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桜の下で君を待つ  作者: 汐井サラサ
第八章:bruise
140/166

―13―

 ***



「あれ? 古河……、帰るのか?」


 一応普段どおりの生活を続けるものの、身体と気持ちは別問題で俺の披露はピークに達していた。


「ん、何かだるい。どうせ、実習中止なんだろ? 後の講義は良いや」


 何かあったのかという問いも含めた雰囲気で、そう声を掛けてきた真に俺は軽く肩を竦めて、まるで察していないように簡単に答える。

 頭がぼんやりして、どうしようもない。俺の精神的な部分のキャパって絶対矮小なんだと思う。もういっぱいいっぱいで、碧音さんのこと意外気に掛けるのは無理だ。

 それを追いかけるように、本格的な体調不良。吐き気まで襲ってくる。


 これ以上教室で座っておくことなんて今日は出来そうにない。

 でも……と、引きとめようとした真を手で制して、俺はその場を後にした。


 憎たらしいくらいの青い空に日を遮るように手を掲げ顔を上げる。こんな日に太陽なんて仰ぐと、それだけで眩暈を起こしそうだ。

 はぁ、と嘆息して頭を振ったあと宣言どおり家路につく。


「連絡、なし、か……」


 開いたケータイを睨んで再び溜息。

 一度も連絡を寄越さないなんて、本当、何を考えているんだ。


 僅かな間繋がった気がした電話の向うに、碧音さんは居たんだろうか? あの沈黙の先で何を思い何をしていたんだろう……。


 ……分からない。

 分かるわけがない。


 重ねた溜息は一体何度目だろう。溜息は幸せを落とすとか馬鹿なことをいって騒ぎ立てる奴が居ないから吐き放題だ。

 まったく……。

 そして、嫌味ったらしくもう一度溜息を重ねたところで、ふと一台の車が目に付いた。


 タクシーですら玄関ホールの正面になんてハザードたいて車を止めたりしないのに、どこの誰だよ。邪魔だな……。普段なら車が止まっていようとトラックが止まっていようと気にもならず、脇を抜けていくのにこのときは妙に引っかかった。


 通り過ぎる序に顔を見ていってやろうと、どうでも良いことを考えながら俺はマンションへ向う。


 ―― ……え……


 息を呑んだ。

 足が止まると同時に、時間が止まってしまった。


 玄関ホールから女が一人顔を伏せ、逃げるように足早に出てきた。少し湿った風に吹かれて揺れる長い栗色の髪。食べる量に反比例した華奢な体躯。


 ―― ……碧音、さんっ!


 声に出したつもりだったのに、口パクでしかなくて音に鳴らなかった。


 あの姿を見間違えるはずはない。

 まだ少し、遠くてちょっと視力の弱い俺では実に説得力に欠ける。でも、絶対に間違えない。

 辺りを気にする余裕もないという風に、ちらりとも視線を上げることもなく、真っ直ぐに乗り付けてあった車に乗り込んだ。


 誰だ、あれは誰の車だ?


 俺の立っていた場所からでは運転席の顔は見えない。

 ばたんっと車のドアが閉まる音が俺の全身に反響した。そして、車は何食わぬ顔で、ゆっくりと……進んでいく。

 俺はその車をただ見送ってしまった。ぴくりとも動くことが出来なかった。


 車が角を曲がり見えなくなって、はっと我に返ったような気がした。


 ―― ……意味が分からない……。


 考えが纏まらない……気持ち悪い。込み上げてくる胃液臭に眉を寄せ皺を深める。


 見送ってしまった車はどこに向ったんだろう?

 もう自分でも何も出来なかったのか、しようとしなかったのか、分からない。

 ただ、この足は、この身体は、直ぐに駆け寄りたいハズの俺の意思に反して微動だにしてくれなかった。


 RRR……RRR……


 呆然としていたら、握ったままに鳴っていたケータイが突然鳴り始めた。

 俺は相手を確認することなく、慌てて出る。


『克己っ!!』

「―― ……何だ……あやか」


 聞こえた声に盛大にがっかりした。

 がっかりしたと同時に、一歩踏み出しその勢いでようやくまた前に進む。

 今更走り去った車を追いかけても無駄だ。当初の予定通り、部屋に戻ることにして歩き始めた。


 それにしても、あやのタイミングは良すぎる。


「で、何を慌ててるんだ?」

『慌ててるわよっ! 碧音っ! 碧音は?!』

「―― ……碧音さんが、何?」


 俺の不快指数は急上昇した。

 追いかけなかった自分に苛立ち、目の前に居るのに声も上げられなかった自分に更に苛立ち……周りの空気を刹那でも感じてくれなかった碧音さんに苛ついた。

 ただ、不機嫌に問い返した俺に、あやは益々噛み付いてくる。こんなあやは珍しい。


『何って、何よっ!』

「はぁ?」

『だから碧音はそこに居るのか居ないのかって聞いてるの!』


 いや、問い掛けられている雰囲気では全くない。それに今実際はマンションの正面に俺は居るけれども、普通に考えればここにいるわけない。

 あまりにあやが取り乱すから、なんだか俺が落ち着いてきた。

 黙って続きを待ちつつ、玄関フロアで部屋番号を押す。


『ま、まあ、良いわ。兎に角、今、碧音から会社の方にメールが届いたの』

「は? なんで」

『分からない。分からないわ……一身上の都合としか、』

「はぁ?」

『退職願にそう書かれていたの』


 ふわりと頭の中にもやが掛かったような気がして「え?」と間抜けに問い返してしまっていた。そんな俺に益々苛立ち、あやは吐き捨てるように重ねた。


『だから、辞表よっ!』


 ―― ……そんなことは分かってる……。


 分からないのは、どうして碧音さんが会社を辞めるのか? ということだ。


 ぷつっ


「あ」


 そのまま、普通に肩と頬でケータイを固定してボタンを押し、エレベータに乗り込んでしまった。もちろん非常電話じゃないからケータイは利用出来ない。

 何か電話の向うでぎゃいぎゃいいっていたあやの声がぶつりと音を立てて途切れると、急に静かになった。


 まあ、良いか、あとで……。


 はあ、と溜息重ねて肩の凝る体勢から元に戻した。

 そして、吸い込まれるように静かに階上へ上がって行く数字が止まるのを待つ。当然、指定したいつもの階に止まりドアは左右に開く。

 ポケットから部屋の鍵を取りだしつつ、念のため……もう一度ケータイを鳴らした。


 機械音は、留守電へと切り替わることなく、何度も何十回もなり続けた。

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