―21―
「……克己」
今日も、そんな同じ日になるはずだった。
いつもの通りの時間に、家に向った。聞き覚えのない声に呼び止められ、振り返ればやはり知らない男だ。
年のころは20代半ば。
ぴしっとスーツを着こなした姿は、俺に誰かを思い出させた。
「……誰だ、あんた?」
もちろんのこと、いぶかしげに見つめることしか出来ない。
そんな俺に「ああ、そうだ」と一人納得した男は、胸ポケットを探り名刺を取り出して俺に渡した。確かに誰だとは聞いたけれど、別にそんなもの必要なかったのに、流れ的に受け取ってしまう。
「―― ……警察?」
まずそこに視線が行くのは当然だろう。警察なんて組織できれば係わり合いになりたくないところだ。
そんなところに、俺は知り合いはない。
「あぁっと、肩書きはどうでも良いんだ。とりあえず、今川唯人っていうんだ。よろしく」
すっと差し出された手を俺は無視して、用件を急いだ。
「俺に何?」
俺の素っ気無い態度に憤るわけでもイラつくわけでもなく軽く肩を竦めて「―― ……まぁ、良いけどな」と苦笑して告げると話を続けた。
「話がしたい。正直、こんなところで、する話でもないし、君んちだろ? 上がろう」
突然現れた、得体の知れないこの男の何の話を聞けば良いっていうんだ。
俺は今川唯人を睨みつけたまま動かなかった。他人を家に入れるのは嫌だ。今は特に、何かが壊れてしまいそうで嫌だった。
「そんな怖い顔するな。本当に、ここじゃ話せない」
いって今川は辺りを警戒したあと、俺に一歩歩み寄ってそっと囁く。
「―― ……白羽碧音のことだ」
どきりと心臓が跳ねた。
どうして、見ず知らずの男が、しかも警察が碧音さんの話をしたいなんていうんだ。自分の中で描いていた最悪のシナリオが動き出すようで、俺は恐怖し逡巡した。
「イヤだっていっても聞かせるつもりなんだけど?」
遅疑逡巡している俺に被せるようにそういって口角を引き上げた。人に嫌といわせない、いけ好かない警察独特の雰囲気だ。
だけど……碧音さんを探して行き詰っていることも事実。新しい情報が手にはいるなら、危険を感じる前に聞くべきだ。俺はどんな機も逃すわけにはいかなかった。
―― …… ――
「で、何で碧音さんのことを、あんたが知ってるっていうんだ?」
ダイニングテーブルに向かい合って座った俺達は何か妙だ。
俺の前に座っている今川唯人という男は、ぐるりと部屋の中を一望して「へぇ」と小さな声を上げた。下にいたときの厳つさすら感じさせていた雰囲気は、すっかりなくなり、そこら辺にいる会社員となんら変わらない。けれど、どうしてもその全ての行動が俺の癇に障る。
「おい?!」
「あ、あぁ。悪い。いや、まさかあの碧音が同棲なんてしてると思わなかったから」
「―― ……どういう意味だ」
雰囲気は険悪そのものだった。
当然現れた陽気な男は碧音さんのことを呼び捨てにするくらいには仲が良くて、俺の知らない何かを知っている。それだけで不愉快極まりない。
「気に障ったなら悪かった。そんなことは、今、どうでもいいことだな。うん……」
今川は素直に謝罪すると、テーブルに肘を着き、顔の前で指を組み合わせると、落ち着かない雰囲気でその指を動かしていた。
「”克己”にはいうなといわれた。その碧音の言葉に俺は同意したけど……やっぱり、どうしてもまだ碧音のことを探してくれている君は知っていないといけないと思ったし、頭から離れない」
「―― ……”克己”は俺だ。何があったんだ。それと、碧音さんのことを気安く呼ぶな」
苛々する。
「あぁっと、気にしなくて良いよ。偶然にも俺と碧音は同郷の幼馴染なだけだから」
思わず、そう付け加えた俺に、にこりと笑いながらそういって俺に食いつく暇を与えず話をすぐに戻した。
―― ……幼馴染?
俺はそんなことに気を取られてる暇は無いようだ。今川は話を続けていた。
「”克己”という男をずっと呼んでいた。病院にいる間ずっと」
「だから! 何で病院にいたんだよっ!」
思わず声を荒げる。冷静でいられない自分が憎い。
「碧音は……碧音は…… ――」
今川の作った妙な間に、俺はたまらず唾を飲む。
「―― ……」
「襲われたんだ」
「……通り魔?」
憎憎しそうに、言葉を吐いた今川の言葉に俺は通り魔事件のことを咄嗟に思い出した。しかし、今川は首を左右に力強く振った。
「通り魔は、単独犯だった。ニュースでもやっていただろう?」
「え、……あぁ」
「そうじゃない。碧音は数人の男に襲われた」
そこまでいうと、今川は一度口を閉ざし視線を彷徨わせその後、俺の顔を見据えるとゆっくりと口を開いた。
「これはレイプ未遂だ」
―― ……なっ?!
俺は声にならない声を、口から吐いた。
「彼女は数人の若い男に乱暴されそうになって抵抗した。そして、傷を負ったんだ。丁度通り魔事件があったところから近くて、俺達はその近くを巡回していた。これが、俺を呼んだんだ」
何もいえなくなってしまった俺の前に、そっと、小さな機械を置いた。
「……これ……」
これは覚えてる……。
あの日俺が、真にもらって碧音さんに渡した物だ。碧音さんは心配性だと笑いながら「ありがとう」と受け取ってくれた。俺だって使うことがあるだなんて思ってもいなかった。
俺はそれを壊れそうなほど握り締めた。