―7―
「手伝うか?」
「ううん。大丈夫。あ、それより、その傷。やっぱり簡単にでも手当てしたほうが良いよ。私、絆創膏持ってるからそれ貼ってあげるよ」
「それは、別にどっちでも良いけど、それをするか珈琲淹れるかどっちかにしたほうが良いと思うぞ」
するりと克己くんの腕の中から抜け出して、バッグの中身をごそごそとしていた私に、さらりと克己くんの突込みが入ってしまった。
―― ……ご尤もです。
「じゃあ、まず。ここ座ってよ」
とりあえず、傷の方を優先することに決定して、ダイニングテーブルの椅子に腰掛けさせた。
シャツの袖をまくると痛々しい傷口が見えた。
「痛そう」
「まぁ、痛いな」
相変わらずの実もふたもないような会話が交わされる中、私は絆創膏を貼り付けた。
「―― ……貼りすぎじゃないか」
「そ、そんなことないよ。ほら、傷口に洋服があたったら痛いじゃない」
ありったけ貼った。
だって、浅いとはいえ結構長い傷だったんだもん。
私がいってることもまんざら間違いじゃないんだから。
「剥がすときの方が痛いと思うぞ、これじゃ」
捲くった袖を直しつつ、ぶつくさ。それでも最終的には、まあ、良いけど……と済ませるところは、らしい気がする。
「男の子が細かいことぶつぶついわないの。そのまま大人しくしてなさい」
それでも、いまいち納得してくれない、克己くんに一喝して私は珈琲を淹れることにした。
サイフォンに静かにお湯を注ぐと柔らかな珈琲の良い香りが辺りを包んだ。
ふんわりとその香りに包まれて、その中で気分が落ち着いていくのを感じる。
こういう時間は好きだ。
本当は、ちゃんと話を聞いてちゃんと対応してあげるべきなのだと思うけれど、私なんかが踏み込んではいけない部分のはなしだろうからと、知りたい気持ちを飲み込んだ。
現に克己くんは、もう何事もなかったように、落ち着いている。傷さえなかったら、白昼夢みたいなものだったと思ってしまうくらい、普通だ。
聴くタイミング。それをどこかで見つけたら……くらいにしておこう……。
***
「はい。どーぞ」
静かに目の前に置かれた珈琲カップを見つめて軽く揺らす。ふわりと立ち昇る独特の苦味のある香りに、胸を撫で下ろした。
碧音さんは俺の正面に腰を下ろして、ちょこんっと手を合わせるといただきます。と口にしてさっさとケーキにフォークを運ぶ。
よっぽど食べたかったんだな。とか、少しは落ち着いたようで良かった。とか、そんなことを考えてしまっていた自分に複雑な気分になる。
「克己くん。食べないの? 美味しいよ」
若干逃避気味になっていると、ニコニコと自分の分を食べきった碧音さんが顔を覗き込んでいた。
「あっと、食べる?」
反射的に、皿を押してそういった俺に碧音さんは、ふるふると首を振った。
「ううん。いらない。それは克己くんに食べて欲しくて買ってきたんだもん」
そして、そういって両手で包み込んだカップを覗き込んだ碧音さんは、明らかに我慢していた。
その様子が可笑しくて笑いがこみ上げたが俺に「食べて欲しい」というのもきっと本心だろう。
俺はその気持ちを汲むことにしてフォークを手に取った。
「お、美味い」
「でしょう」
得意気だ。
別にお前が作ったわけじゃないだろうに。でも、この珈琲も美味いかもしれない。
調子に乗りそうだから口にするのは控えて心内だけでほくそえんだ。
「あっ! こんな時間」
「何だ? 用事でもあったのか?」
俺が食べ終わるかどうかくらいに、急にそう叫んで立ち上がった。
「ううん。えっとね、その~……好きだったドラマの再放送があるの。見て良い?」
「―― ……勝手にしてくれ」
呆れた。
遠慮というものもこいつには存在しないのか。誰にでもこのテンポで接しているんだろうか。
俺の返事を聞いて、嬉しそうに席を離れるとリビングのTVに電源を入れていた。
―― ……まぁ、良いか。楽しそうだし。
そんな後姿を見送って、仕方なく俺は片づけを始めることにした。
「あ、片付けあとで手伝うよ」
「いーよ。ちょっとだから。直ぐ終わるし」
「だったら、一緒に見ようよ」
「ああ。後でな」
ソファの背から身を乗り出して声を掛けてくる碧音さんを適当にあしらって、小さく溜息。
―― ……はぁ
結局いつもこうやって俺のペースは崩されるんだ。
とはいっても不思議と気分を害されることはないと感じてしまう自分自身の感情の方が余ほど不可解だ。
―― …… ――
「妖怪食っちゃ寝」
そんなつまらないことを口にしてしまった。いや、それもこの状況では仕方ないと思う。一体どれだけの時間が経ったっていうんだ。
例の見たいといっていたドラマの再放送はさっき始まったばかりだというのに、ソファの上ですやすやと寝息をたてている。
俺に対する危機感ゼロか?
それはそれで微妙に傷付く。
「お~い。碧音。碧音さん。碧音ちゃ~ん」
こりゃ、駄目だな。
見たかったのに。と怒られそうだったので、起こそうと試みてぺちぺちと頬を叩いたが、目の覚める気配はない。
仕方ない、後で騒いだって知らないからな。
気持ち良さそうに眠る碧音さんを複雑な気持ちで見下ろして、淹れなおした珈琲をローテーブルにおいてその隣に遠慮なく腰を下ろす。
ぎっとソファが沈んだくらいでは、やはり目を覚まさなかった。