この街は、私のいない明日を迎える。
駅へ向かう道は、いつもより少しだけ長かった。
街灯がひとつ灯るたびに、胸の奥で何かがひとつ消えていく。
そんな気がして、歩幅がうまく決まらない。
帰宅を急ぐ人たちの背中は、まるで今日という名前の列車に乗り遅れまいとする影のようで、私はその影の端っこに、もう触れられない。
カフェの窓辺で、誰かがカップを置く音がした。
その小さな音が、「あなたはもう、この街の物語の登場人物じゃないよ」と告げるようで、胸がひりついた。
路地裏の落書きは、いつもと同じ色で、同じ場所にあった。
でも今日は、さようならという言葉の形をして見えた。街が私に気づいて、そっと手を振っているみたいに。
石畳を踏むたび、足音が私の後ろへ落ちていく。
「ここにいた証拠を置いていけ」
私はひとつずつ、思い出を落としていった。
広場では、子供たちが鳩を追いかけていた。
笑い声が空にほどけていく。
その音は、私の知らない未来へ飛んでいく。手を伸ばしても、もう届かない。いや伸ばすこともない。
ベンチの大人たちは、今日を終える顔をしていた。
その表情が、ここで生きる人たちの時間を静かに刻んでいて、私はその時計から外れてしまったことを知っていた。
この街は、私がいなくても続いていく。
その事実が、どうしようもなく優しくて、どうしようもなく寂しかった。
駅のアナウンスが、遠くで震えている。
私は深呼吸をして、胸の奥に残った街の匂いをゆっくりしまい込んだ。
「さようなら」
声に出した瞬間、その言葉は風になって、街のどこかへ消えていく。
私は歩き出す。
振り返らない。
この街は、私のいない明日を迎える。




