―14―
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いつもの、イタリアンレストランの一室で今日も、一種の賭けのような会は開かれていた。何の変哲もなく自己紹介から始まって、たわいのない話をとめどなくしている。
今、それどころではない私には、そこに集中している場合じゃなかった。
自然と会話も上の空、ワインも手酌になり進みも速くなる。
時折、あやに「大丈夫?」と声を掛けられるのに答える程度で、さほど会話にも混じっていなかった。
するといつの間にか誰からともなく、二次会の話になっていた。
「あや。私、今日二次会はちょっと」
くんくんっとあやの袖を引っ張って耳打ちする。あやは私の方を見てから、暫らく黙って「そう、よね」と苦笑して頷いた。
「分かった。タクシーでも呼ぼうか?」
「大丈夫だよ。そんなに飲んでないし、歩いて帰れる距離だから」
心配そうなあやを後に、私はとりあえずみんなより一足先に店を出た。外の風は意外に冷たく、火照った頬を冷たく撫でていく。
「ふぅ」
店内ではそうでもなかったけど、やっぱりちょっと酔いが回っていたみたいだ。
外に出たとたん足元が怪しい。
参ったな。
これではカッコ悪すぎる。戻れば小雪ちゃんもいるだろうし、これじゃ、駄目なオトナの見本みたいなものだ。
ちょっと、酔いを醒ましてから帰ろう。
レストランの近くの川沿いは整備されていて、綺麗な遊歩道になっていた。そこのベンチででも、座ってれば少しはましになるだろう。そう思った私は、とりあえずそこへ向かった。
こつこつとレンガ道を歩き、丁度人が途切れたあたりのベンチを確保して、街頭を反射する川面を眺める。ここはまだ明るいし、大きな声を上げれば聞こえる程度の距離に人影もある――カップルだけど――だから、まぁ、大丈夫だろ。
あまり時間はない。早く私から切り出さないと。
分かっているのにいざ口に出そうとすると、喉に何か詰まったように上手く言葉が出なくなる。情けない。気がついたらこんなに固執していたなんて。
はたはたと煩い心音に眉を寄せ、はぁと溜息を重ねた。
***
―― ……コンコン
この間の研修のレポートを纏めるため、俺は自室のパソコンの前に座りっぱなしだった。
殆ど、家に戻ってから部屋を出ない俺の部屋をノックしてきたのは他に居ない。碧音さんは今夜遅いのだから小雪だろう。
「克己さん。珈琲淹れたんですけど、飲みませんか? 開けますよ」
ドアを開けに立とうかと思ったが、小雪のことだ。碧音さんのようなことはしないだろう。そう思って「ああ」と返事だけを返したら、思った通り、ちゃんとお盆にカップを乗せて部屋へ入ってきた。普通そうだよな? 思い出し笑いなんてらしくない。でも碧音さんのことを思うとらしくないことばかりしてしまう。
「何だか、たくさん瓶があって、よく分からなかったんですけど。これで、良かったかしら?」
「―― ……ああ、別に良い。あれは碧音さんにしか、分からないからな」
「そう、ですか。じゃぁ、これ、ここに置いておきますね。わたしは、邪魔になったらいけませんから、出ておきます。頑張ってくださいね」
机の上に横に置いてあったコースターの上に、そっと、マグカップを乗せると、静かに小雪は部屋を出て行った。
「やっぱり、普通はそうだよな」
やはり小雪の言動を見てると、あれが普通なのか碧音さんが変わってるのか、ちょっと不思議でちょっと可笑しかった。
碧音さんだったら、絶対カップは二つ、人の気も知らないで、そこのソファにいついてしまうだろうしな。
ちらりと、部屋のコーナーにおいてある誰も座っていないソファを見ながら、俺は小さく笑った。そして、小雪が入れた珈琲を一口呷ったけれど、やはり何かが足りないような気がした。碧音さんは珈琲だけは上手に淹れる。
そう思うと小雪には悪いけれど、碧音さんの珈琲が無性に飲みたくなった。
―― ……もうこんな時間か。
そう思って、ふと時計に目をやると時間を確認したと同時くらいに携帯が着信を伝えた。
面倒臭いなーと思いつつ、もしかしたら、碧音さんからかもしれないとディスプレイを見るとあやだ。ほんの少しガッカリ。けれど、出ないわけにもいかない相手だ。俺は一つ長嘆息してから通話ボタンを押した。
『もしもし、克己?』
「ああ」
『ちょっと、悪いんだけど。碧音を迎えに来てくれない?』
「何? 碧音さん、つぶれたのか? 珍しい」
『いや、そうじゃないんだけど。結構、あの子一人で飲んでたから、普通に今店を出たけど』
なるほど……それが一番怪しいな。
というかそれを告げるあやの声がどこか楽しげに聞こえるのが気に入らない。
「ていうか、お前が連れ出したんだから、最後まで責任持てよ。全く」
『あ~。ごめん。あたし、二次会があるんだよねぇ~。じゃぁ。頼んだわ』
―― ……ぷちん。
「切りやがった」
やれやれ。
どこで飲んでたかくらいいってから切れば良いものを、あやが何を考えているのか俺にはさっぱりだ。ああもう! と苛々していたら次はメールが入った。あやだ。伝え忘れたことを思い出したらしい、場所が書いてあった。
どれだけ酔っていても碧音さんなら、一人で帰って来るだろうけど今はこんな状態だし、放っておいて良いようには思えない。それに、俺自身放ってはおけない……かたんっと立ち上がると素直に迎えに出ることにした。
「どこへ行かれるんですか?」
「あ~。ちょっと、買出し」
よもや、酔いつぶれた碧音さんを迎えに行くとはいえない。
あの店からだと、川沿いでも歩いて帰るつもりだろう。途中で、会えれば良いけれど都合良くいくかな。重い腰を上げた俺は、碧音さんの帰路を予想しながら、付いてきそうな勢いの小雪を無視して家を出た。