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桜の下で君を待つ  作者: 汐井サラサ
第八章:bruise
130/166

―3―

 ***



 その日、あやが連れて行ってくれたのは、覚えのあるワインバーだった。

 どうやら、改装してフランス料理店も兼ね始めたようだ。予約してあったのか、店を潜るとすぐに、店員さんが窓際の一席を案内してくれた。


 割と静かな街路に面しているため、ほっと落ち着ける空間になっている。


 食前酒に舌鼓を打ちながら、あやは今日の私の午前中の行動が気になっていたらしい。まぁ、よく考えたら、滅多なことでは休まなかったし、遅れて出勤することもまずなかったから「何か」あったと思われても仕方ない。


「ちょっと病院に行ってたんだよ」

「え、どっか悪いの?」


 当然の反応が返ってきた。

 大丈夫? というようにあやの瞳が不安に揺れる。心配してくれている気持ちが嬉しい。


「いや、別に悪いというわけじゃなくて」


 今朝のことを思い出して、私は微かに頬が熱くなるのを感じた。ちょっと、ね。といいつつ無意識にも手がお腹に掛かってしまう。

 それから察したのか、あやは「あぁ」と小さく納得したあと「えっ?!」と顔色を変えた。


「うん。6週目らしい」

「え、えぇっ!!」


 いつもの冷静なあやではなくなっていた。

 動揺を隠し切れないのか、手にしていたグラスを取り落としそうになって慌てる。


「ほほ、ほ、本当に?」

「本当に」

「……本当、に……」


 グラスをテーブルに戻し、片手を胸にあて大きく深呼吸したあやはゆっくりと私の目を見つめて、確認を重ねた。

 私は慎重にゆっくりと自分でも確認するように頷く。

 それを確認すると、言葉を失い視線を彷徨わせた。あやの不安や心配がじわりと空気を伝って私のことを包み込む。


「それは、やっぱり」

「当たり前だよ」

「―― ……だよねぇ」


 はぁと吐いたあやの溜息が重い。

 短い言葉から、自分を落ち着かせようとしてるのが手に取るように分かる。それに比べれば、私は聞いたときから案外落ち着いていた。

 手放しで喜べない理由はありすぎる。仕方ないことだと分かってる。


 静かに前菜が運ばれてくる中、妙な沈黙が二人の間に流れた。


「で……」

「―― ……うん?」


 顔を上げたあやは私と視線を合わせると、疑問を投げた。

 あやが何を私に聞きたいのかは分かっていたが、あえて聞き返した。よっとあやは座りなおすと、こほんっと一つ咳払いをした。


「だから、どうするの?」

「もちろん。産むよ」


 私に迷いは無かった。

 きっぱりとした私の台詞にあやは逡巡しそれでも落ち着いて質問を重ねた。


「克己には?」

「―― ……う~ん。まだ、いわない。安定したら話す、かな。隠し通すことは無理だと思うし」

「でも」

「うん。別れても良いの。克己くん、まだ学生だし、そんなことまで背負わせたくはない。でもそのことで、この子を殺したくはないんだよ」


 あやは泣きそうな顔をしていた。

 私のはっきりとした言葉はあやの心配事をますます浮き彫りにさせているんだろう。


「あや。心配掛けてごめんね。でも、分かって」


 思わず縋るような瞳を向けると、ゆっくりと慎重に首肯する。


「私にとって、これはチャンスなの」

「チャンス?」

「私、まだ学生だったときに、卵巣摘出手術を受けていて、その時にいわれたんだけど」

「―― ……」

「自然に妊娠するのは難しいって」


 もう、結構前の話になるけれど、未だにそのときのことは良く覚えている。私は実感なかったけど、真葛さんは泣きそうな顔をしていた。泣きそうな顔で、私に「ごめんね」って何度も謝っていた。その謝罪の意味もそのときの私には分からなかった。


「でも……」

「うん。私の問題は卵巣ではなくて、そこまでの道のりが水道管のように曲がっていて。だから、きっと無理だと」


 私が誰かにこの話をするのは初めてだ。隠す隠さないという話ではなくて、そんな機会普通にない。

 あやは黙って私の話を聞いてくれていた。


「だからもう二度とこんなチャンスないかもしれない」


 一度言葉をきって、大きく息を吸い込んだ。


「私は女なの」


 私の真っ直ぐな視線を受けて、あやは小さく頷いた。

 納得してくれたのかどうなのか今は計れない。それからは、当たり障りの無い会話を繋ぎ、次々に出される料理に手を付けていった。



 ***



 今日は久しぶりに碧音さんから、あやと食事に出かけるとメールが入った。

 バイトの時間がやけに長く感じるそんな中、珍しい奴が入り口を潜って入ってきた。


「こんばんは」


 綺麗な瞳を軽く細めて、麗華はカウンターに座った。

 そういえば、最近こいつに纏わりつかれることもなくなっていたことに今更ながら気が付いた。


「最近どう?」

「―― ……別に」


 俺からおしぼりを受け取りながら、そう訪ねた麗華にそっけなく答える。続けて注文を促した。

 「XYZ」そう答えた麗華に、驚きながらも俺はシェイカーを手に取った。


 平日の今日は比較的少ないというか一人で来る客が多いから静かだ。ゆったりとした時間が店内に流れている。


「克己、風見製薬の娘とは関係があるの?」

「―― ……なんで?」


 すっとコースターを引きグラスを乗せる。


「そう、なら良いんだけど」


 差し出されたグラスを手に取りながら、ぽつりと呟きグラスに口を添えた。そして重ねる。


「関係がないなら、良いんだけど」

「あったらなんだっていうんだ?」

「―― ……」


 執拗に同じ台詞を繰り返した麗華に俺は眉をしかめて聞き返した。

 その言葉に、麗華は視線をさまよわせる。


「別にどうもしない。ただ……」


 一度言葉をきった、麗華はグラスの中身を飲み干した。

 強い酒なのに……とも、思ったが止めるようなことは出来なかった。


 ―― ……ほぅっ


 と、熱い息を吐き、頬を赤く染めた。


「あの子。見た目よりずっと、腹黒いわよ。気をつけたほうが良いわ。何かする力のないものがさせる力を持つと恐いわよ?」

「?」

「それが分からないほど、貴方には馬鹿になって欲しくないものだわ」


 捨て台詞のようにそこまでいうと、静かに席を立ち、麗華は店を出て行った。

 一体、なんだっていうんだ? 確かに、小雪は根っからのお嬢様育ちで世間知らずなところも、あるだろうけど。

 俺はよく分からない、麗華の台詞を理解出来ないまま、その後姿を見送った。



 ***



 店を出ると私たちは静かに歩いた。

 あやは時折何かを考えているのか、小さく溜息を吐いている。そして、いつもの道で帰りを急いでいるとき、何度目かの溜息の後だった。


「碧音」

「―― ……うん?」


 ぴたりと歩みを止めた、あやが私の名前を呼んだ。

 あやの数歩先を歩いていた私は、同じ様に足を止め振り返る。視線のあったあやは微笑んでいた。


「降参」

「―― ……?」


 首をかしげた私にあやは、どうしようもないなという風に肩をすくめた。


「あたしも協力するわ」

「―― ……あや」


 そういって数歩進み出ると、ぎゅっと私を抱きしめた。


「辛くなったらいつでもいうのよ?」

「―― ……うん」

「あんたは一人じゃないわ」


 ―― ……ありがとう……


 そういいたかったのに、私はこくこくと頷くことしか出来なかった。

 大丈夫だといい聞かせた。大人なのだから独りで向き合い独りで何とか出来ると決め付けていた。心に嘘をついていた。

 そのことに改めて気がついた。私は……本当は。不安でたまらなかった。

 まだ結婚もしていない人――しかも相手は学生だし――との間に奇跡的にも授かってしまった。気をつけてはいたんだけど、どこかでどうせ大丈夫というのもあったのかもしれない。その甘さが生んだ結果。そうとも思った。

 だからこそ、私が責任を持たなくてはいけないとも…… ――


 一人じゃない。その一言が涙が出そうなほど嬉しかった。

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