のようにそう呟きながら頭を抱え込んでいた。


「克己。それ、冷えちゃうよ。あの子に早く運んであげなよ」


 その様子に、ただ、立ち尽くす俺に優が静かに声をかけ促した。顔を上げない碧音さんの前でマスターはワインのコルクを抜いている。

 気前が良いな。ボトルでサービスするつもりだろうか? そんなことを考えつつ静かに近寄った俺に、そのボトルを手渡すと小声で呟いた。


「今月分からひいときますね」


 なるほど。俺のおごりか……ま、良いけど。


 つぅっと、グラスの淵を滑って滑らかに注がれるワインを、いつもなら眺めている碧音さんは、まだ、顔を上げてはくれない。

 泣いているのかどうかすらこちらからは伺えない。

 俺にはそれがどうしようもなくもどかしかった。


「碧音さん。ワイン、飲む?」


 俺の掛けた声も届かなかったらどうしようかと妙な不安に襲われた。どうして自分がこんなにびくびくとしているのかも分からない。

 でも、俺のそんな不安は唯の杞憂で……碧音さんは重たい頭を持ち上げると、悲しそうに微笑み小さく頷いて、俺の手の中からグラスを抜き取った。


 何もいわないまま、そっとグラスに唇を添える。


 赤い液体を、少しずつゆっくりと口に含んでから上下する喉を、俺は緊張感もなくぼんやりと眺めてしまっていた。


 まるで恋人を待つように、楽しげに碧音さんの到着を心待ちにしていたあやを思うと、あの僅かな間に何があったのか気にならなくもない。

 でもそれは、唯の客を相手に踏み入って良い距離感ではなく。


 俺は、お代わりというように差し出された空のグラスにワインを注ぎ足すくらいしか出来なかった。

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