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―2―

 ―― …… ――



 一段一段踏み締めるように石段を登る。

 その先で、もう枯れたのではないかと、あの時思われた老木はこれ見よがしに花をつけていた。

 わっと風が吹くと、白い玉石の上に淡いピンクの水玉が落ちて……次の風が吹くとふわりと舞い上がっていった。


「―― ……克己くん……?」


 そう……まずは、ここにくれば会えるような気がした。

 ここにくれば……


「碧音さん」


 驚いたような顔で俺のことを見た彼女は、あの時と変わっては居なかった。

 女は途中で年を取るのをやめるっていうけど……あれは本当かもしれない……俺の方がここ数年でずっと年を取った。


「老けたね」

「―― ……煩い。苦労したんだ」


 これでもな。

 くすくすと懐かしい顔を綻ばせてそういった碧音さんに俺も久しぶりに、口元が緩むのを感じた。

 あの時は肩ほども無かった髪は昔と同じ様に、サラリと伸びていて、春の気まぐれな風に弄ばれていた。


「……どうしてここへ?」

「ここしかなかった」


 俺の返答に、大きく見開かれた瞳は、次の瞬間には細められ、柔らかな微笑を浮かべていた。


 あの日、俺は決めていた。

 碧音さんは……本当に……馬鹿が付くほどのお人好しで……本当にどうしようもなくって。

 だから、戻ってこなかった……彼女の我侭なんかじゃない。


 あのとき、いくら子どもだった俺にも分かっていた。


 あれだけ病んでいる彼女と、バイト(はやめればいいだけだけど)……大学……何より、この関係を続けるために躓くことは許されなかった(押し切ったって碧音さんがそれを許すとは思えなかったし)

 俺に……全部こなすことなんて、到底無理だったんだ。

 熊手のように綺麗に別れてしまった道を全て一度に握ろうとしていた俺に、一本だけ選んで渡してくれたのが……碧音さんだ……。


 だから……俺はそのたった一本の道上に……「碧音ここ」もいれることにした。

 今、俺の道の上はここを通らなくては、先に進めなくなっている。


「まだ、間に合う?」


 恐る恐る聞いた俺の言葉に碧音さんはますます笑った。



 ***



 本当に……本当にびっくりした。

 白昼夢を見ているのかと思った。


 掃いても掃いても片付かない花びらに、愛想をつかしてきたとき、じゃらりと玉石が擦れ合う音が聞こえて……だから……恐々、そっと振り返ると……彼が居た。


 ほんの少し、年月を重ねたその顔は私の知ってるどこかに幼さの残るそれではなくて……落ち着いた……私の知らない、男性だった。

 そして、霧の晴れたようなすっきりした雰囲気を運んできた克己くんは……きっと、ちゃんと道を歩いてきてくれたのだろう。

 そのことが容易に想像出来て私はそれだけでも嬉しかった。

 ふわりと心が暖かくなった。良かったと安堵し、自然と頬が緩んでいた。

 私の馬鹿は無駄ではなかった……と実感すると目頭が熱い……。


 身体中の血が熱を持つのが分かった。

 身体の底から熱くなる感覚。私は、まだ……彼を忘れてはいなかった。


 ―― …… ――


『もう、大丈夫なの?』

「うん。多分ね」


 あれから、随分経ってもあやから電話がかかってくると開口一番その台詞だった。

 何もかも、急だったからあやにもたくさん迷惑かけた。

 保険の脱退届けの手続きやら、年金関係やら、会社で行っていたことの電話での引き継ぎ。

 電話と郵便でしか、行き来がなかったから、随分と手間と時間がかかったにちがいない。何よりも「一身上の都合」を何一つ説明しなかった私は、社会人としては失格だろう。

 無責任にも程がある。

 きっと……あやがたくさんのフォローをしてくれたはずだ……あやは、何もいわないけどね。


「みんな元気にしてる?」

『あぁ。克己? 元気なんじゃない? 忙しそうだけど』


 ―― もうっ、別に限定なんてしていないのに。


『そんなに気になるんなら、強がらなきゃ良かったのよ。馬鹿ね』

「馬鹿なのよ。私はね」

『まぁ、あんたに効く様な薬はないわね』

「―― ……別に、後悔はしてないもの」


 でしょうね……。

 ぽつりと返って来たあやの返事が切なかった。



 ―― …… ――



「……どこにでも、迎えに来てくれるんでしょう?」


 私は頬が紅潮してくるのを隠すように、意地悪く笑うとポケットからあの日彼が置いていった携帯を取り出した。


 克己くんからの最後のメール。


 私が、あそこから逃げ出す前に入っていたものだったけど……私はその一言が物凄くうれしかった。

 きっと……届いたときにタイムリーに目にすることが出来ていたなら……私は、もう少しあそこで頑張れていたかもしれない。

 ほんの少し……そう思わせた一言だった。


 ―― ……そして、今彼は本当に私の目の前に立っている。


「―― ……うん。迎えに来た」


 彼はその内容を、ふと思い出したのか微かに顔を赤らめて照れくさそうに笑って一つ咳払いをすると、その後、凄く綺麗に微笑んで……そっと私に手を伸ばした。


 ぴくり


 その途中で躊躇され私に触れることなく止まった手。

 不安げな瞳。


「―― ……大丈夫……?」

「……大丈夫じゃないと思う?」


 私は嬉しくて可笑しくて、彼が私を壊れ物のガラス細工のように思っているのか「大丈夫?」そう尋ねたときの顔が……やっぱりまだ、幼かった。

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