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桜の下で君を待つ  作者: 汐井サラサ
第八章:bruise
133/166

―6―

「はぁ……っ……はぁ……っ」


 私は、一生分の幸運を今ここで使い果たしても良い。

 神にでもなんにでも願い出るくらいの心づもりはあった。


 こんなに、力いっぱい走ったことなんてない。

 履いているパンプスが憎らしい。必死に走っているのに、スピードは出ないし、時折、人気のない公園の砂利にヒールが取られる。


 後ろから数人の憎々しい笑い声が聞こえる。

 大通りへ戻る道を絶たれた私は、こちらに走りこむしかなかった。

 全身が総毛立ち頭の芯が痺れた。頭の中で警笛がなる状況というのは正に今だ。じわじわと迫り来る恐怖に目じりが熱くなる。


 意味も分からず、後ろから追いかけられる。

 必死なのに距離が縮まる気がしない。それどころか、距離が狭まってきている気がする。


 恐い、恐い、恐い、恐い


 どくどくと激しい動悸に胸が痛む。

 喉の奥で血の味がする。


 恐い、恐い、恐い、恐い


 ―― ……追いつかれる!


 そう思った瞬間、誰かに背後から突き倒された。


 ゴツッ!


 鈍い音が私の頭の中に響いた。

 園内に植樹されている大きな木に頭から突っ込んだ。萎れたボールのように、身体がバウンドして膝から落ちる。


 ぽち……っぽち……っ


 赤が落ちる。

 跪き、付いた手の甲にも赤い雫が落ちていく。ごんごんっと殴られ続けるような、ひどい頭痛がする。


 脳内回路が今の状況処理に追いつかない。意味が分からない。頭が真っ白だ。

 そんな私の上から、噛み殺した笑い声が響き、がつっと脇腹を蹴られ鈍痛が全身に走る。


「うっ!」


 続けて地を見つめた視界が急に空を仰いだとき、腹部を蹴り上げられた痛みだったことに気が付いた。


「やめ、やめ……やめて……っ!」


 無駄だと知れているような私の言葉に、私を見下ろしていた数人は口元を上げた。


「やめてぇ、だってよ」

「やめるわけねーじゃん、ここまでしといてさ」


 悪魔のような台詞が降ってくる。

 けれどその声色に罪悪感は全く含まれて居なくてまるでゲームでも……楽しんでいるようだ……。


「ひ……っ……っ……!!」


 園内にある外灯にキラリと冷たい光が反射した。


 どんっと無遠慮に私の上に覆いかぶさった青年は、驚きに見開いた私の視線を受けて、天使のようににっこりと微笑む。


 ぴたりと私の頬に触れたのは無機質な刃。


 そして、その笑みを象ったその唇で首筋にきつく吸い付いた。ちりちりと痛みが走り、視界が瞳に溜まった涙で揺らいだ。

 肌が鬱血していることは目で確認しなくても分かる。


 声が出ない。

 恐怖から全身はもとより奥歯がかちかちと震えて、上手くかみ合わない。


 助けを、助けを呼ばないと。

 私は一人じゃない、私は、一人じゃないんだから……私が、この子を助けないと……


「んっ! んんーっ!! んっ!!!!」


 私は力の限り暴れた。

 その度に掴まれた腕は別の男にますます締め上げられる。痛くて指先の感覚がなくなった。

 頬を滑り降りた小さな刃物は、赤の線を刻みそのまま無造作に洋服を切り裂いていく。暴れた私の足が何かに当たった。同時に痛みを堪える声がして


「痛っ!! こっいつ!!」

「ひっ」


 怒声と共に抑えられた足に鋭い痛みが走る。


 砂利の上が血だらけになったのが目に入った。腿から生温かい血液が、湧いて出てきているようだ。とろりと流れていく血潮が外気にさらされてひやりと感じる。


 ―― ……もう……いっそこのまま殺して、どこかに埋めてくれたら良いのに……。


 零れ落ちる涙と身体の各所を襲う痛みと共に、逃げるという行動意識もどこかへ流れていってしまった。

 仮に逃げ出せたとして、このままの姿で逃げて……一体どこへ行くと?

 どうやって助けを求めろと? もう、私には終わりしか待っていない。


 抵抗の力を弱めたためか、腕を押さえつけていた男の力がほんの一瞬緩んだ。


「うぅ……っ……!」


 鎖骨の辺りに滑らされていた舌は、無造作に下着を引き下げられた胸へと進み出ていた。身体中を寒気と憎悪の念が駆け巡った。


 ―― ……かさ……っ


 散乱したバッグの中身が一つ、私の手の中に納まった。


 ―― ……ベルだっ!!


「お前なにをっ?!」


 私が手に握った何かを発見した頭上の男が、それを奪い取ろうと私の手の中からそれを引き抜いた。


 それが良かった。


 突然鳴り響いた、耳を劈くような機械音に彼らは慌てた。

 それまでの連係プレーが嘘のように、あっちこっちにおろおろとしている。


「誰だっ?! なにしてるっ!!」


 その音を聞きつけて誰かが来たのかもしれない。

 懐中電灯の光りが、彼らを照らした。と同時に私の姿も照らし出され、私は何とか座り込み身を縮めた。

 懐中電灯の主が駆け寄ってくる音が聞こえる。

 先ほどまで私に群がっていた男たちは、蜘蛛の子を散らすように散り散りに走り去っていた。


「お前らっ!!」


 走りこんでくれた彼は、私と逃げ去った彼らを交互に見て、彼らを追うのはやめたようだ。追い掛けてどこかにいってくれて良かったのに……私なんて放っておけば、このまま消えてしまえるんじゃないかと思ったのに……。


 だって、こんなに、痛いし……この季節に、こんなに冷たい……。


 僅かばかりの明かりが、私の周りに出来た血溜まりを浮かび上がらせる。これは何かの映画とか、ドラマとか、そんなものだろうか?

 現実と認識するには、余りにも突然、余りにも日常から離れてしまっている。


 最初の額の傷からは今も止まる気配はない。

 暴れるのをやめさせようと切られた足からもとめどなく赤が溢れ流れ落ちていた。


 ―― ……そして……何より……。


「君、君? 大丈夫?」


 なんとか声を落ち着けようと押し殺しつつ、自分の膝が血に染まってしまうのも気にせず私の正面に腰を折った人物は、いったあと声を詰まらせた。


 そして、静かに覗き込みながら、私を私だと確認すると顔色は一変した。暗闇の中でも分かるくらい真っ白になって声を震わせている。


「ぁ、ぁおね?」

「―― ……ゆ……ぃと……く……」


 私は見慣れた顔を見て、ふっと深く呼吸をすると激しい痛みが各所を襲った。


 そして声にならない声を最後に……その場の全てが真っ暗になった。




 ―― …… 夢 ナ ラ 良 カ ッ タ …… ノ ニ ……





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