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「ああ、そりゃあんたが悪いわ」
―― ……ぶっ!
「ちょっと、きったないわねぇ。噴出さないでよ」
「ごほっ。噴いてないよぉ。ちょっと、むせただけじゃない」
あやの即答に思わず、噴出しそうなのを堪えてむせこんでしまった。なんか入ったらいけないところに入った気がして、涙目になる。そんな目尻を擦りながら、はぁと溜息。
昼休みにオフィスの近くにあるカフェに連れ込まれた私は、あやの尋問にあい、昨日の事件の話しを一通りあやに話した。
「やっぱり、私が悪い……かな?」
「悪いわね。」
「―― ……そんな実も蓋もない」
迷いもない答えに私は脱力感を拭えないでいた。
もう、お昼時だというのに、私のお腹はぐぅともいわない。空腹が訴えてこないなんて、こんなことは滅多にないのだけど。ふ……と息を吐くと視線を下げた。
「大体そんな古風な話、信じるのもどうかしてるわよ。真意を確かめないっていうのもね」
あやは心底呆れたようにそういうと、カップの中身を一口のんで静かに戻すと話を続けた。
「―― ……ま。どっちも、あんたらしいといえば、らしいけど、ね」
「らしい、か。はぁ……。だってねぇ、私、物凄く考えたんだけど……何もないのよ。克己くんのプラスになるようなこと」
「ふぅ~ん……で、その子は何があるわけ?」
「少なくとも、私よりは良いわよ。風見製薬の社長令嬢だし、薬学部への入学も決まってるし」
「風見製薬?!」
あやは余程驚いたのか、思わず声を張り上げた。
でも、あやが驚くのも無理もない話で、風見製薬といえば国内大手企業に名を連ねるほどの大手製薬会社だった。そこのお嬢様が小雪ちゃんで、もともと風見社長と克己くんのお父さんは旧知の仲でとても親しくて、そんな話がお互いの利害関係に伴いあがったらしい。と、聞いたわけだ。
まぁ、一部私の推測も入ってはいるけどわけだけど。
「なるほどぉ。相手にしては不足ないわけねぇ。しかも本人も清楚で淑やかな美人ときたら、」
「―― ……でしょう」
肩書きに妙に納得したあやは小さく頷きながら呟いていた。
「ま。それは置いておいたとしても、今回の問題はそこじゃないわけでしょ?」
確かに、今回はそこじゃない。
そういう人が居たこと、で、揉めているわけじゃない。
知っていて尚、そのことを伏せ一人で抱え込んでいたことを克己くんが怒っていることは分かる。分かってるんだけど、ね。
「そう、だよねぇ。でもね、本当に信じてないとか、そんなんで聞けなかったわけじゃなくって」
「戦う前から尻尾巻いてたわけでしょ?」
「いや、だから、そういうわけでなくってね?」
あやの一言に、わたわたと補足説明をつけようとした私に、あやは声を上げて笑うと話を続けた。
「分かってるわよ。まぁ、大人の分別。みたいなもんね。感情だけで突っ走れないこと……だったわけでしょ?」
―― ……『大人の分別』
そう表現したあやの言葉に私は頷いた。
克己くんよりも私は幾つも大人で、その私がしっかりしてあげないと駄目だと思った。ちゃんと克己くんのためになることを考えてあげないと駄目だと、そう思った。
「それにしても、おかしいじゃない?」
「え……?」
にんまりと私の顔を見据えて、そう問い掛けたあやに私は何をいわれてるのか分からずに、きょとんとしてしまった。
「あ、と。もうこんな時間ね。あたし、昼から会議が入ってるのよ。ほら、社に戻りましょう」
「え? ああ、うん。そうだね」
あやにせかされて、席を立つと店を後にした。
そして、帰る道すがらあやは話を続けた。訳知り顔で、にやつき楽しそうに話す。
「いつものあんたなら」
「うん?」
「その秘書さんに話を聞いた時点で、克己から手を引くんじゃない?……でも……」
いいたいことは分かる。
大人であるし、別れることがわかっているのに、その時点で私は克己くんから離れることが出来なかった。何度も、何度も考えた。終わりを告げれば良いと。そのほうがきっと良いハズだって。
それでも、私はこのときまで迷っている。
「うん……私は、ひかなかった。うん―― ……ひけなかった」
「そう、つまりは、そういうことなんでしょう? だったら、今更遠慮しなくても良いでしょ?」
―― ……ウィィィン。
私たちは、そんな話をしながらオフィスビルの玄関を潜った。
「ううん。遠慮じゃない」
遠慮じゃないんだよ。
そう痛感すると、心が震える。今私に起こっている全てが、とても恐い。
私の声はあやには届かなかっただろう。あやは、同じルームの子に声を掛けられ引きとめられていた。資料を受け取りながら、今日の打ち合わせの内容を引き継いでいるようだ。
あやは忙しい、仕事も、私生活も、これ以上付き合わせるわけにも、行かないか。
「あや、じゃぁ。また今度ね」
小さく手を振ってエレベータのラウンジへ足を進めた。
そんな私を視線で見送ってくれたあやに微かに微笑んだ。