―17―
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―― ……相変わらずだな。
電車を乗り継いで、懐かしい駅に立った。
その風景は、本当に私が出て行ったときと全く変わっていなくて、ほっとするような、どこか寂しく、がっかりするような。
なんともいえない光景だった。
私は駅前だというのに、未舗装の道路に足を踏み出した。
そう……私の実家はこんなに田舎なんだよね。勢いよく歩くことの出来ない私は、ぎこちない歩みを進めて、なるべく誰とも会わないように細心の注意を払いながら歩いた。
注意したって、道の両サイドは畑と田んぼなので、人がいれば必然的に見つかってしまうので、無意味なんだけどね。と思わず苦笑する。
―― ……正直、ここにだけは帰りたくなかったなぁ。
ふと、私の気分とは正反対の晴天に愚痴りたくなる。
夕暮れ時の近づいた風は、優しく私を包んで抜けて行った。
「碧音? 碧音じゃん!」
後ろから、声を掛けられて、びくりっと緊張する。
おそるおそるその姿を確認すると。
「―― ……え?」
―― ……子供だ。
学校帰りの男の子に、声を掛けられていた。
でも、どこの子だろう? えっと……確か私がここを出て行ったのが六、七年くらい前だから。
「ぼっさりしてどしたの? つか、碧音怪我してんの? ドジだなぁ……相変わらず。ほら、荷物持ってやるよ。帰るんだろう?」
「―― ……え、あぁ。うん」
私の額にちらと視線を投げたあと、やれやれと大げさに呆れてみせる。子どもの癖にちょっとらしくない雰囲気だ。背伸びしたい年頃というのを久しぶりに見た。
そんなことを考えているとその子は、私の荷物をさっさと取り上げて、すたすたと歩き始めた。
「はっ、もしかして、おれのこと覚えてないの? 寂しい。おれだよ! ほら、おれっ! 太陽。分かる?」
「太陽」
ふと空を仰いだ。
そこにある太陽は沈みかけている。
―― ……太陽。正木太陽という男の子が近所に住んでいた。
「たいちゃん、か」
「そうだよっ。つか、おっせーよ碧音っ!」
ぱたぱたと私の前を歩いていた太陽が戻ってきて、ぐいっと私の手首を掴んだ。
「やめてっ!!」
どんっ! と反射的にその手を弾くと、うわっと短く驚きの声をあげて太陽は二、三歩下がった。掴れた手首を抱えて、驚いている太陽の瞳と視線が絡むと、はたと我に返る。
「ご、ごめんっ。ちょっと、吃驚しちゃって……えっと、その」
「いーよ。おれもごめん。痛かったのか? ゆっくり歩くから、その」
ちゃんとついて来いよ。
そう続けて、さっきと同じように私の前を歩いた。
少しだけ歩くスピードを落として……。
子どもに気を使わせる私は駄目だな。苦い笑いがこみ上げてきて、溜息と共に零した。
太陽の後ろを半ば追いかけるように歩きながら、私は記憶の糸を辿る。
うちの近所の子どもで、よく子守をしたような気がする。あの時は確かまだ、凄く小さくて……悪戯っこで……。私は小さく笑った。
「大きくなったねぇ……」
無言に耐え切れなくなったのと、なんとなく懐かしくて、ついしみじみと口にしてしまう。本当に近所のおばちゃん状態だ。
「当たり前だろ、何年経ってると思ってるんだよ」
「じゃあ、家のうらにあるトイレにも一人で行けるようになったんだ?」
「いぃい行けるに決まってるだろっ!」
もともと私の実家は古いから、外にもトイレがある。もちろん汲み取り式。学校の怪談とかなら絶対に一つや二つ三つや四つの怪談が転がっているような雰囲気のあるところだ。
もちろん、私は未だに使いたいと思わないだろう。
太陽は怖いとしょっちゅう号泣していた。家に入ればあるわけだから、何もそこを使わなくても良いんだけど、そこはほら、悪戯心というか……嗜虐心というものが働くのだから仕方なかった。
太陽の反応は実に愉快だった。
「碧音は変わんないな」
「大人になったらあんまり変わるところないよ」
皺が増える程度のものだ。
「嫁にも行ってないんだろう? どうせ、貰い手ないんだし、もうちょっと待てよ、おれが貰ってやるから」
「それは、どーも」
何となく、太陽の雑談に応じながらあたしは家路を急いだ。
―― …… ――
家の佇まいも出て行く前と何も変わらない。変わるはずないという現実がなんだか落ち着く。ここは変えようのない場所で、時間が止まっている。
でも、私何の連絡もしていなかったと、今気がついた。
何ていって顔を合わせれば良いんだろう。
うーん。と思案していた私に気がつくこともなく、太陽はがらがらっと、躊躇することも私に確認することもなく、勢い良く、元気いっぱい玄関の引き違い戸を開けた。
「真葛~っ! 碧音帰ってきたぞ」
―― ひぇぇえっ。まだ、心の準備ってもんが出来てないんですけどっ!
思わず太陽の口をふさごうとしたが間に合わなかった。ぱたぱたと足音が近づいてくる。
「あ……やべっ」
外の遠くの方で、女性の声が太陽の名を呼んでいるのも聞こえた。その声に一番に気がついた太陽は、大げさに肩を跳ね上げて「じゃ、ばばあがうるせぇし、またな」といって慌ててその方へ、走って行った。
私は小さく手を振りながらその元気な姿を見送った。