―9―
夜明けはいつもと同じ様にやってきた。
薬の作用もあって、私は遅い朝を迎えていた。
ひどい頭痛で目を覚ます。
目を覚ますと、点滴のぽつぽつ……と規則正しく落ちる音も煩い。
ブドウ糖でも打ってるんだろうか?
私にはよく分からない。よく、分からないけれど、こんなもので繋がれなくてはいけないなら、もう……良いのに……別に……。
生かす価値なんて私にはない。
身体があまり思うようにいうことを聞かなくて視線だけで、部屋の中を一周すると、ベッドの隣りには唯人くんが突っ伏していた。
一緒に居てくれたんだ。
……義理堅いんだから……ほっといて良いのに……。
ふ……っと、鼻から笑いを漏らす。
そして、起こしてしまわないように、そのまま視線を動かすとベッドサイドにおいてあったケータイに目が止まった。
―― ……きっと克己くん……心配してるだろうな。
そうは思ったものの、それを手にとって連絡を取るという気にはまだなれなかった。
第一、何からどうやって説明して良いのか皆目検討も付かない。克己くんは何も知らない。まだ、何も知らないのだから……。
ぎこちなく上げた両手首には、昨日暗くて見えなかった痣がくっきりと残っていた。
昨夜のことを鮮明に思い起こさせるその印に……内臓が焼け付くようだ。
恨みが脊髄にまで届くのが肌で感じられた。
ざわりと肌の表面が総毛立つ。
「―― ……ん……起きたのか……」
そんな気配を察したのか、唯人くんが「悪い、寝てた」とごしごし目を擦りながら身体を起こした。
別に、彼が謝る事柄なんて何一つないのに。
「ううん、私も、ごめん。起こしちゃったね」
「いや、良いんだ。調子、どうだ?」
「―― ……」
不安そうにそう聞いてきた唯人くんには悪いが、まだ、良い返事は出来そうにない。
私は、枕に頭をこすり付けるように首を振った。
そんな私を見て、眉をひそめたまま唯人くんは笑顔を作った。きっと、彼は笑えていないことには気が付いていないのだろう。
そんな彼に申し訳なくて……見ていられなくて、私は再び瞼を落とした。
直ぐに深い闇に落ちる。深遠の淵。もう、二度と覚めないことを願って沈む意識に蓋をする。
***
馬鹿みたいに天気の良い空が眩しい。寝不足の頭に響く。
なんとか、普段どおり講義には出席したものの睡眠不足がたたって、全く意味はなかった。出席の返答をした後の記憶がない。
「古河くん―― ……これ、資料第一まで返しにいってくれるか?」
退室しようとしたとき、教授に呼び止められた。
「どうやら、私の講義は君の睡魔には勝てなかったようだしな」
穏やかな表情でそう付け加えると、俺の腕に重たい資料をどさどさっと抱えさせた。
「すみません」としか答えようはない。事実だ。
「俺は何度も起こしたぞ?」
「もう良いって。じゃあな」
後ろからいい訳がましくそういった真に、手を振ろうと思ったが両手が塞がっていて俺は肩をすくめた。
真は困ったように笑ったが、手伝おうかと続けた台詞に首を振り俺がそのまま、出て行ったので後は追って来なかったようだ。
もう、日も高く半日が過ぎたというのに、碧音さんからは一向に連絡がない。
する気がないのか、出来ない状況にあるのか……どちらなのか……そのどちらだとしても俺には好ましくない。
苛々とする気持ちを落ち着けて歩みを進める。
「よっ、と……」
両手が使えないため足ですれ違い戸を開けた俺は、真っ暗な室内に入り、中央のテーブルにどさりと荷を置くと電気をつけた。
埃っぽい、嫌な熱が篭った本棚だらけの部屋だ。
―― ……どこに何があるんだか。
やれやれと腹に溜め込んだ息を長く吐き出すと、背表紙を確認し始めた。始めなければ終わらない。
時折、ケータイを確認するが、かかった形跡はない。
言葉で「こうっ!」という適切な感情表現が出来なくて、俺は身体の奥のほうで疼く何かを抑えるように腹をさすった。
碧音さんは人一倍気を遣う人だ。全てのことに対して真摯に向き合うことの出来る人だ。
特に俺にはちゃんと向き合ってくれていたと思う。多少の甘えは、気を許してくれている証拠だと思えていた……今までは……。
それなのに、どうして、今は電話一本ないんだ。
俺が気に掛けていないと、そう思うとは思えない。そう考える筈はない……行き着く先は、それが出来ない状態にある。ということだ。
―― ……出来ない状態って、どんな状態だよ。
考えたくなくて、乱暴に頭を掻き混ぜ、がんっと残り少ない資料の乗っかった机を力任せに叩いた。
ぼすっと一冊不安定だった本が落ちて、埃を舞い上げる。
終わらせるのが先だった。