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「おいしそうに食べるよね」
テーブルに並べられた料理を口へ運んでいると、それを眺めていた小西さんがそういって微笑んだ。私は何だか気恥ずかしくなって、食事の手を止めてワインを一口飲み込んだ。
「でも、今日は驚いたよ。碧音ちゃんが、補佐につくなんて」
「はい。私も吃驚です。私なんかが補佐に就いちゃったりして、あの部署大丈夫ですかね」
私は照れ隠しにそういって、あははと笑い飛ばした。
正直、嬉しかった反面どうしたものかと思ったのも確かだったから。
今日のネットミーティングで、移動の詳細が社員すべてに回った。それで、私の昇進に気がついた小西さんが「お祝い」をしようと誘ってくれた。二人で食事は久しぶりだから、私は二つ返事で了承した。
「大丈夫だよ。碧音ちゃんは優しいし、気が利くから。きっと上手くやっていける。少なくとも僕はそう思ってるよ」
そういった小西さんはますます目を細め優しく笑ってくれた。
私は小西さんのその表情が大好きだった。
そうしてくれていると、何でも許せてしまうし、心がほんわかあったかくなって「この人が好きなんだ」って確信できる。
恋愛体質の私は、この瞬間のために生きているようなものだ。
あやはそんな私をいつもは笑いながら見ててくれた。でも、小西さんと付き合うようになってからは、しょっちゅう遊びに誘ってくる。
まるで、小西さんとの時間を共有させまいとしているかのように……って、それは、考えすぎだよね。
きっと、偶然が重なって。それでそんな風に感じるだけだよね?
「どうかした?」
つい、考え込んでしまった私を小西さんが心配そうに覗き込んでくる。私は慌てて首を振り「なんでもないです!」と声を張ってしまった。そんな私に小西さんは相変わらずの笑顔で「そう?」と小首を傾げる。
恥ずかしさと、小西さんへの気持ちで胸がいっぱいになる。私は心臓の音が聞こえるのではないかと心配になり、胸に手を当てるとこそりと深呼吸をした。
丁度そのとき規則正しい電子音が聞こえてきた。
RRR...RRR...RRR
鳴っていたのは小西さんの携帯だ。「ちょっと、ごめん」そういった彼に私が小さく頷くと、小西さんは「本当にごめんね」と重ねて少し体を窓際に向けて電話に出た。
私は、手持ち無沙汰で周りの様子を伺った。今日も、中二階の個室は満室のようだ。
ここってあやもよくコンパに使うんだよね。そんなことを考えていると、その中の一室のドアが開いた。中からはぞろぞろと、10人くらいかな? が、出てきた。大学生くらいかなぁ。最近の子は年齢が良くわかんないからなぁ。いや、なんかそんな発言はおばさんくさい気がする。撤回しておこう。
「誰か居た?」
「あ、ううん。何でもないです。電話終わった?」
「うん。でも、会社に戻らないといけなくなったんだ」
宛もなく団体様を見送っていた私にそう声を掛けた小西さんは、物凄く申し訳なさそうにそういって眉をひそめた。
そんな申し訳なさそうな顔をされて、駄目だとか嫌だとかの我侭はとてもいえない。否定的なことを口にして揉めるよりも、このまま幸せ気分を家に持ち帰った方が私としては正解だった。
「構いませんよ。出ましょうか?」
「そう? いつもごめんね」
「仕事なんだもん、仕方ないですよ」
素直にいえば本当はもう少し一緒にいたかった。
私は幸せ気分を壊さないためにその気持ちを押し殺して、笑顔を作った。
お店を出ると、さっきの団体さんが、わいのわいのと二次会の場所を決めているようだった。その輪から少し離れたところで、見慣れた姿を発見した。面倒臭そうなのを隠しもしないで街路樹に背中を預けて眺めている。
克己くんもコンパなんてするんだ。
なんとなく私には意外に見えた。
克己くんは私に気がつきそうもなかったし、邪魔してもなんだと思ったので私は声をかけることなく愛らしいドアベルの音とともに出てきた小西さんに向き直った。
ご馳走様です。と、微笑めばにっこりと優しい笑顔が添えられる。自分の分は持つといったのだけど、今日はお祝いだからと簡単に断られた。毎回そんな風に適当な理由をつけられた私はおごられているような気がしないでもない。でもそれが小西さんの好意なら受けるべきだと割り切ることにしていた。
「大丈夫ですよ。一人で帰れますから。急がないと怒られちゃいますよ」
ちらりと時計を見た小西さんにそう声をかけた。でも、小西さんはそんな私の顔をみて、また優しい顔をした。
「そんなこといわないで。僕だってもうちょっと一緒にいたいんだから、家くらいまで送らせてよ」
そういって私の肩を引き寄せた。
とくんっと心臓がはねて、頬が熱くなるのを隠そうと顔が見えないように私は俯いて寄り添った。家まではそんなに離れていない……徒歩でも二十分前後だろう。私たちはその道のりをゆっくりと歩き始めた。出来るだけゆっくりと、でも、迷惑が掛からないように少し早く。そんな風にいつも矛盾している部分を抱えている。きっと恋は矛盾だらけで出来ているのだろうと、そう、思うから、私はその矛盾すら愛しくなる。
私は小西さんが好きだ。
私の髪を撫でる彼の大きな手が好きだ。
小西さんといると優しい気持ちになれるし、笑顔にもなる。
何でもしてあげたくなるし、何でも許してあげたくなる。
そんな私は駄目なのだろうか?
あやなら間髪居れずに馬鹿だといって否定するだろう。
でも、そうは思いたくはない、だって、今私はとても幸せだから。
―― ……うん。きっと幸せだから。