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「吃驚したかい?」
「―― ……えぇ……少し」
本当は少しなんかじゃない。
真っ直ぐに立っているのかどうかも自分でよく分からなくなりそうな、変な感覚に襲われるくらいには動揺している。
そんな俺の心を見透かすように、弘雅さんは穏やかだ。荒立った気配一つ漏らさない。
俺は何だか弘雅さんには素直になれるような気がした。そういう空気を彼は孕んでいる。
「僕も吃驚したよ」
そう言って俺を振り返りながら眉を寄せて笑った弘雅さんに落ちる月光は、彼を包み込んでいるようだった。
「最初にいっておくけれど、僕は清明のように君に責任があるとは思っていない」
「―― ……」
「きっかけや、原因にはなっていたかもしれないけれど、せいではないと思うんだ。きっと……碧音は僕がいうのもなんだけど、しっかりした子だ。時々、抜けてるのは真葛ちゃんにそっくりだけど」
「ね?」と笑いかけられて、思わず俺も口元を緩めてしまう。
―― ……充分に碧音さんは弘雅さんにも似ていることを今日このときに再確認した。
「話さないことを根掘り葉掘り聞くつもりは僕らにはない。あの子が、君のもとに帰りたいというのなら、僕は止めない。
清明は怒るだろうけどね。と付け加えると、くつくつと口元に手を添えて笑う。
そして、改めて俺を見た弘雅さんはゆっくりと重ねた。
「―― ……でも、でもね……これだけは約束して欲しいんだ」
真っ直ぐに俺を見詰めて俺の全てを支配してしまうような、彼の絶対的な空気に取り巻かれ俺は緊張して、ごくりと息を呑んだ。
「碧音に決めさせてやって欲しい」
その言葉と、その瞳に俺は反論することは出来なかった。
……するつもりもなかったけれど……。
「―― ……分かりました」
小さな声で、でもはっきりとそう応える。
俺の答えを聞いて弘雅さんは「ありがとう」と微笑むと、ふっと何かの呪縛から解かれたような気がした。
「碧音も、薬でもう少し眠ってるだろうから。克己くんも少しでも寝ておきなさい。辛そうな顔をしている」
ゆっくりと歩み寄って、立ち尽くしてしまっていた俺の頬をぺちぺちと叩くともう一度笑って、家の中へ戻っていった。
それを見送ると俺も清明の部屋へ向かった。
―― …… ――
部屋の前では縁に腰をおろし、紫煙を上げながらぼんやりと月を眺めてる清明がいた。
「未成年だろ」
どっかりと隣りに腰を下ろした俺に見上げていた視線を少しだけこちらにもどして、面倒臭そうな顔をすると、ふぅ~っと煙を吐き出した。
「つまんねぇこというなよ」
ほんの少しだけ唇と尖らせてぼやく姿が子どもっぽい。
俺は呆れたような笑いが浮かんだが小さく肩を竦めてそれ以上は止めなかった。
「―― ……俺にも一本くれ。」
そういった俺に清明は、傍に置いてあった箱を膝の上でコツコツ叩いて少し浮かせると俺に向ける。
俺はそこから一本抜き取り口の端に固定する。火、と続けると、ほらと、軽い金属音を響かせてジッポを俺に近づけた。
白い包みの先に赤い火がちらちらと灯る。
「……不味ぃな……」
「ふん」
大きく吸ってゆっくりと吐き出す。
白く細い紫煙が、ゆるゆると月に向かって登っていくのをぼんやりと眺めながら俺は呟いた。
別にタバコを吸ったのは初めてじゃないし、只「美味い」と思えないから続けなかっただけだ。それは今も変わらないが、その時よりは、もう少し味わう気になっていた。
「殺される覚悟出来た?」
「……あぁ。出来た」
―― ……殺されない覚悟……のほうがな……。
口の端を微かに上げてそう聞いた清明に、俺はにやりと笑って答えた。
「清明」
「……あぁ?」
「ありがとな」
ぽつりと呟いた俺に驚いたのだろう一瞬眼をまん丸にして、俺を見つめたが、すぐに顔を赤らめて(多分)持って出ていた空き缶に、手にしていたタバコを落とす。
そして、ほらと、俺に押し付ける。
「あんたのためじゃねーよ」
そう吐いて、部屋に入っていった。
俺はその後姿に微笑すると、さっきまで清明が見上げていた月を見上げた。
―― ……今夜はもう……何も考えたくなかった。何も……
「ふぅ~……っ」
―― ……やっぱ、不味ぃ~……。
登り登って風にかき消されていく紫煙を眺めながら、ぐるぐると出口のない迷路をさまよっている。そんな気分で見上げた月は、もう既に薄雲の中に隠れてしまっていた。




