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桜の下で君を待つ  作者: 汐井サラサ
第八章:bruise
138/166

―11―

 茶封筒の上に放られた携帯電話。

 電源はもちろん落としてしまっているから、何も知らせてくることはない。


 ―― ……ちょっとくらい……良いかな?


 少しだけ上体を起こしてケータイを手に取った。

 申し訳ない気持ちもあったけれど、私は遮光カーテンも閉められた薄暗な部屋の中で、それに電源を入れた。


 運が良いのかどうか、まだ充電は残っている。

 ぽっと私の手元だけに小さな明かりが広がった。


 未読メールの数には正直驚いた。いつまで読み込むのかと思った。

 その大半があやと克己くんのもので、今朝一件だけ葉月チーフからも入っていた。


 とくん、とくん……と鼓動が早くなる。


 けれど、そのどれも内容は想像出来たので、申し訳なさと悲しさで私は一通も開くことが出来なかった。


 留守番電話も、数件入っていた。

 私は、耳にするかどうか少し迷ったけれど、ハンズフリーに設定して、膝辺りの布団の上に置くと、用件を取り出した。


 ―― 『あたしだけど、大丈夫? 会社には風邪だといっといたから……ねぇ? 本当に大丈夫なの?』


ピー……ッ


 ―― 『―― ……』プツ……ッ


ピー……ッ


 ―― 『碧音? 生きてるの? 連絡してくれない? どうしたの? 大丈夫? あ~あれよ……その……嘘でも良いから、克己に連絡いれときなさい。心配してるわ』


ピー……ッ


 ―― 『白羽さん。風邪ひどいみたいね。明日の会議資料どこにあるのかしら? 弥生にも探させてるんだけど見つからないのよ。良かったら連絡頂戴』


ピー……ッ


 大半……こんな感じのものだった。

 この部屋の外では日常が何一つ変わりなく流れている。

 変わってしまったのは、私だけ……。


 そう思うとそのどれも頭の上のほうを通り過ぎている感じがして、その内容を考える力はなかった。

 何度か、無言で切れたものがあったのは、きっと克己くんだろう。留守電とか入れるの苦手そうだもの。

 延々と続く留守番電話の内容を聞きながら、ぽろぽろと涙が頬を伝い、シーツの上に、ぽつんっぱんっと軽い音を立てて落ちていった。


 ―― ……みんな……ごめんね……。


 私が、ここでこうしているせいで、みんなに迷惑かけていることは分かってる。

 心配してくれてることも分かってる。


 とても嬉しい、ありがたいとも思う、思っている。


 ―― ……でも。


 今。その返事をする勇気も、嘘を並び立てて取り繕う気力も……私には……ない。


 ピー……ッ


 ―― 『―― …………あ~……、その、大丈夫か? ……えぇと……怒ってないから、早く帰って来いよ?』


 ピー……ッ


「っ! ……克己くん……!」


 克己くんの戸惑いを隠せない声が、私の身体中に反響する。

 大きく響いて、深く染み渡る。

 静かに頬を伝った涙は今や溢れて止まらなくなってしまっていた。


「怒ってないから」だなんて……あやにでも釘刺されたのかな? ……そう思うと泣き笑いになってしまう。

 ぎゅっと何も伝えなくなったケータイを両手で握り締める。握り締める手は小刻みに震えて止まらない。


 色んな感情が一度に溢れて、どうして良いか分からない。

 自分の考えも望みも何も分からない。纏まらない、私は今何を考えているのか……だから……

 

「ごめん……ごめんね……」


 ただ、謝罪の言葉しか出てこない。繰り返し、繰り返し、重ねる。

 しんっと静まり返った病室に、私の嗚咽と謝罪の言葉が染み渡っていった。


 ごめんね、ごめんね、ごめん、…… ――


 何度も何度も何度も……無意味に……


「―― ……ひっ!」


 そうしている間に、ぎゅっと強く握っていたケータイが振るえ苦しげに小さな音を発した。

 今必要ない謝罪なんて放っておいて、電源を切って置くべきだった。何故、無闇に電源なんて入れてしまったんだろう。


 ケータイを握る手に益々力を込める。


 ばくばくと、息苦しくなるくらい心臓が高鳴る。

 もう、自分の手が震えているのか、ケータイが震えているのか分からない。


 じわりじわりと指の力を緩めて、ディスプレイを確認する。


 克己くんからの……着信だ……

 どうしよう……。どうしよう……。どうしよう……。


 無理矢理に電源を落としてしまえず、鳴り続けるケータイを見詰めているのは私の弱さ。


 声が聞きたい……。


 今、たった一つボタンに手を掛ければ叶う。

 何もいわなくても、きっと問い掛けてくれるだろう。名前を呼んでくれるだろう。


『碧音さん』


 聞きなれた声が頭の中で鮮明に蘇る。


 助けて、助けて欲しい。

 迎えに来て欲しい。

 大丈夫だと、悪夢は去ったといって欲しい。


 もう一度、もう一度だけ……克己くん、克己くん、かつ、み…… ――


 苦しい、苦しい、よ……助け、て……


 浮かんでは消えを繰り返す。悲痛な本音。

 でも、それは決して私が口にしてはいけないのだと、ぐっと堪える。そして、しっかりと噛み締めた唇には血が滲み、口の中に流れ込む。


『ただいま、電話に出ることが出来ません……』


 余りにも長くそのままにしてしまっていたから、留守番電話に切り替わった。電源を落としているときより遥かに遅く切り替わった。だからきっと克己くんは気が付く……っ


 切らなくちゃ、電源をっ!


 慌ててケータイを引寄せてボタンに手を掛ける。


 ピー……ッ


『碧音さん?』


 っ!

 息を呑んだ。電源ボタンに添える指が震える。切らなくちゃ、切らなくちゃ……今、切らないと……


『碧音さん? もしかして、今、聞いて、る?』


 克己くんの声が不安に揺れている。

 私は洩れそうになる嗚咽を噛み殺して、代わりに大きく息を吐いた。その瞬間、唇に滲んでいた血液が、ぱんっと真っ白なシーツに赤の染みを作る。


 どくんっと身体の中の何かが鈍い音を立てた。


 ―― ……赤……赤い、


「っ」


 声にならない悲鳴が漏れ視界がガンガンと揺れる。誰かに殴られ、揺す振られている感覚が私を襲う。


 助けて、助けて、たす、け、て……嫌だ、い、や、恐い、恐い、こわ、い……よ……いた、ぃ、よ…… ――


 もう、誰の悲鳴か分からない。


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