―14―
―― ……かちゃ。
「ただいま」
たったあれだけの期間でも、習慣って出来上がってしまうものなのだと痛感する。ただいまとおかえりはほぼ強制的にいわされていたから、もう癖になっていた。
今、そんなものが出ても虚しいだけだというのに……自嘲的な笑みを零し、廊下を抜ける。
リビングに電気をつけた。
誰も居ないのはわかっていたけれど、きっとここに一度戻ったのだろうから”何か”あっても良いと思ったのに、空振りだ。
そういえば、あやがメールが来てたっていってたな。退職願まで添付してたってことはパソコンからだろうから……碧音さんの部屋……か……。
「ん?」
碧音さんの部屋に近づくと音が鳴ってることに気が付いた。
何だ?
僅かな期待と、疑問。それらが綯い交ぜになった不安。
静かにドアを開けると。
「―― ……俺、かよ」
音の原因を突き止めると、力なくそう呟いた。ぐしゃりと前髪をかき上げて頭を抱え、ぎゅっと握っていた携帯を切る。
碧音さんのPCデスクの上で、鳴り続けていたそれもぴたりと静かになった。
「完璧に置いてけぼりだな……全く……」
ぐったりと急な疲労感に襲われた俺はその場に座り込んだ。
それと……それは同時くらいだった。
何度も、何度も、しつこいくらいに部屋のインターホンが鳴っている。
邪魔臭い。
出たくない
こんなときに一体誰だよ…… ――。
そして、痺れを切らしたのか、鳴るのはインターホンだけではんくなった。手の中でケータイまで震えている。
ウザイ。
「何」
怒り任せにでた俺に、相手はもっと怒っていた。
『何っ! じゃないわよっ! さっさと開けなさいっ!! あたしには時間がないのよっ! これでも、頑張って抜けてきたんだからねっ!』
―― ……怒声の主はあやだ。
がっくりと、膝の間に頭を埋めて、息を吐ききる。そして、お冠なあやに負けて、俺は重たい腰を上げた。
俺と同じくらい、もしくはそれ以上に心労が募っていそうなあやに伝えるかどうか迷ったけれど、俺なら知りたいと思うだろうから……一応、さっき見たことを伝えた。
あやの困惑は見て明らかに伝わってくる。紅潮していた頬が色を失っていく。お前こそ大丈夫かと、いいたくなるが、多分、俺も同じような顔をしているだろう。
「碧音を探してっ!」
ようやっと口を開いたかと思ったら、あやはそう切り出した。
探せっていっても……。
俺の胸の中に影が落ちる。
「嫌だ」
そして、反発的な言葉が口から零れ出た。
「ほら、あいつはこうやって携帯も置いて出て行ってるわけだ。もう、帰って来るつもりはないんだろう? それをどうして俺がわざわざ……探さないといけないんだ。必要がないから、何も、いわないんだろう」
それにもう宛てもない。
誰かとどこかへいってしまったんだ。それを追いかける手段だってない。
改めて口に出してみれば、正にそのとおりだと思った。俺が必死にならないといけない理由もない。現に碧音さんはそれを拒否して電話にも出なかったし、何もいわずに、ここから…… ――
「馬鹿なこといわないでよ。こんなこと、こんなことってないわ」
あやは、かくんっと落ちるように膝を折ってソファに座り込んだ。床を見つめて、綺麗に整えられて長い爪で自分の膝頭をこつこつ弾きながらぶつぶつ。
「何かあったのよ……怪我してたって、どうして……。何があったの……あの子に……どうして何もいわないの……どうして……」
「お前さ……何かに心当たりがあるんじゃないか?」
ぽっと口にした俺の言葉に、彷徨っていたあやの瞳は俺を捕まえた。
「どうして、そう思うの?」
「どうしてって、そりゃ、お前の尋常じゃない態度もあるし、それに……あれでいて碧音さんは答えが出るまで問題を口にしないところがあるから」
俺の知らないところで、また何か悩んでいたのかもしれない。また、俺を放っておいて勝手に……ざわっと胸のうちが騒いだ。
あやは数回、口を空で動かしたが、ごくりと息を呑むと小さく自分で頷いた。
「―― ……今、どうなのかは分からない……。でも、あんたが知らなくて、あたしが知ってること……確かにあるわ。とても……とても大切なことよ」
「……へぇ……」
すうっと腹の奥が冷えた気がした。
そう返ってくるとは思わなかった。俺が知らないということは、本人以外は誰も知らないことだと、そう思い込んでいた。
***
次々と後ろに流れていく景色を宛てもなく眺めていた。
その間、唯人くんは無言。私は正直なところ何も考えてはいなかった。ただ、ぼぉっと外へ視線を投げているだけ。何も見ていないし、見えてもいない。
「本当に良いのか? 碧音」
「うん」
唯人くんはお願いしたとおり、真っ直ぐに駅に向ってくれた。
駐車場で大丈夫だといったけれど、唯人くんは首を縦には振ってくれなくてホームまで一緒に来てくれる。
何度も重ねた確認に、私は首肯した。
笑顔を添えたつもりだったけど、本当に笑えていたかどうか……全然分からなかった。
強張る顔の筋肉をなんとか引き上げたつもりだったけど、それは果たして笑顔といえるのだろうか?
私はこの土地を後にして、実家に戻ることを選択した。
何度もしつこいくらいに、唯人くんの例の確認が入る。唯人くんの納得が行かないという気持ちも分からなくはない。