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桜の下で君を待つ  作者: 汐井サラサ
第八章:bruise
135/166

―8―

 ***


 私は、走る、走る、走る

 喉の奥から生々しい血の味が沸いてきても、足を止めることはしない。


 走らなきゃ、逃げなくちゃ……逃げて、逃げて、逃げて……はぁ、はぁ、はぁ、はぁ……助けて、誰か、誰か……


 何度も走る。

 何度も逃げる。


 そして、何度も……


「ぃや! ……いやぁぁっっっ!!」


 激しい頭痛と悪夢に襲われ私は覚醒した。

 息は上がり、肩が大きく上下する。心臓が身体のどこにあるのか分からなくなる程、全身がどくどくという強く脈打ち、鼓動が悲鳴を上げていた。


 はぁはぁはぁ

 嫌な汗が頬を伝っていく。


 これは夢? それとも現実?

 どちらが夢でどちらが現実なのか、それを把握するのに暫らく時間が掛かった。


 何度か瞬きをして、上がった呼吸を整えるために深呼吸。

 そして、霞んだ視界の先に映ったのは無機質な天井。うちのクロスじゃない。天井にカーテンレールが走っている。家でそれは有り得ないだろう。

 そっと視線を動かせば真っ白な壁と窓には白いカーテンが掛かっていた。


 ―― ……病院、か……


 そう実感し自分が生きていることを痛感した。


「碧音……?」


 誰も居ない。

 そう思っていたのに、声が掛かった。私ではない声。しかも異性。その声に、びくりと全身に電気が走るように痺れた。


「触らないでっっ!!」


 突然視界に入ってきた、大きな手。

 反射的に悲鳴を上げ、力の限り叩いていた。


 加減するまでもなく私の手にそれほどの力は入っていなかった。それでもその手は簡単に弾かれてくれて、私の視界から消えた。その代わりに、心配そうに顔を覗かせた人物。ゆっくりとそちらに焦点をあわせれば見覚えのある顔だ。


「唯人くん……」

「うん」


 唯人くんだ。

 そうだと分かったのに私は体の震えが止まらない。

 歯も上手くかみ合わなくて、出てきた声は震えていた。上手く言葉を発することも出来ない。


「ご、ごめ、ん」


 音になったかどうか分からない程度のその声に、唯人くんは「良いよ」とゆっくりと首を降る。


「急に手を出した俺が悪い」


 もう、大丈夫だからと続けて、もう一度、唯人くんは手のを伸ばしかけたがそのままベッドの上に落とした。なんともいえない沈黙が私たちの間に流れた。

 あまりに静か過ぎる病室は、唯人くんがごくりと唾を呑んだ音まで響く。酷く緊張している。ベッドの端に載せたままになっている拳を握ったり開いたり……何度も、何度も繰り返した。


「……あー……えぇと、その」


 ようやっと決心したのか唯人くんは口を開いた。

 じっと、白いシーツを睨みつけていた瞳が私を見る。


「とりあえず、額から眉にかけての傷は三針ほど縫合して右足太ももの傷は七針縫合してある。ニ、三日様子を見るまで入院することになるだろうって」


 ゆっくり、そして、淡々と私の傷の具合を説明してくれる。


 ―― ……悪夢は現実だった。


 そのことだけが重く圧し掛かる。


 あれが現実だったなら、私をここまで運んでくれたのも唯人くんだろう……彼にも辛い思いをさせてしまったな。私は彼の説明に何度か頷いた。

 そして、そっと伸びてきた手にびくりと身体を強張らせる。

 そんな私に唯人くんは困ったように微笑んで「大丈夫。触らないから……」ゆっくりそっと告げ伸ばした手の先で、ナースコールを握り


「ええと、看護師さん呼ぶな……もっとちゃんと説明してくれると思うから」


 重ねて、ぽちりとボタンを押した。ちっかちっかと赤い光が点滅する。


「酷くうなされてたけど……大丈夫? いや、大丈夫じゃないな。悪い……ええと、その診察して貰っている間に、その”克己”って人に連絡とろうか?」


 ―― ……え?


 どくんっと心臓が跳ねた。会いたくないといえば嘘だ。会いたい。今すぐ。

 でも、どうして唯人くんがその名前を知ってるのか不思議で、一瞬言葉に詰まった。その私の心中を悟ったのか、唯人くんは眉根をひそめたまま肩を竦めた。


「寝言。ずっと謝ってた……。その”克己”って奴に。携帯勝手に探って掛けても良かったんだけど、もし、そうして欲しくなかったらいけないから」


 そう思って、とぽつぽつと重ねた唯人くんに、そっか……と頷く。


「それに、俺は出なかったけど……ケータイ。鳴ってた」


 ぶらぶらっと、私の前で見慣れた携帯を振りながら、どうして良いのかわからないという顔で「本当は、連絡入れるんだぞ? でも……」唯人くんは微笑んだ。

 私に気を遣ってくれたのだろう。

 もしも、私がそうして欲しくなかったらいけないから、私が……唯人くんの優しさに、少しだけ心が落ち着いた。


 どうするか、刹那迷って、そっ……とお腹に手を添えた。元々、まだ鼓動を感じられるほどではなかった、それでもそこには確かに命があって暖かかった。


「あ……っと……」

「―― ……いなく……なっちゃった?」


 私のその行動に事を察した唯人くんは、視線をそらして小さくこくりと頷いた。


「―― ……」

「あ、その、でも。子宮は痛めてないからって……だから……その……」

「…… ――」


 真っ白なシーツを掴む手に力が篭る。手の中でシーツがくしゃりと皺を掴む。視界が揺らぎ、堪え切れなかった涙が、音もなく目尻を伝って枕を濡らした。


 いなくなってしまった。

 私の宝物。

 ……これから一生大事に……大事に大切に守っていこうと思っていた……

 最愛の命を、私は守ることが出来なかった。 私 が …… 殺 し た …… ――


 胸の中にどすんっと鉛が落ちたように重たくなった。


「連絡……しないで。誰にも……私は、一人で大丈夫、なんとか、する、から……」


 お願い、と重ねて搾り出したその言葉に唯人くんは小さく頷いてくれた。


 ―― ……さわっ


 開けられた病室の窓から入ってくる風が頬を撫でていく。

 カーテンが揺らいで、ほんの少し差し込む外の明かりが私の後悔の念を映し出し……締め付けていく。


 私は……何をやってるんだろう……?

 身じろぎをすると身体のいたるところが傷む。


 私は何で生きてるんだろう。この子と一緒に……いけたら良かったのに……。

 静かにゆっくりとお腹を撫でる。空っぽのお腹、空っぽの心、空っぽの私


 ―― ……空洞になってしまった私。風通しがとても良い。

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