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桜の下で君を待つ  作者: 汐井サラサ
第三章:falseness
35/166

―3―


 ***



 ―― ……疲れた。


 今日は久しぶりに早く開放された。私はこのところずっと残業続きで、くたくただった。今までよりもずっと細かいことまで気を配らないといけないし、人まで動かさないといけないとなってくると、頭の処理能力が追いつかないし、そのせいで人の倍は動き回っているような気がして、精神的にも体力的にもちょっと限界。

 家に帰ってもそのまま倒れこむように眠ってしまって、朝シャワー。そして、出勤。帰宅、ばたんきゅー……これの繰り返しだった。

 肌にも悪い……。


 はぁ、と溜息を溢して、そっと頬に触れる。大丈夫? 大丈夫だよね。うん。まだ曲がってないっ!

 自分に強くいい聞かせる。それがとても馬鹿馬鹿しいことだと気がついて、また溜息を重ねる。駄目だな。疲れてるや。

 溜息って幸せ落とすっていうし、姿勢もちょっと悪くなる気がする。見目が良いわけじゃないんだから姿勢くらいしゃんとしてないと、ね。


 こつっといつもの帰路に着こうとしてふと思い立つ。


 明日は休みだし。

 ちょっと、寄って行こうかな。


 小西さんにも連絡したんだけど相変わらず返事は遅れているし、家に帰っても寝てしまいそうだから。

 それに、帰って一人でご飯を食べる気にもいまいちなれず、何となく「X―クロス―」に足を運んでいた。


「久しぶりですね。お仕事お忙しかったんですか?」


 マスターがにっこり微笑みながら迎えてくれた。


 なんだか、その雰囲気にほっとしながら私はカウンターの隅を陣取った。


「今日は、良いワインが入ったんですよ。ええっと。『シャトー・ムートンロスチャイルド1992』ですよ。試飲されます?」

「え? いいんですか。是非くださいな」


 シャトーのムートンかぁ。わくわく。

 きゅっきゅとコルクの抜ける音が心地良い。

 このところ、ばたばたと毎日を過ごしていたのでじっくりワインを味わう時間なんて無かった。


 今日はちょっとゆっくりしよう。


 私自身への御褒美といったところかな。


「ほら、つまみ」


 すっとマスターの脇から克己くんがチーズを持ってきてくれた。

 それを確認して、マスターはその場を外した。


「大丈夫そうだな」

「うん。もうすっかり。あの時は迷惑かけちゃったね。ありがとう。助けてくれて」

「只の気まぐれだから気にしなくて良い」


 ―― ……気まぐれか……。


 克己くんらしい言葉に、思わず笑みが零れる。

 それでも私は助かったのは本当だ。


 一人で堪えなくて良かったし。片付けもしなくて良かった。


 それだけでも感謝に値して当然だ。


「そうだ。明日、克己くん家にいる?」


 グラスを揺らしながら、ぽつと思いついて口から出た私の質問に少し驚いた顔を見せたので、私は言葉を付け足した。


「この間借りた、スウェット返しに行くよ。すっかり遅くなっちゃったけど」

「ああ。あんなの気にしなくていい。わざわざ返すほどのものじゃないし」


 ―― ……ええぇ。折角、洗濯したし。返しに行く気満載だったのに。


「いや。明日なら、家にいるから来たかったら来いよ」

「ほんとに。そかそか。じゃあ、行くね」


 ―― ……ん?


 私は、ややあってからの返答ににこにこと頷いたが、ふと、やっぱし、心読まれてるのかな? とか、思ってしまう。


 ま、いいや。


 あやからも考えてることがバレバレだとはよくいわれることだし。別に克己くんが特別そうだというわけでもない。私の顔が馬鹿正直なだけだろう。今更どうしようもない。


 うんうん、と自己解決したところでバッグから振動を感じた「小西さんからだ」直感的にそう思って、慌てて携帯を取り出した。正面に居た克己くんに目で「ちょっとごめんね」と謝罪してから、そっと横を向いてケータイの着信を受ける。


「はい。―― ……え? 今からですか? はい。うん、分かりました」


 正解だった。

 電話の向うから聞こえてくる小西さんの柔らかい声質に、ふんわりと胸が温かくなる。仕事が終わって直ぐに掛けてくれたのか、まだ慌しそうな雰囲気が声に残っているけれど、それも嬉しい。

 ほんの少しだけ入ったアルコールの熱だけではなく、ふわっと頬が熱くなるのを隠すように私は、益々身体を横へとずらした。


 ―― ……ピッ


 と、ケータイを切ってバッグに滑り込ませたあと、残ったワインだけ頂いて私は席を立った。


「じゃぁ、明日行くね」


 慌しくそう告げる私に克己くんはそっけなく肩を竦める。


「何だ。もう、帰るのか? 小西か」

「うん。そうなの」


 でもそんなこと全然気にならない。久しぶりに小西さんに会えると思うと、嬉しくて顔がほころんでしまう。

 同じ会社の中にいても、部署が違っているとなかなか顔を合わすことがなくて、お互い忙しい。そうなると電話やメールで、というのが常になってしまう。我慢しなきゃいけないところなんだけど、私はやっぱり顔を合わせて話はしたい。


 だから、余計に浮き足だってしまった。


 荷物を抱えた私は、出入り口のところでマスターに一言お礼をいって、店を後にした。

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