―14―
「おい?」
「ああ、何だ」
「何か、お前ここんとこ、ちょっと妙だな。さては……」
ちょっと考え込んでしまった俺に、透は含み笑いを浮かべた。一体何だっていうんだ?
「初恋ってやつ?」
「は、はぁ?」
思わず大きな声になってしまった。
なにせ透が口にした言葉は想像以上に突拍子もなく、そこに何の根拠も存在しないものだったからだ。
「いや、何となくさぁ。俺は思っていたわけだ。お前は『恋』ってのに無縁に出来てるんじゃないかと」
透は俺の肩にひじを乗せて、一人でうんうん頷きながら語っていた。
あまりの話に俺はあいた口がふさがらない。
「しかしなぁ。お前も人の子だったんだなぁ。うんうん。今のお前は明らかに何か変わっている。それは、一年以上見守ってきた俺が保障しよう」
―― ……何の保障だ。何の?!
俺の言葉は声にはならなかった。
ただ、ただ、唖然と口をぱくつかせるだけだった。金魚みたいにという形容に当たると思う。
全く、みもふたも無いようなことばかり並べ立てないでくれ。
俺は疲れているんだ。
昨日もいろいろと、結局忙しかったし。
透のくだらないいい分を聞き流しつつ、ふと、時計に目を留めた。
―― ……もう、こんな時間か。
「俺、帰るわ」
「へぇ? 何で、今来たばっかだろ?」
「来たばかりなのはお前だろう。大体今日俺はレポートを提出しに来ただけだ」
いや、その台詞はちょっとおかしいか? 今日は平日だし、講義だってこれからあるんだし。
「まぁ、待ってくれてる人がいるんじゃなぁ、仕方ないか。瑠香ちゃんには俺からよくいっといてやるよ」
「馬鹿馬鹿しい! 誰が誰を待ってるんだ。それに、瑠香に何をいうんだ。アホか」
たく、透のつまらない喋りに付き合ってる時間はない。俺は透に悪態をつきながら席を立った。
***
「ただいまぁ」
返事の返ってくることのない、静まりかえった部屋に、つい、いつもそういってしまう。
私はタクシーで家の前まで帰り、這うように自分の部屋まで上がった。
はぁ、エレベータでもあったら、ちょっとは違うんだけど。
ふとそんなことも思ったが、私はここのそんなアンティークな外観と内装が気に入って住んでいるわけだから、前言は撤回しておこう。
何だか、克己くんの家を出てから、だんだん身体がだるくなってくる。
また、熱でもあがってくるのかなぁ? 昨日みたいにしんどいのはもう嫌なんだけど。病院にでも寄って帰れば良かった。
「でも、保険証は、家だった」
自分の実家のようには行かない。
家の近所だったら、保険証なんてなくてもなんとでもしてくれたけど、ここでそれは望めない。それに滅多に病院になんて掛からないから行きつけなんてのもないし……融通なんて利かないだろう。
実家より、ここは遥かにに都会だ。もう、いい。
私はしんどいのにつまんないことばかり考えてしまう自分にストップをかけて、とりあえず、パジャマに着替えて、ベッドに倒れこんだ。
はぁ、苦しいよぉ。
喉が血の味がする。
鼻の奥が、つんっとする……吐く息が熱い。気持ち悪い……もう、寝返り打つ気にもならない。このまま寝てしまえ。
きっと起きたら治ってる。
私はそんなありえない期待を抱いて、瞼を落とした。
***
―― ……くしゃ。
俺は、ダイニングテーブルの上に置いてあった紙切れを握りつぶした。
『克己くんへ
大分楽になったので、家に戻ります。借りた服は洗って返すのでもう少しだけ貸してくださいね。
傍に居てくれて嬉しかったです。どうか、克己くんに感染っていませんように
もし、体調が悪くなったら今度は私が看病するので、呼んでください。
白羽碧音』
―― ……あの、馬鹿。
あんな調子で楽になった、って、なるわけねーだろっ!
まともに家にたどりつけたのか? タクシーで帰るくらいの頭はあっただろうから、多分大丈夫だろうけど……病院に寄るくらいはしたのか?
って、俺には関係ないか。
勝手に帰ったんだから、別に放っておけば良い。気に掛けるようなことじゃない。
―― ……全く。
俺は握り潰した紙切れをゴミ箱に放って、乱暴に荷物をテーブルに置いて、リビングのソファに寝転がった。
昨夜は殆ど寝た気がしなかった。やっぱり俺は誰かと一緒になんて向いていない。
ごろりと寝返りを打って半ば無理矢理、目を閉じた。