―10―
***
俺は家から一番近い薬局とコンビニに寄って、十分か二十分くらいで戻ったと思う。まぁ、まがいなりにも医療関係に携わる者ってことで、済まそう。そう自分にいい聞かせながら、こんなことになってしまったいい訳に当てた。
グラスにミネラルウォーターを注ぎ、桃缶を器に開け寝室へ足を運んだ。ドアの前でいったん足が止まった。
妙に静かだった。
―― ……寝てるのか?
そういぶかしんで静かにドアを開いた。碧音は予想通り眠っていた。
「―― ……なんだ」
そのとき何となく胸を撫で下ろす自分がいて、また奇妙な気分になった。
サイドテーブルに置きっぱなしになっていたスープは空っぽになっていた。
飲んだのか? やれやれ。
俺はそのカップを手に取り持って入った物をそこへ変わりにおいて、一旦部屋を出た。いつ寝たのか知らないが、無理に起こすまでもないだろう。
次に戻ってきたときには、碧音は起きていてぼんやりと天井を見上げていた。
「大丈夫か」
「うん。何とか生きてる」
半分眠っているのか起きているのか、夢現なぼんやりとした返事だった。
どうやら、熱は順調にあがっているみたいだな。
「あほか。その位で死ぬか。それ食って薬飲んどけよ」
「うん。いい。いらない。気分悪い」
「ったく、胃も弱ってるのに、あんなもん飲むからだよ」
気だるそうにゆっくりと上体を起こした碧音は静かに毒づいた俺の顔を見据えて
「美味しかったよ。とっても。ありがとうね」
笑った。
―― ……馬鹿だな。
そうとしかいいようが無かった。
呆れてその後の言葉が出なかった。
俺に気を遣ったのか? 自分は高熱まで出しているのに、どこにそんな心の余裕が。今は自分の事でいっぱいいっぱいになっていたとして、誰が責める? それが当然で、そうあるべきだ。人間なんて、みんな自分が可愛い。自分が辛いときになんで他人のことなんて考える余裕がある? どうせ、舌も馬鹿になっててろくろく味なんて分からなかっただろうが……ったく!
悪態を山ほど思いつくのに、俺は碧音に何もいえずに「ああ」としか答えられなかった。そんな俺に碧音は「ご馳走様」と続けた。
とくんっと胸の裏あたりがなった気がする。
……そんなこと、有り得ない、気のせいだ……
***
私は克己くんが用意してくれた解熱剤を飲んで改めて横になった。冷却シートも貼ってくれた。
ひんやりして気持ち良い。
解熱に直接作用されないとは聞いたことはあるけど、こういうのは気分だ。気持ち良い。それだけで少しだけ楽になった気になる。人間って単純。
もう一度眠りに堕ちれば良いのに、頭の疼きがなかなか納まらずそれが出来なくて、寝返りを打つと何も悲しくないのに目頭がじんっとして、涙がじんわりとでてくる。
涙のせいでぼんやりとしかしない視界の先で、克己くんが腰掛けて何か分厚い本を開いていた。
「ねぇ、克己くん」
「ん~……。どした?」
「何だか、ごめんね。迷惑かけて」
私が、あんなところで雨宿りなんてしてなかったら、今頃ここでこうして寝込むようなことなんてなくって、そしたら克己くんにこんな面倒なことさせなくて済んだのに。
そう思うと申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
克己くんはどうしようもないなというような笑みを零して「ほんとにな」と口にする。
その台詞に余計しょんぼりしてしまった私に克己くんは続けた。
「あんま、つまんない気ぃ遣うと熱上がるぞ」
呆れたように嘆息して分厚い本を閉じベッドの隅に腰を降ろした。
ぎっとベッドのスプリングが軋み身体が僅かに上下した。広いベッドの中央を陣取るのは申し訳なくて、隅っこで丸くなっていたから余計だ。
克己くんはそんな私に毎度のことながら呆れたような顔をしたけれど、特に何もいわなかった。
薬が効いてきたのか、ぼんやりする。でも頭がぎゅうぎゅうして瞼を落とすと眉間に皺が寄る。それに克己くんがわざわざ時間を割いてそこに居てくれる。寝てしまうのも勿体無いような、矛盾した気持ちもあった。
だから、何か話したほうが良いかと、ぽつぽつと口を開く。
「今日ね、ホントは雨が降ること知ってたの」
「うん」
「……だから、帰りは電車で帰ろうと思ってたの」
「ああ」
口にする言葉への返答はとても適当。聞いているのかどうかすら妖しいというのに、私はちっともいやな気分にはならなくて、どこか……というか、全体的に心地良かった。
暖かい室内も
広いベッドも
そこにある気配も
―― ……そう、その全てにほっとした。
寝込むのも久しぶりのような気がするけど、こういうときに誰かがいてくれるというのも本当に久しぶりかもしれない。
人の気配はそれだけで心地良いのだとほわりと心が温かくなる。
だから、私は無防備にも、ぼぉーとする頭で今日のことを口に出していた。
熱のためか自分でも感情のコントロールがしっかり出来ない。沢山考えてるつもりなのに頭の中ではぐるぐると分けわかんなくなっている。
別に、誰に聞いて欲しいわけでもなくて、誰に言うつもりもなかった話。
口に出したらきっと。
分かってる。分かってたのに、止められない…… ――
「なんとなく、さ、なんとなく。雨に濡れても良いかなと思ってぶらぶら歩いて帰ることにしたの。そしたら、やっぱり雨は降ってきて、それは思った以上に強い雨で」
―― ……本当に今日は全く駄目だった。