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碧音さんは真っ赤になって俯くと膝の上できつく握った手に視線を落とした。
「ここへ来たってことは、全部聞いたんでしょう?」
微かに上擦りながらそういった碧音さんに俺は首肯する。
「……俺は……碧音さんの口から聞きたかった。特にあやの話は……」
「―― ……ごめん」
俺は碧音さんを責める気は毛頭ない。
ないけれど、俺から吐いて出た言葉は碧音さんにとって責めている以外の何ものでもなかったことに、口に出してから、碧音さんの苦しそうな謝罪の声を聞いて始めて気がついた。
「いや、その。責めてるわけじゃないんだ。……碧音さんが話せる状況を作ってやれなかった俺にも非があるわけだし」
「―― ……」
碧音さんは俯いたまま無言で首を振る。
「碧音さん……」
抱き寄せたくて、伸ばしかけた腕を俺は引っ込めた。
さっきと同じ結果になることがひどく怖かった。
今の碧音さんにとって俺は『男』なんだろう。きっと凄く怖いはずだ。そんな碧音さんの心の傷を思うと苦しかった。触れられない悲しさや寂しさよりももっと……もっと……苦しかった。
「でも、大丈夫。もう……終わったことだよ」
黙ってしまった俺を気遣うように、赤み治まらない顔を上げて、にこりと無理に笑うとそう口にしてくれる。
―― ……終わったこと。
碧音さんにとって、一体何が終わったというんだろう。
「克己くんが責任を感じることは何にもないんだよ。大丈夫……。きっと、これで良かったんだよ」
「―― ……何が、何が良かったんだよ」
彼女の笑顔が痛かった。
辛かった……苦しかった……そして何より、悲しかった。俺の中は悲鳴をあげていた。
「何もかも、だよ……」
まるで、只里帰りをしているだけのように微笑んでいる碧音さんの胸のうちが俺には分からなくなってきた。本当に「何も」なかったかのように振舞う碧音さんに、俺はどう接していいか正直迷っている。
「碧音さん……」
頭の中を纏めることが出来ないまま、俺は彼女の名前を口にしていた。
けれど、次の言葉が続かない。
その沈黙を破ったのは、ぽすぽすっと戸を叩く音だった。その方へ顔を向けると、真葛さんがそっと戸を開けた。
「そろそろ、夕飯でもどう? 克己くんも食べてね」
「私はいらない」
口を開こうとした俺より先に碧音さんが口を開いた。
「折角克己くんも来てくれたのに、一緒したら?」
「良いの。私点滴食べてるから」
―― それは食ってない。
思わず突っ込みそうになったのを堪えた。
「そう。じゃぁ、克己くんだけでも」
あまり深く追求することは真葛さんもやめたようだ。
俺も飯を食ってるような気分でもなく、丁重に断ろうかとも思ったが、真葛さんの様子を見たら、そんなことはいえなかった。
ゆっくりと腰を上げる。
―― ……痛っ……。
僅かに身体のあちこちが悲鳴を上げる。昨日から打たれすぎなんだよ俺。
「ごゆっくり」
妙に間抜けな響きのトーンでそういい、その場に腰を下ろしたままの碧音さんが手を振ったのを横目に、静かに障子を閉めた。
「それ、清明がやったんでしょう? 居たかったよね、ごめんなさいね」
「―― ……いえ、良いんです」
明るい居間に通され、仏頂面の清明の前に座った俺にその空気を読めない真葛さんが口を出す。
「ちっ」と清明の舌打ちが聞こえたのは俺だけだろうか? 俺は口数少なく早く終わらせたくて、只もくもくと出された物を口へ運んだ。
そしてようやく終われるという頃に、真葛さんがぽんっと手を打って話しかけた。
「今日は宿とっておくわね。どうせ、帰るっていっても交通手段もないし」
「あ……はい。すみません」
どう反応して良いものか分からず俺は何となく返事を返したが「良いのよ」と笑ってもらった―― が……。
「ダメだ。こいつはここに泊まる」
今まで散々押し黙っていた清明の台詞に驚と同時に疑問を感じる。
「清明。それじゃ、落ち着かないでしょう?」
そう口にした真葛さんの反応にも疑問が残った。
……まるで……俺がここに居てはいけないような。そんないい方だった。
まあ、俺が招かれざる客なのは分かるけれど……そういう雰囲気ではなくてもっと別な何か……。
「ダメだっ! こいつに分からせておかないとっ!」
「何をいうの?!清明」
突然始まったこの親子喧嘩を俺は只見守ることしか出来なかった。
どっちつかずのいい争いをする二人を制したのは、やはり彼だった。
「僕も」
「「―― ……」」
「僕も、克己くんにはここに泊まって貰った方が良いと思う。そうするべきだと、そう、思う」
静かに箸を置きながらそういった、弘雅さんには誰も逆らえない。そんな雰囲気があった。
「そう……じゃあ、客間を用意するわね」
「ダメだ。俺の部屋に泊める。俺の部屋が一番良いだろう?」
ちらりと清明は俺を見て、その後弘雅さんの言葉を待った。
「そうだね」
湯飲みの中のお茶を啜りながら、弘雅さんは清明に同意した。