―12―
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「克己。あんた、あの子に何かした?」
「何かって、何だよ」
店に入るなりそういったあやに、俺は何とか動揺を隠し返事をした。あやは暫らく俺の真意を探るような瞳を向けていたが、はぁと嘆息して肩を竦める。
「そう。何もないなら良いのよ。マルガリータ振ってもらえる?」
「ああ。分かった」
―― ……何も聞いてないん、だよ、な?
どこか腑に落ちない表情を隠しきれないものの、あやは俺がそれ以上何かをいうとは思わなかったのだろう。そういいながらカウンターに腰を下ろした。
俺は少しほっとしていた、その気持ちが何を表すのかは分からなかったが、とにかく俺は難を逃れたんだと確信した。
もし、碧音さんがあやみたいなタイプだったら……あんな隙はないだろう。
あやは軽そうに見えて、ガードが硬い。だから余計に馬鹿な男はそのガードを解こうと躍起になる。あやのての上で踊らされていることにも気がつくことなく、好きなように。
恐いよな。女って……あやを見ているとつくづく思う。
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それから私は普段と何ら変わりない生活を取り戻していた。
町は日に日に年末独特の盛り上がりがあり活気付いていた。
そんな12月は本当は気ぜわしくてあまり、人から好まれるようなものではなかったが比較的私はそんな雰囲気が気に入っていた。
何だか、新しい年が明ける。
その気持ちだけでわくわくして心躍る気持ちだった。
そして、クリスマスを一週間後に控えたある日。
久しぶりに小西さんとデートに出かけていた。
大好きないつものお店で夕飯を食べて、前々から見たいといっていた映画にも出かけた。そして、前に話してくれていた夜景も見に連れて出てくれた。色とりどりのイルミネーションが、綺麗で、吐く息は白いのに暖かすら感じてしまったほどだ。
デートらしいデートなんて本当いつ以来だろう。お互いにここのところ忙しかったから余計にそう思うと感慨深い。
この日私はいつになく充実していた。
でも、そんな私とは裏腹に小西さんはなんだか落ち着かない様子だった。
「ええっと。小西さん何かありましたか?」
ワインバーでグラスに注がれたワインに目を落としていた小西さんに耐えかねて私は聞いてしまった。
今までの経験上。こういうのは雰囲気で分かっていた。
きっと、彼は私にいいづらい話があるに違いない。
そしてそれは、私にとって喜ばしくないことであることは必至だった。今日がとても楽しかったから、余計に強く感じる。
「いや。何でもないよ。もう少し飲む?」
小西さんの目はいつもより柔らかかった。その瞳がやけに切なくて、私はいろんな覚悟をしていた。
大丈夫。大丈夫。
私は大抵のことには慣れているし、珍しいことじゃない。私は好きでいることしか出来ないから、だから、相手にとってとても重いのだ。良く分かってる。だから、それに耐えかねたら必ずやってくるもので……。
そう思って、私は出来るだけ、小西さんが私に話したいことを口にしやすいように努めて明るく振舞った。これまでの感謝も込めて。
「はい。いただきます。でも、これ高いやつですよ。カリフォルニア・ナパの『グロス』でしょ?」
「良いの良いの。今日は特別だから。でも、詳しいんだね碧音ちゃん」
「あっ、と。こんな調子じゃ、うわばみみたいに思われちゃいますね」
今日は特別……特別な日。
―― …… ――
私は息をするのも苦しくなっていた。
そのせいもあって、ワインが進んでしまう。が、酔わない自分も少々憎らしい。
そして暫らく居心地の悪い沈黙が流れて、後ろ手に聞こえるジャズの生演奏をやけに五月蝿く感じる頃、それは思いの他あっさり告げられた。
「え? 今なんていったんですか?」
私は不意に話を始めた小西さんの言葉があまりに唐突で、頭の中で整理がつかなかった。
小西さんは微笑んでいた。今まで見る以上に綺麗で優しくて。
「もう一度いうの? 恥ずかしいな」
「えっと、いや……あの、ごめんなさい」
あまりの動揺に思わず謝ってしまい、頭の先まで血が昇ってきっと顔は真っ赤になっているだろう。
「謝らなくて良いよ。僕のほうが突然いったから」
「―― ……はい」
「だから、ええっと」
言葉に詰まった小西さんは小さく咳払いをして、それから姿勢を整えた。
「結婚して欲しいんだ」
そういって、私の前に置かれた小さな箱は開けられた。
小西さんの言葉と、目の前に置かれたそれで、頭の中はますますパニックに陥ってしまった。落ち着け私。小西さんは今なんていったの? 私は何をいわれたんだろう?
「え、ええと、もう一回」
「え?」
「い、いえ、その、だい。大丈夫です」
全然大丈夫じゃない様子の私に小西さんは、悪戯が成功したときの子どものような楽しげな顔をしている。結婚っていえば婚姻? 婚姻ということは何? 誰と誰が? 私? 私、だよ、ね?
どうしよう、意味が分からない。




