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「大丈夫か。大概のことはやっといたし、冷凍庫に何食分かは冷凍しといたから……それ以外は、何とか出来るよな? あんまし、退屈だったら、あやでも呼んどいて良いから、戸締りはいいとして、火の始末と……えっと……」
「ふふ。大丈夫だよ。ここに来るまではこれでも一応一人でやってたんだから」
出発する間際になって、玄関先でわたわたと言葉を並べる克己くんを、何だか可愛いと思いながら笑ってしまった。
そんな私の顔を見て小さく溜息を吐きながら、克己くんは、すっと手を伸ばし私を抱き寄せる。そして、ぽんぽんと背中を叩いて「無茶すんなよ」と一言付け加えて手を離した。
「克己くんの方こそ、無茶しないでよ。体調も壊さないでね」
にっこりとそういった私に答えるように、切れ長のちょっと冷たそうな印象の瞳を細めて微笑み「ああ」と頷く。
そして、もう一度私を抱きしめて額に軽くキスをして、鼻先が触れ合う距離で視線を絡める。
離れがたくなるからやめとこうと二人で決めたはずなのに、克己くんは私の唇に啄ばむようなキスを、続けて何度も落としたあと、ぐいっと私の腰を引き寄せて深く口付けた。
「―― ……っん……ぅ」
呼吸をするのも惜しいというように、強く口内を犯されて、じわりと目尻に涙が浮かぶ。息を詰め、喘ぐように声を漏らした私に気がついて、克己くんは「ごめん」と短く詫びて離れた。
そんな風に素直に寂しいというような態度を取られると強がっている自分が馬鹿みたいだ。
「直ぐ戻るから」
「うん。気をつけて」
結局、私が用意した大きなスーツケースは不要だと断られ、小さなスーツケース一つ引いて玄関を開いた克己くんを反射的に呼び止めてしまった。
「あのっ!」
「ん?」
顔だけで振り返った克己くんが続きを待ってくれている。何か、何かいわないとっ。
「えっと、その、お土産、待ってるから……」
焦った私は有体の言葉しか思いつかなくて、しょぼしょぼと尻すぼみになってしまう。そんな私を見て克己くんはくすりと少しだけ大人びた笑みを溢した。
「……忘れないよ」
スーツケースについた小さなタイヤが、かたんっと廊下へ出してしまうと、克己くんは扉を支えていた手をひらひらと振った。
支えがなくなった扉がゆっくり、ゆっくりと閉まっていく。
―― ……かちゃん。
と小さな音を立てて、玄関は閉まった。微かに、さっきまでそこに立っていた克己くんの気配を残して……――。
―― ……行っちゃったか。
閉まったドアを暫らく眺めたが、どうこういっても2週間は帰ってこない。私も仕事に行かなくちゃな。
寂しい気持ちを全て吐き出すように、ふぅ、と長嘆息すると私は部屋の中へ戻った。
***
「あいってて」
つい、電話を切ったあと考え込んでたら、俺は妙な体勢で眠っていたようだ。いまいち、座り心地のよろしくない、椅子から立ち上がるとカーテンを上げた。
眼下には輝くネオンが広がっていて、今夜も町は眠りそうになかった。
―― ……RRR……RRR……RR………
そんなことを考えていたら、電話が遠慮気味に鳴っていた。こんな時間に誰だよ。そう思って、無造作に、電話の受話器を上げるとわさわさと雑音に混じって麗華の声が聞こえてくる。
「いつの間にか、いないと思ったら。どうして、先に帰っちゃうの?」
「―― ……何だ。まだ、そんなとこにいたのか。で、何?」
この研修に引き出されたのは、たった十数名だったにも関わらず、こいつも入ってたんだよな。俺はうっとおしくてたまらなかったこの2週間を思って溜息が出た。
「何? じゃないわよ。最後の夜なんだし、終わりまで付き合うのが礼儀ってもんじゃないの?」
―― ……礼儀?
まさか、麗華の口からそんなことを聞くと思わなかった。
研修先の病院の連中はやけに陽気で、今夜も俺達のラストパーティだとか、何とかいって、馬鹿騒ぎをしていた。
そんなものに、最後まで付き合う気なんて俺にはさらさらなかったし、最初から、抜ける気だったため、麗華からそんな風にいわれるのは心外だ。
「しっかり、相手しといてくれ」
受話器の向こうで、まだ何かいっていたが、俺は受話器を置いた。
さて、と、シャワーでも浴びて……休もう……。
そう思って立ち上がると、右手にずっとはめていたブレスレットが、何かに引っかかったのか切れて、ぽとりと、床の上に落ちた。
しまった! と反射的に思い、急に軽くなった右手首を押さえたあと、慌てて落ちたそれを拾い上げる。留め具が馬鹿になっている。ここを交換……したくらいでは、直りそうもない。
別に碧音さんがこれを気にしている風はなかったから、なくなっていても気にしないだろうとは思うけど……あって当たり前のものがなくなると……表現しがたい物悲しさがある。
ふぅっと冷たい風に巻かれたような気がした。
……まあ、物は壊れるものだし、帰ったら一緒に新しいものを探そう……
その程度で片付けて、俺は壊れたそれをサイドテーブルに載せ立ち上がった最初の目的通り、シャワー室に足を運んだ。