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あの日の麗華の台詞が俺の中のどこかにひっかかっていたことは確かだ。
でも、だからといって特に気にするような出来事も起こることなく、時間はのんびりと穏やかに過ぎて行った。
「碧音さん。何か食う?」
「う~んっ。杏仁豆腐。白桃も入れてね」
「んー、了解」
―― ……杏仁豆腐、ねぇ?
何か最近こんなんばっかり、いわれてるような気がする。
昨日はワラビ餅とか、牛乳寒とか……身になりそうにないようなもんばっかりだな。ダイエットにでも目覚めたのだろうか?
特に丸くなったとかそんな風には思わないけど、女ってどういうわけか『ダイエット』って言葉好きだよな? 碧音さんは食べる量と体系が比例していないタイプだと思うんだけど、誰かに何かいわれたんだろうか?
そんなことくらいしか思いつかなくて小首を傾げながら、俺は冷蔵庫を開けた。
あ、果物系が底を尽きていた。
「買出し行ってくるけど……行く?」
「ううん、行かない。今日はしんどい」
リビングのソファの影からひらひら~と手の先だけを振ってみせた碧音さんに「じゃ、行ってくる」と一言残して、俺は玄関を出て行った。
―― ……何か隠されてる。
ような気がしてならなかった。微妙に嫌な予感がする。
まぁ、確実な何かもないし
何かあったなら、いうだろ? いう、かな? 碧音さんが。
俺が勉強したことといえば、碧音さんはあんまり「苦」を口に出さない。ということだ。だから、結局「何か」を突き止めるには、俺自身がそれに気がつかなければいけないわけで。
これが洒落にならないくらいの難題になってしまうことは毎度のことだ。
最初のうちは、それは「信用」されていないんじゃないか? とか頼りにならないから、なのではないか? とかも、考えたもんだけど、碧音さんにとってそれは当てはまらない。ということが、分かってきた。
纏めてしまうと、そういう性質なんだ。碧音さんは、生来の苦労性。
「やれやれ」
―― ……生まれながら、までは知らないけど、本当に「損」な性格をしてる。
そう思うと大きな溜息が零れる。
もう少し、もう少しだけ、様子を見よう。
それでも何かおかしいなら、問質しても良いし、それとなくあやに聞いてみても良い。
手にしていた財布をポケットに突っ込んで俺は足を速めた。
***
―― ……バタンッ
というドアの閉まる音を確認して、私は大きく息を吐く。
実際、体調もあまり思わしくない。胃の辺りがムカつくし、吐きそうで吐けない。船に乗ったまま二日酔いになってるみたいだ。
妊娠って、してもそんなに太らないんだな。
逆に減ってしまった体重のことを考えつつ、ほおぅ、と力なくもう一度息を吐いた。
黙っているということも、出来ないこともないんだなぁ。と一人感心しながら、そっとお腹に手を添えてみる。
「まだ、何にもわかんないな」
普段から、生理痛などがひどい日の多かった私はそのせいだといて克己くんをはぐらかしていた。現実、そんな感じだから。
―― ……安定期に入るまで、後1ヶ月。
それまでは油断出来ないよね。と一人力んで、再び吐き気に襲われる。
でも、克己くん。私が話をしたらどんな顔するんだろう? 何かちょっと怖いな。頭の片隅にもそんなこと考えてないだろうな。
私も未だに信じられないし。
もう一度大きく息を吸って、ゆっくり吐き出した。
―― …… ――
「ねぇ。これってこの辺じゃない? 怖いね」
「ん、何?」
克己くんが夕食の準備をしてくれてる間、私はリビングで夕方のニュースを見ていた。
テレビでは、動物園で新しい赤ちゃんの誕生の話とか、便利グッズの紹介などしてたけど、CMをあけたらそんな陽気な話題ではなくなっていた。
「ほら、ここらでしょう? これって、何かね。通り魔事件だって……ええっと、なんか、自転車ですれ違いざま切り付けて……バッグを盗り上げて逃げたんだって」
「それって引ったくりじゃねぇの?」
「―― ……ま。そうともいうね」
折角人が教えてあげてるのに、揚げ足を取るなんてっ! むぅっと眉を寄せたら、少し離れていた声が頭上から降ってきた。
「あぁ。本当だ。気をつけろよ碧音さんとろいんだから」
いつの間にか、傍に様子を見に来ていた克己くんが、にやにやしながらそういった。
誰がとろいのよ! 全く…… ――。
私は気分を害してテレビのチャンネルを変えた。その様子に克己くんは笑いを堪えてキッチンに戻っていく。そして、そんな意地悪をいうのは克己くんだけかと思ったら…… ――
翌朝、通勤途中にいつものように顔を出くわした唯人くんにも同じ様なことをいわれた。
「ああ。昨日のニュースでしょう? 私も見たよ。やっぱり、この辺?」
「ん、あぁ。俺らも、この辺は回ってるけど、気をつけろよ。碧音はとろいから」
―― ……誰かさんと同じこというなぁ。
思わず苦笑した。
いわれて気がついたけど、確かに、そこかしこに制服姿の警察官の人たちも見て取れる。
「おい? ちゃんと自分の身くらい自分で守れよ? 多分、これだけ警戒しとけば、この辺でもう一度ってのはないかもしれないけどな」
「はいはい。了解しました」
私の返答に不服だったのか「全く……」と呆れたような声を漏らして「早く行け」と追いやられてしまった。引き止めたのは唯人くんなのにひどい仕打ちだ。




