―19―
―― ……もう、寝てるかな。
さっきまで、にぎわっていた部屋は静まりかえっていた。
寝ていたとしたら、チャイムを鳴らして起こすのも悪いし、そういう意味で、あやは鍵を渡したんだと思うから勝手に入って良いってことだよな?
俺はぶつぶつと自分にどこかいい訳染みたことを考えつつ
「お邪魔します」
静かにドアを開けた。と、突然。
げほっ!……けほっ……!! と激しく咳き込む音と
「あぁぁ……。しんどいよぉ……」
トイレのほうから泣き言が聞こえてきた。
少し戸が開いていて、ザア……と水が流れる音とともに碧音さんが這い出してきた。
「おい? 大丈夫か?」
「はれぇ? 克己、くん? けほっ……どしたの? 忘れ物?」
大丈夫じゃなさそうだ。
やれやれ。
肩を貸し何とかうがいもさせて、ベッドに寝かせた。
そして暫らくすると、体温計の電子音がかすかに聞こえた。
「37.8度か。昨日ほどじゃないな。しっかし、今日一日こんな調子だったのか?」
「ん~ありがとう。そう、こんな調子。で、忘れ物だったんじゃないの?」
「ん? ああ。このまんまじゃ、あまりに気の毒だから、片付けに戻ったんだよ。そしたらお前が這いつくばってたんだ」
「あはは……。そっか。悪いね。ありがとう……私、少し寝て良い?」
「聞かなくて良いから、さっさとそうしてくれ」
そっけなく答えれば、そっか、そうだよね……と力なく笑い、辛そうに目を閉じた。
―― ……さて、とりあえず、片付けようか。
リビングダイニングに散らかった、雑誌やらテーブルの上をとりあえずざっと片付けて……とか、いそいそと片づけを始めてしまった自分にふと、疑問も感じたものの、直ぐに忘れることにした。
何でこんなことをしているのか?とか、そんなことに疑問を持っても、答えが出ないことは、明らかだったから。
それにしても、案外あの男冷たいな。
洗い物をしながら、不意に考える。週明けに……っていってたんだから、明日は休みなんだろう? 休みなんだったら、ここに居てやれば良いのに。碧音さんが自分から居て欲しいなんていえる人間じゃないことくらい、短いの浅い俺にだって分かる。甘えたくても、甘えられないタイプだ。
気がついてないわけないのに、あんな優しそうな顔して、平気であいつをそのまんまにして帰っちまうんだから。
はぁ。と溜息が零れてしまった。
その溜息が何に対してのものか分からない、分からないけど、この間のことが脳裏に蘇ったことは確かだ。
そして、あやの恋愛観がどうの。という話を思い出した。
―― ……
へぇ。こいつ洋書なんか、読むんだな。
一通りの片付けを終えて、ひと段落。パソコンデスクの傍に置かれた数冊の本に目を留めた。
クリスティー……か、ミステリー書だな。
碧音さんの雰囲気からはちょっと意外だったそれを手に取った。話題のタレント本とか、恋愛小説とかが並んでそうなイメージがあったけれど、そういう類のものは目に付かない。
ぺらぺらと手に持った本を捲りつつ、俺はベッドの隣に陣取った。
その気配に気がついたのか起きていたのか「ありがとう」を重ねる碧音さんに「ああ」とだけ返し足をくんで膝に本を載せ少しだけ目を通すことにした。
「で、薬、ちゃんと飲んだか?」
「うん。大丈夫。ちゃんと飲んだよ」
「なぁ、ちょっと訊いて良いか?」
ちょっとした好奇心と興味。
「ん? 何」
「何で、あんな奴と付き合ってんだ? お前、ほったらかしにされてるんだぞ」
「そっかな? そんなことないよ。小西さんは優しいよ。今日だって、来てくれたし、気を遣って早めに帰ったんだよ。その気持ちだけで充分じゃない?」
なんだその無駄にポジティブな感じは……。
何気に自分の眉間に皺が寄るのを感じる。
「それに、私は何かをしてもらいたいわけじゃないし。どちらかといえば、してあげたいんだよ。だから、今日は迷惑かけて悪かったと思ってるし」
「―― ……ふーん……」
それ以外に何もいえない。
俺は恋愛ごとに詳しくないし、興味もないけれど。碧音さんが馬鹿がつくほどの超お人よしで、超都合の良い女になりやすいタイプだということは、手にとるように分かった。
大体、あいつは電車の時間を気にして帰っただけだと思うし……別に気を遣ったようには見えないんだけどな。
そう、現実的に突きつけてやりたかったが、碧音さんは再び重たそうに口を開いた。
「昨日は、ごめんね。何か結局泊っちゃったし……そのぉ」
「別に何も聞かれて無いからいってない」
「いや、その、別に良いんだけど、ね。疾しくないし。だから、そうじゃなくて、その、うん。ありがとね」
曖昧な笑顔を浮かべてそう締め括ると静かに目を閉じた。
あんまし、つまんないことを追及しても始まんないし、まぁ、本人がそれで良いのならかまわないか。
最終的に、泣くのは碧音さんだと思うけど……他人の俺には関係のないことだよな。そういう関係を許しているのはこの人自身だ。