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「ですよね。私もそう思ったんです。もちろんお父様もおっしゃってましたよ『子供は女の趣味も似るのか?』って苦笑しながら」
―― ……何一つあんな奴に、似たくねぇよ。
「ていうか、何でこんなもんお前が持ってるんだよ」
「あ? えぇ~……。まぁ、色々大人の事情というやつです」
心なしか、橘の焦りの色が顔に出ていた。
まあ、出ていたとしてもそれ以上こいつがボロを出すことはないだろうからそれは良い。
―― ……ふーん、この人が……。
俺は作業に戻った橘を見て、改めてその写真に視線を落とした。
彼女は、穏やかな……幸せそうな表情をしていた。
俺は……碧音さんにこんな表情させてやれていたんだろうか? このまま、そっと、手放して置いてやるほうが……碧音さんのためになるんだろうか? 探すということは碧音さんの意志に反することなのだろうか……。
『もう一人で大丈夫』
一人でない時がちゃんとあったんだろうか。
碧音さんに、俺は必要だったのか? 何も打ち明けることの出来ない、役に立たないこんな俺が……。
俺はいい知れない『孤独』を感じていた。
「離しちゃダメですよ」
「―― ……え?」
中庭を眺めながら考え事をしていた俺に、橘の声が届いた。
その声に視線を戻したが、橘はパソコンから視線を外すことなく口を開いた。
「自分のエゴでも良いと思います。必要とされるか……よりも……貴方自身が、必要としているか? の方が原動力になりやすいと思います」
「―― ……おい?」
「一生失うのは辛いです。きっとまだ克己様には、選択肢も道もあると思いますよ」
ピーー……っ
「あ、バッテリー切れちゃいました」
ふぅ……と、息を吐くと、静かに画面を閉じた。
そして、顔を上げた橘はにっこりと微笑んで俺を見据えた。
「失うしか選択肢の無かった私たちとは、違うでしょう?」
「―― ……」
橘の言葉に、身じろぎ一つしなかった俺にそういうとさっさと片づけを始める。
「ちょっとした情報が入りました。―― ……ここにも、たまにそういう患者さんがいらっしゃるんですが……。事件にならないことが多くて……。心の傷は消えないかもしれませんが、何かがあったというのなら、癒すことは出来ると思います」
がたりと席を立ち、その姿を見つめていた俺に目を細めた。
「聞かれます?」
その目は、どこか挑戦的だった。
「―― ……いや、やめとく。お前には聞かない。聞きたくない」
「そういうと思いました」
にこりと答えて「これは独り言です。覚える覚えないはご自由にどうぞ」と前おいてぶつぶつと話を始める。
「あの日の救急……ここ以外に患者さんがいたのは3院で……」
にこりと笑いかけて俺の方へ人差し指を立てながら、3つの病院の名前を挙げた。
「事件性のある患者が入った様子のある病院もありました。口は堅いでしょうけれど、こういうときに名前というのは使えるものだと思います」
「……お前聞いてたのか? さっき、事務所で話してたの」
「何のことですか? 私は別に資料の整理をしていただけです。まあ、色々と小耳に挟むこともありますが」
穏やかに続けて顔色ひとつ変えない。
食えない男だよなこいつ。
含んだ笑いを見せた橘に、怪訝な顔をすることでしか対抗できない俺って……案外弱い。
「じゃあ、私は失礼します」
「―― ……なぁ」
立ち去ろうとした橘を思わず呼び止めた。橘は鞄に手を掛けて、不思議そうに振り返る。
「お前、何しに来たんだ?」
特別凄い用事をしに来たわけでもなさそうだし……偶然じゃなくって、俺を探してここに来たんだろうが。
俺にそんなことをいうために……来た……って感じじゃないか……。それ以外に、ない、雰囲気だけど。
なんと付け加えて良いか分からず、そういった俺に、今まで以上に深い笑みをその顔に刻むと一言だけ添えてその場を後にした。
残された俺は、ますます橘一臣という男が分からなくなった。
雫……には、もう一生会うことは叶わない……会いたいとも思わない。
でも……碧音さんには会うことが出来る。
もう一度、橘の言った一言を思い出して、俺は拳を握り締めた。
『ゲームですよ』
愉快そうにそう口にした橘が腹立たしかった。
けど、少なくとも、俺はこのゲームには負けない。
―― ……絶対に、負けたくない……。
―― …… ――
橘の情報は正しかった。
でも、分かったことといえば、マンションの近くの病院に碧音さんが数日入院してたこと。
誰だかわからないが「付き添い」の男が存在したこと。
詳細は教えてはくれなかった。入院日数と、碧音さんのいない時間も重なる。
それが分かったからといって、碧音さんの行方が分かるわけもなかった。
俺が気になっていた「通り魔」の事件も犯人逮捕。ということで、終止符が打たれていたようだ、ニュースで発表された被害件数に、碧音さんのことが入っていないことを祈るしかなかった。
そんな当ても無い日が数日すぎ、俺自身、探すのを断念しそうになっていた。
―― ……大体、好きで出て行った奴の心配してる場合じゃないだろう!
何度もそう思うことに徹したが無駄だった。
結局、その思いは実を結ぶことは無く俺は「どこにいるのか?」「何があったのか?」ということに思案を巡らせる。
「はぁ……」
あれから、俺はずっと溜息ばかり吐いてるような気がする。
だるい体を、引っ張って誰もいない家に帰る。そんなことの繰り返しだった。