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狂う羊  作者: 銀杏玲
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(二)

 僕たちは、秋と冬の狭間の澄んだ空気に牧草の匂いを感じながら、牧草地に建つひときわ際立つ緋色の厩舎群へと足を進めた。葛城羊牧場は、村の羊産業を象徴する大規模牧場で、村人口の約二割がこの牧場に関係する職に就き、村民の雇用をも創出している。

 厩舎群に近づくにつれて、糞尿特有のアンモニア臭も強くなっていたが、そんな臭いを忘れてしまうほど、僕たちは、放牧されている羊の数に圧倒されていたのである。

 「あのあたりだけでも数百頭いるね」

 優雅にのんびりと牧草地に佇む彼らの姿からは、“金ベルトの腕時計の男”など、不穏な雰囲気は何一つ感じられなかったが、黒木はまた別の穿った見方をしていた。

 「じつに優雅だ。この村はあの羊たちが支えているわけか。村民も彼らには頭が上がらないだろう。ヒエラルキーというのは、時として、人と動物の境界をなくして、凄惨な事件を発生させることがある」と言いながら、黒木はカバンから新聞記事の複写を取り出し、「これを見てみるといい」と僕に手渡した。

 それはおよそ30年前に上川地域で起きた羊牧場における事故の記事であった。

 「それは、放牧していた羊が夕方厩舎に戻る際に、数十頭の羊がひとりの飼育員をめがけて猛走し、圧死させてしまった事故だ。時として人と動物のヒエラルキーは逆転する。経験のあるプロの飼育員といえども、飼育されている動物を完全にコントロールすることはできないということだ。優雅さの中にも、恐ろしさが垣間見えるよ。あの厩舎群からはね」

 厩舎群の周りを取り囲む牧草地とその向こうに見える壮大な日本海からは、黒木の言う優雅さの中にある恐ろしさを、微塵も感じることはできなかったものの、僕は、羊たちが優雅に佇むその姿に、どこか物寂しい冷たさが漂っているように思えてならなかったのである。



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