―7―
***
部屋に帰ると真っ暗だった。
廊下の間接照明すら付いてないことに疑問を持ちながら、俺はもう寝ているんだろうと思った碧音さんの顔を見るために寝室へ向かった。
―― ……かちゃ。
起こしてしまわないように、静かにドアを開けたのにベッドは朝のままだ。
そっと風が吹き込むように、胸の中がざわつく。
「俺より早く店を出たのに」
迷子か?
沸いてきた不安を掻き消すように、そんなことを思い浮かべてみる。
いくらなんでも有り得ない。そんなことは分かってる……。
とりあえず、ケータイを確認してもメールも電話も着信がない。俺も碧音さんもそんなに小まめに連絡を取り合うという感じじゃないから、あまり期待はしてなかったけど……何かあったなら、電話の一本くらいする、よな?
誰に問うでもない問い掛け。
答えはもちろん得られない。
とりあえず、リビングへ戻った。
闇雲にそこかしこを見渡したが碧音さんの戻った形跡はない。途中、あやにでも捕まって、飲みにでもいったんだろうか? でもそれなら連絡があってもおかしくない。
「子どもじゃないんだから、そのうち帰ってくるよな」
馬鹿みたいに独り言を零した。
そしてケータイを鳴らしてみる。コール音はしても通話が可能になることはなかった。
妙だな? そうは思っても焦る自分を落ち着けて、風呂にでも入っていればそのうち帰ってくるだろうということにした。
―― …… ――
「―― ……ふむ……」
俺の予想は大抵当たることが多い。
それなのに、今回は当たっていなかった。
俺が風呂から上がっても、碧音さんの姿はどこにもない。電話も鳴っていない。もちろんケータイも、だ。
「―― ……まさか……なぁ」
無意識に電源の入っていないテレビへと視線が流れる。
ふと俺の脳裏を昨日の事件がよぎった。
まさか……と思いながらも、緊張する心臓は止めることは出来ない。
もう一度、碧音さんのケータイを鳴らす。
何十回というコールを掛けたのに無駄だった。
『只今電話に出ることが』
ぴっ
「けいこには用がねぇんだよ」
苛立たしげに俺は、留守電に最後までメッセージを言わせることなく、何度も受話器を置いた。
こんなことは今までなかった。
連絡が取れなくなるなんて…… ――。
何度もケータイを鳴らす合間、メールを何度も打ったが、一件も返ってくることはなかった。
「何やってんだよ、あの馬鹿」
ソファに深く腰掛けて、苛々と膝を揺らす。
苦く吐き出した俺の声は行く場もなく、冷ややかなフローリングに消えていくだけだった。
―― …… ――
カーテンを閉め忘れた窓から朝日が差し込んできた。
結局。一睡も出来なかった。
碧音さんからの連絡を待ってケータイを握り締めていた手は、硬くなり開くときに僅かに軋む。
改めてケータイのディスプレイを見ても何も表示されていない。連絡は着ていない。
今、どこに居る。
今、何をしているんだ。
ぐるぐると怒りを通り越した不安が身体中を駆け巡って、痛みを訴える。別に碧音さんの行動に制限を掛けるつもりはない。
でも、何か一言くらい連絡があっても良い筈だ。
別に喧嘩をしていたわけでもない、連絡をしない理由なんて存在しない筈なのに。
苛々と、ケータイをソファの隅へと放り投げて、膝に肘をつき頭を抱える。わしわしと頭を掻き回す。意味が分からない。
「―― ……あや」
そうだ。あやに聞いてない。あいつなら何か知っていてもおかしくない。
ふと顔を上げてそう思いついた俺は放り出したケータイににじり寄って手に取るとあやに電話をした。
「碧音さんから連絡ない?」
『藪から棒に何? 碧音……そういえば今朝は会ってないわね』
俺の様子に、ふとそう行き着いたのか「何かあったの?」と重ねた。
何か? いや、何かあったというよりは何もないんだ。
「昨夜戻らなかったから」
『喧嘩でもしたの?』
「しねーよ。多分……してないと思う。店で会ったときには普通だったし……」
いわれるとなんだか自信がなくなる。俺、何かやったか?
困惑して黙った俺に、あやは短く嘆息して「まあ、良いわ」と口火を切った。
『情緒不安定なんでしょう。きっと一人になりたくなったのよ。そんなときくらいあるわ』
「―― ……情緒不安定? なんで、碧音さんがそんなもんにならないといけないんだよ。あや、お前何か知ってるのか?」
―― ……一人になりたい? 碧音さんが?
あの碧音さんがそんなこと思うとは思えない。
そんなこと、碧音さんが望むとは……到底……。
『知らない。というよりはあたしから話すような話持ってないわよ』
僅かに笑いを含んだようにそいわれて、茶化されたような気になった。
こんなに不安になるのは過保護過ぎるというだろうか? 確かに……一晩戻らなかっただけだ……。
『そのうち帰って来るわよ。そっか、そう、居ないのね。じゃあ、仕方ないな。風邪にでもしといてあげるから、あんたも普通にしてなさい。あの子が帰り辛くなると可哀想だから』
ね。と念を押されて、分かったと頷いた。
何があったかは、戻ってから話してくれそうなら聞けば良いか。そう、だよな、子どもじゃないんだから……。
負に落ちない自分の気持ちをそう押さえつけて、俺は仕方なく、今日取っている講義を受けるために、学校へ向かうことにした。