アープルさんはゆるっと最強 ~桃から始まる物語
ポスンとお腹になにか落ちてきた。
「んにゃ?」
あざらし獣人のアープルは、桃の古木の下でお昼寝をしていた。獣化してへそ天の体勢である。お腹を撫でながら周囲を見渡す。眠い目を擦りながらお腹の横を見ると、ピンクの丸いものが転がっている。
「……桃?」
アープルは不思議そうに木を見上げた。やはり葉ばかりで実はひとつも実っていない。この大樹は花は咲かせるが、実はならない。古木だからなのか、他にも理由があるのかはわからない。原っぱに一本だけある桃の木の下は、アープルのお気に入りのお昼寝する場所だ。
「まぁ、いいか。いただきまーす」
「ぴぃ~! お願い食べないで!」
────ポムッ!
桃が手のひらサイズの子どもになった。ふわふわな桃色の髪の毛に、くりくりの若草色の瞳がウルウルとしている。白いシャツに、茶色の膝丈のパンツにブーツを履いている。「男の子かな?」とアープルは思った。
「ここ、どこ?」
「んー? ユルット町だよ?」
桃っぽい子どもは大きな目をさらに大きくした。
「あざらしが喋った!」
「あざらしだって喋るよー。俺はアープル。キミは?」
「ぼく? ぼくは……だれ?」
必死で思い出そうとしている桃っぽい手乗りの少年は、視線をウロウロさせたあと、心細そうにそう言った。
「名前、思い出せないの?」
「うん……」
「じゃあ、モモッチ! モモッチにしよう」
「ももっち?」
モモッチが、小首を傾げてアープルを見上げてくる。
「だって、最初は桃だったから」
「うん。ぼくは、モモッチ。アープルさん、よろしくね」
アープルは、頷くと、獣化を解いて獣人の姿に戻った。
「わっ! アープルさんが人間になった」
「うん、獣人だからね。モモッチ、肩に掴まって」
そういうと、アープルは左肩にモモッチをひょいと乗せた。背中には重厚感のある大剣が下げられている。あざらしの時はなかったものだ。
「アープルさん、大剣はどうやって出したの?」
「んー? そういうもんだよ」
「ふーん」
モモッチは、この世界に生まれ落ちたばかりだ。アープルさんの言ったことは、そんなものかとすんなり納得していく。刷り込みというやつだ。
アープルは大柄だ。大剣を振り回すほどの筋力もある。しかし、ゆるっとした雰囲気で威圧感はない。獣人になったアープルは、肩甲骨まで伸びたあざらし色の髪を緩く結っていて、黒目がちな二重をしている。
「昼寝したらお腹空いたな。子猫亭にご飯を食べに行こう。モモッチ、行くよ」
「うん」
ゆったりとした足取りで歩き出したアープルは町の方に向かった。グーグーお腹が鳴っている。
「アープルさん、桃食べる?」
「モモッチは食べないよ」
「んーん。コレどうぞ」
モモッチは、ポムッと桃を出した。
「モモッチ、桃を出せるの?」
「そうみたい。なんかね、出せるかなって思ったの」
どうぞ、と差し出された桃をアープルは遠慮なく食べた。
「! 甘くて美味しい」
「ほんと? よかった」
アープルは桃をペロリと平らげると、口から種を吐き出そうとする。すると、モモッチが焦ったように両手を差し出した。
「種は、ぼくにちょうだい?」
「? どうするの?」
「んーとね、育てるの」
「育てる?」
アープルは口から種を出すと、服でゴシゴシと拭いてから、モモッチの手のひらにのせた。
「ありがと!」
すると、桃が急に出てきたのと同じように、種も手のひらから消えた。ご機嫌のモモッチに、アープルは「まぁいいか」と思ったのだった。
「マキナ姐さん、お腹すいた」
アープルは、子猫亭と書かれた猫のかたちをした看板のあるお店に入ると、そう言った。
「いらっしゃい、アープル。あら? あなたその肩に乗せてる子は?」
「こんにちは! ぼくはモモッチ。アープルさんが名前をつけてくれたんだよ」
モモッチは、アープルさんの肩の上から、マキナ姐さんに元気に挨拶した。
「こんにちは、モモッチ。私は猫獣人のマキナ。なんでも美味しいものを食べさせてあげるわよ」
はちみつ色をした艶々の髪の毛は緩く巻かれていて、頭には同じ色の猫耳がある。長いまつ毛に縁取られたエメラルドの瞳。唇に引かれた紅が良く似合う。メリハリのあるボディにマキナ姐さんのファンは多い。ただ、ものすごく厳つい旦那様がいるので、常連は誰も馬鹿な真似はしない。
「アープルさん、おろして? ぼく大きくなっていっぱい食べたい」
「大きくなる?」
アープルは、モモッチに言われた通り、床にそっとおろしてやった。するとモモッチは、ポムッ! と音を立てて十歳くらいまで成長した姿になった。
「あらっ!? 本当に大きくなったわ」
「モモッチ、すごいな」
「えへへ。これでいっぱい食べられるよね」
アープルはモモッチの頭を撫でてやると、カウンター席にひょいと持ちあげて、モモッチを座らせる。足をプラプラさせるモモッチの隣に、アープルも座った。
「モモッチは、何でも食べられるのかな?」
「うん、食べる!」
「アープルは、いつものスペシャルメニューね。モモッチには、おすすめランチにするわよ?」
「わーい!」
マキナ姐さんが、モモッチのふわふわな桃色の髪の毛を撫でると、機嫌良く尻尾をゆらゆらさせて厨房へと向かった。
「モモッチ。これから行くあてはあるの?」
「?」
モモッチは首を傾げた。
「あるわけないか。俺ん家に来る?」
「アープルさんのお家? いいの?」
「気ままな一人暮らしだからね。おいで」
「うん! ありがとう、アープルさん!」
アープルが、にっこり頷いているとマキナが二人の前にできたてのごはんを持ってきた。
「おまたせ。今日も美味しくできたわよ」
「わぁー、おいしそう。すごーい!」
アープルの目の前には、ボリューム満点のお肉が置かれた。特に骨付き肉の存在感がすごい。その時、アープルは背後から覚えのある気配を感じた。
「ふむ。今日のおすすめは、ホロホロ鳥のハーブの蒸し焼きか。マキナ、わらわもこれにするぞ」
モモッチのプレートを覗き込んだのは、濡羽色の長い髪と黒曜石のような瞳をした美しい少女だった。
「ユアティーナ陛下、また王城を抜けてきたのですか? 宰相閣下にまた怒られますよ」
「急ぎのものは終わらせてきた。良いではないか。わらわはマキナの料理が食べたいのじゃ」
ユアティーナは、いたずらっ子のように目を輝かせて笑った。
「へーか?」
「おぬし見ない顔じゃな? うむうむ、珍しいのう、桃の木の精か。名はなんと申す」
「モモッチだよ。アープルさんが名前をつけてくれたの!」
「そうか、モモッチか。わらわはカラス獣人のユアティーナ。マターリ王国の女王じゃ。ユティと呼ぶことを許すぞ」
モモッチが少し考えてから口に出した。
「ユティへいか?」
「うむ、それで良い」
当然のように、モモッチの隣に座ったユアティーナに、アープルは少し呆れて注意した。
「陛下、いつものように特別室に行った方がいいと思う」
「今はアープルが居るじゃろう。なんの心配もなかろう」
「ええー」
アープルは少し不服そうだ。食事に集中したいのに、陛下の警護を押し付けられたのだ。まぁ、そもそもユアティーナ自身が強い。護衛も着いてきていただろうに、置き去りにする速さでここに来たのだろう。ようやく追いついたら、ユアティーナは帰る頃だ。ご苦労なことである。
「まあ、いいかー。いただきまーす」
「いただきまーす!」
アープルの真似をして、モモッチも食べはじめた。
「ふわぁ、おいしいね! アープルさん」
「そうだろう? モモッチ、ほっぺについてるよ」
「ふぇ?」
アープルは、モモッチのほっぺについていた食べかすをひょいと拭いとってやると、その指先をぺろりと舐めた。
「うん。ホロホロ鳥もおいしい」
「ねー!」
「まるで、親子じゃのう。うむ、確かに美味じゃ。マキナよ、王城でもう一度働かぬか?」
いつものように、誘うユアティーナにマキナは苦笑して断る。
「陛下、いい加減諦めてください。私はこのお店を離れる気はありませんよ」
「ならば、わらわがこうして食べに来るのも仕方のないことじゃの」
ユアティーナは軽口をいいながらも、食べ方は洗練されていた。アープルはいつものやり取りなので、気にせず骨付き肉にかぶりつく。店内はいつも通りのざわめきに包まれている。ユアティーナがいるのは、常連にとって見慣れた風景なのだ。
「ねー、アープルさん。みんな何をしてるの?」
「んー?」
見ると、常連がマキナに代金を払って出ていくところだった。
「あぁ、お金を払ったんだよ。食べた分はちゃんと払わないとね」
「おかね……僕、持ってない」
モモッチはショボンとする。マキナはアープルの肩をバンと叩いて笑って言った。
「モモッチ、アープルが払ってくれるから心配しなくていいのよ」
「あのね、おかねはないけど、桃なら出せるよ!」
そういうとポボポンッ! と五つ立派な桃が現れた。
「まあ! すごいわ! モモッチは本当に桃の木の精なのね」
「マキナさん。種がね、欲しいの。食べ終わったら貰ってもいい?」
マキナは少し不思議そうにしたが、快く頷いた。
「次に食べに来た時に渡すわ。約束ね」
「うん!」
「よかったなー、モモッチ」
「うん、アープルさん」
そのやり取りをキラキラした目で見ていたユアティーナは、モモッチに頼み事をした。
「モモッチ、わらわにも一つだけ桃をわけてくれぬか? 種を王城の庭に植えても良いかのう」
「ユティ陛下も欲しい? いいよ。種はね、大きくなあれ! ってお願いして植えるんだよ」
「うむ、そうしよう。さて、そろそろわらわも帰るかのう」
ユアティーナがそういうと、店に息切れをした羽のある獣人の護衛二人がやってきた。
「お疲れさま、おにぎりとお茶よ。急いで食べないと、また陛下においていかれるわよ」
マキナに感謝しながら、護衛は急いで食事を終わらせた。それを見計らったユアティーナが「また来る」と言って店を出ると、艶々の黒翼を羽ばたかせて飛んで行く。護衛も必死でそのあとを追った。
「モモッチ、俺たちも帰るか」
「はーい! マキナさん、またね」
マキナにブンブンと手を振った。モモッチがまた小さくなると、アープルは肩に乗せて自宅へと歩き出した。
「アープルさん、あれはなに?」
「んー? あれはドーナツだね。甘くて美味しいよ。モモッチ食べたい?」
「食べたい! 桃と交換してくれるかな?」
「あれくらい、奢ってあげるよ。うちに帰ってから一緒に食べよう」
「わーい」
アープルはドーナツを五個買った。さっきお昼を食べたばかりでも、甘いものは別腹だ。なんなら三時のおやつでもいい。
「ここが俺の家だよ。モモッチもここに住むことになる」
「わぁー!」
中心街から少し離れた、赤い屋根のなんてことのない一軒家だが、裏庭は広いので、アープルは気に入っている。大剣を振り回し、鍛錬をするのに丁度いいからだ。世話になっていた老婦人が息子夫婦との同居が決まって、アープルがそのまま買い取ったのだ。なので、家具は全部揃っている。新しく買ったのは、大きなベッドくらいだ。
「アープルさん! お庭見たい。降ろしてー」
「はいはい、よっと」
床に足が着いたかと思うと、モモッチはポムッ! と大きくなって裏庭に走って向かった。アープルはその後ろをゆったりとついて行く。裏庭の真ん中でキョロキョロしていたモモッチが、キラキラした目である場所を見つけると、アープルに向かってたずねた。
「アープルさん、あそこに桃の種を埋めてもいい?」
「ん? いいよ。待ってて、倉庫からスコップを出してくるよ」
「ありがとう!」
満面の笑みでモモッチはアープルにお礼を言って、井戸から少し離れた場所にちょこんと立った。
アープルは、倉庫からスコップと、老婦人が使っていただろう、オレンジ色のぞうさんジョウロを見つけた。しかも魔力を込めると水が湧く魔導具ジョウロだ。モモッチにちょうどいいだろうと、一緒に持っていくことにする。
「お待たせ」
「アープルさん、それなに?」
モモッチが不思議そうに、オレンジ色のぞうさんジョウロを見つめている。
「あとのお楽しみ。まずは桃の種を埋めよう」
「うん。あのね、ここがいいの」
「それじゃあモモッチ、このスコップを使って」
モモッチがスコップを受け取ると、一生懸命に穴を掘りだした。アープルはそれを見守っている。おそらく、モモッチがこの世界に生まれたことに関係があるのだろうと推測していた。
ユアティーナが魔眼で視て、モモッチのことを桃の木の精だと見抜いていた。自分の名前すらわからなかったモモッチが、桃の種を欲しがり育てるのだと口にしたのだ。それが使命なのだろうとアープルは思った。
「これでいいかな」
「意外と浅いんだね」
「んーとね、たぶんあってると思う」
「そうかー。じゃあ、次はコレ」
アープルは、スコップをモモッチから受け取ると代わりにジョウロを持たせた。
「んー?」
「モモッチ、魔力を流してごらん」
「まりょく……あっ! お水が溜まってきたよ!」
モモッチが目をキラキラさせて、水が溜まったオレンジ色のぞうさんジョウロを見ている。
「種にお水をやる時はこれを使うといいよ」
「うん! 大きくなぁれ! 大きくなぁれ!」
元気よく水を与えるモモッチ。地面がしっとりとすると、モモッチがその場にしゃがんだ。わくわくと地面を見つめていたが、やがて悲しそうな表情になった。
「どうして……? 土に埋めたのに芽が出ないよ。僕が弱いから……?」
アープルは、隣にしゃがみ込むと、泣きそうなモモッチの柔らかなピンクの髪の毛を、くしゃりと撫でた。
「モモッチ、結果はすぐには出ないさ。毎日お水をあげて、種の成長を見守ってあげよう。モモッチの生まれた桃の古木だって、一日であんなに大きくなった訳じゃないよ。何百年も時間をかけてあそこまで大きくなったんだ。焦らずにマッタリいこう」
「アープルさん……うん。僕、毎日お世話する!」
うるうると潤んでいた瞳に、光が宿る。へにゃっと笑ったモモッチをもう一度撫でると、アープルは立ち上がった。
「モモッチ、さっき買ったドーナツを食べよう。ミルクティーも淹れてあげる。おいしいよ」
「うん! 食べるー!」
二人とも手を洗ってから裏口を通って中に入る。モモッチを四人掛けのテーブルに座らせて待っているように言うと、素直に頷いた。
アープルは一応自炊はできる。ただ、一人だと外で食べる方が楽なのだ。アープルお手製のミルクティーを淹れると、ドーナツと一緒にテーブルに持っていく。
「ミルクティーは熱いから気をつけてね」
「うん 」
フーフーと冷ましながら、ひと口飲んだモモッチがふにゃりと笑った。
「おいしい」
「そりゃ良かった。ドーナツもおいしいよ」
「うん」
ゆったりとティータイムを過ごしたあと、二人で夕飯の材料を買い出しに行った。マキナのところに行ってもよかったが、アープルは久しぶりに料理がしたくなった。
なんでも食べると言ったモモッチのために、ロールキャベツをトマトと煮込んだものにすることにした。モモッチが頑張ってたくさん巻いたロールキャベツは、二人でペロリと食べてしまった。
「アープルさん、おやすみなさい」
「おやすみ」
お風呂に一緒に入ってモモッチを洗ってやると、もこもこの泡に喜んでいた。はしゃぎ疲れたモモッチは眠そうだ。アープルは、獣化してベッドで寝転がると、十歳サイズのモモッチが隣に来てコロンと横になった。ベッドのサイズは大きい。余裕で二人眠れる。
今日出会ったばかりなのに、一緒にいるのが当たり前になってしまった。アープルは、気ままな一人暮らしを気に入っていたはずなのに、あっという間に馴染んだ距離感を楽しんでいた。
モモッチの寝息を聞きながら、アープルも目を閉じて眠りにつくのだった。
早朝、気持ちよさそうに眠っているモモッチを起こさないように、アープルはベッドから起きあがった。日課の鍛錬の時間だ。大剣を手にして裏庭に向かう。
ブンッ! と一振り一振り大剣の唸る音が聞こえる。素振りのあとは、型をなぞるように何度も繰り返す。普段はゆるい雰囲気のアープルの周囲がビリビリとした空気を纏っていて、別人のようだ。
アープルはこの時間が好きだ。大好きな大剣と向き合うと、神経が研ぎ澄まされていく。途中で、裏口の階段にモモッチが大人しくちょこんと座ったのも気づいていたが、鍛錬の様子を真剣に見ていたので、そのまま最後まで日課を続けていたのだ。
アープルが、フゥッと息をつくと、パチパチと手を叩く音がする。一気に気が緩むといつも通りのアープルは、モモッチに声をかけた。
「おはよう、モモッチ。よく眠れた?」
「おはよう、アープルさん。うん、ぐっすりだった!」
アープルは汗を拭いながら、モモッチのふわふわな髪の毛を撫でる。目をキラキラさせてアープルを見ていたモモッチが、興奮したように話し出す。
「あのね、すごくかっこよかった。大剣とお話してるみたいだった!」
アープルは、目を見開いて驚いた。大剣と……というか、己との対話をしているところがある。今日の自分の体調や心の乱れなどを見つめている。今日初めて見たモモッチが、そんな風に感じ取れるのは、やはり桃の木の精だからだろうか。
モモッチが、真っ直ぐな若草色の瞳をアープルに向ける。
「僕、桃の種に『大きくなぁれ!』って、自分の気持ちしか言ってなかった。ちゃんと種のお話しも聞かなくちゃいけなかったんだ」
裏口に置いてあった、ぞうさんジョウロを握りしめると、モモッチが種の方へ駆けて行った。アープルは、ゆったりとそのあとをついていく。
埋めた場所がわかりやすいように、石で囲んだ桃の種を埋めた場所に、モモッチはしゃがんで、慎重にジョウロで水を与えている。きっと、心の中で話しかけているのだろう。水をやり終わってジョウロを脇に置いても、しばらく地面をジッと見つめていた。
アープルは、その姿を見守っていた。モモッチは、こくりと頷くと立ちあがってアープルを見あげた。
「僕も種とお話してみたよ『もうちょっと力をためてからね』だって」
「そうか。それじゃあ、モモッチは毎日お世話して待っていてあげようね」
「うん!」
にっこり笑ったモモッチに手招きして、わしゃわしゃと頭を撫でる。キャッキャと楽しそうにするモモッチを連れて家の中へ戻った。身支度を整えると、アープルは言った。
「お腹がすいたね。マキナ姐さんのところに行こう」
「うん!」
モモッチがポムっと小さくなると、アープルはいつものように左肩に乗せて、ゆっくりと歩き出した。
「いらっしゃい……あら! アープル、モモッチ。おはよう」
「マキナさん、おはよう。朝ごはん食べにきたよ」
モモッチがカウンター席に座ろうと、頑張ってもがいているところを、アープルはヒョイと持ちあげて座らせた。朝はメニューが決まっているので、そのまま待っている。マキナが奥から小さな袋を持ってきた。
「モモッチ、約束の桃の種よ。ひとつだけ旦那と食べてみたけど、ものすごく甘くて美味しかったわ。今日の限定スイーツに、使わせてもらうことにしたの。もちろん、モモッチとアープルには味見してもらうからね」
「わーい! ありがとう」
トーストにコンソメスープと目玉焼きにウィンナー。定番の朝食のあと、マキナが、紅茶のシフォンケーキに生クリームと桃のコンポートを添えたものを出してくれた。
「うわぁ! すごくおいしい!」
「ふふ。旦那が喜ぶわ」
マキナの旦那は厳つい姿に似合わず、甘いものが好きだ。なんと言っても王都の有名店のパティシエだったのだ。アープルも、ふんわりとしたシフォンケーキに生クリームをつけて口に運ぶ。紅茶の風味がすごく良い。桃のコンポートもひと口含むと、ものすごくおいしい。アープルの頬が思わず緩む。
「マキナ姐さん、これは最高だね」
「あっ! 今日も僕は桃で払うよ。また、おいしいの作ってね」
「あら嬉しい。旦那にも伝えておくわね」
アープルは、頬にクリームをつけてニコニコしながら、おいしそうに食べるモモッチを見守っていた。
数日後、日課の水やりを終えたモモッチが、嬉しそうにアープルに教えてくれた。
「アープルさん、桃の種がね、もうすぐだよって言ったんだよ!」
「そうか、良かったなー。モモッチが頑張って、お世話したからだね」
嬉しそうに報告してくれたモモッチの頭を撫でながら、残りの種のことをアープルは考えた。
さすがに、自宅の裏庭で全部育てることはできない。でもモモッチなら、自分で世話をすると言い出すだろう。近場でいい所はないだろうか。
「モモッチ、マキナ姐さんのところに行こうか。朝ごはんを食べながら、残りの種を育てる場所の相談にのってもらおう」
「うん!」
「────と、いうことなんだ。マキナ姐さんは、心当たりないかな?」
「うーん、そうねぇ……」
マキナとアープルがそんな話をしていると、常連客のおじさんが、自分の土地の空いているところに埋めてもいいと言ってくれた。礼は実がなったら、お裾分けしてくれればいい。という破格のものだった。
もともと誰かに貸せるなら、土地が荒れなくていいと思っていたらしい。モモッチは喜んで、ポポポンッ! と桃を出すと手渡していた。
アープルはモモッチを連れて、自宅からほど近い果樹園に来ていた。モモッチのためにも近くて良かったと思った。もちろん、アープルも付き添って通うつもりなのだが、遠いよりはいいだろう。
「わぁ、広いね! ここに埋めたら、元気に育つかなー」
「モモッチが、大切に育てるんだ。立派に育つよ」
「うん!」
掘るのはアープルも手伝ったが、埋めるときは、モモッチがひとつひとつ祈りながら、土を被せていく。持ってきた、オレンジ色のぞうさんジョウロで、水を撒いた。
「元気に育ってね」
モモッチはそう言って手を振ると、アープルたちは果樹園を後にした。
その翌日のことだった。アープルの日課の鍛錬をモモッチが見学して、そのあと一緒に裏庭に水やりに行く。
「あっ!」
「おお!」
アープルとモモッチは同時に声をあげた。駆け出すモモッチのあとをアープルはついて行く。
「アープルさん! 芽が出た! 桃の芽が出たよ!」
「よかったなー。モモッチが一生懸命お世話したおかげだね」
モモッチがしゃがみ込んで、水をやりながら桃の芽と話しているようだ。真剣な顔でたまに頷いている。少し落ち込んだ雰囲気に疑問を持ちながら、アープルはモモッチの様子を注意深く見ていた。
「モモッチ、どうしたの?」
「うん……あのね。芽が出たのすごく嬉しいんだよ。でも……」
モモッチが考えながら、一生懸命にアープルに伝えようとしている。アープルは、辛抱強くモモッチの言葉の先を待った。
「この子じゃないの。でも、この子も好きだよ。これからも、ちゃんとこの子のお世話をするんだ」
「……そうか」
アープルは、モモッチの言葉に桃の木の精として生まれた理由は、ただ仲間を増やすだけではないのだと感じ取った。慰めるように優しくモモッチの頭を撫でる。大人しく撫でられていたモモッチが「よし!」と小さく言った。
「アープルさん、他の子たちにお水あげに行きたい」
「いいよ。でも、マキナ姐さんのところで朝ごはんを食べてからにしよう。おなかが空いてると元気が出ないからね」
「うん!」
子猫亭に向かう途中で、モモッチが言った。
「種を集めるのやめる。仲間が増えるのは嬉しいけど、それだけじゃダメだって、気づいたから」
「モモッチ、焦らなくてもいい。ゆるっと頑張ろう」
「アープルさん……。うん、そうするね」
モモッチが、へにゃっと笑った。さっきまでの少し思いつめたような空気が緩んだ気がした。
アープルも笑顔で返して、子猫亭の扉を開くと、マキナの明るい声が二人を迎えてくれる。
「おはよう。モモッチ、アープル。いつもの席に座って待っていて」
「おはよう、マキナ姐さん」
「マキナさん、おはよう」
モモッチが「ん!」とアープルに向かってバンザイする。いつもカウンター席に持ちあげているので、こうするようになった。
この姿が常連客にも癒しになっているようで、みんなニコニコと見守っている。アープルもこのモモッチの姿が可愛いと思っている。ひょいと抱きあげて座らせると、足がぷらぷらしてるのも可愛い。
「モモッチ、桃の種よ」
「うん……ありがとう。マキナさん、あのね、種はもう集めないんだ」
モモッチが、へにゃっと眉毛を下げてマキナに言った。
「あら、そうなの?」
「この種、僕が元気に育ってってお願いするから、育ててもいいよって言う優しい人にあげて欲しいんだ」
「わかったわ。私が、優しい人に声をかけてみるわね」
そう言って、マキナはモモッチの頭を撫でた。マキナもまた、モモッチが落ち込んでいることに気付いたのだろう。チラリと、こちらの方を見たマキナに、アープルは頷いてみせた。
一度、子猫亭から自宅に戻ったアープルとモモッチは、ぞうさんジョウロを持って果樹園に向かった。普段は自分の足で歩きたがるモモッチが、今日は小さくなって、アープルの肩にちょこんと座っている。いつもよりモモッチの口数が少ない。
「モモッチ。今日の桃のヨーグルトムースも美味しかったな」
「うん」
「モモッチの優しい気持ちのこもった桃を使ったから、食べたあとホッとするんだろうね」
「優しい気持ち……?」
モモッチが不思議そうに聞き返す。
「そう、いつも思っていたんだよ。モモッチは、おいしくなあれって、いつも願っているだろう? その優しい気持ちを忘れないでね」
「うん。ありがとう、アープルさん」
その三日後、果樹園の桃の種は元気に芽を出した。しかし、そのどれもモモッチの待っているものではなかったらしい。
「きっと、僕になにか足りないんだね」
「モモッチ……」
「アープルさん、大丈夫だよ。僕、ゆるっと頑張るね」
「えらいぞ! モモッチ!」
「えへへ」
モモッチの頭をくしゃくしゃに撫でてやると、キャッキャと楽しそうな笑顔をみせた。そのことにアープルはホッとして、マキナのところで昼ごはんを食べることにした。
「おお、アープルにモモッチ。先に食べておるぞ」
ユアティーナが、当然のようにそこにいた。
「陛下、また来てたの? この前、宰相にものすごく怒られたって言ってたのに」
「ユティへーか、こんにちは!」
「アープルはうるさいのう……モモッチは可愛いのにな」
ラタトゥイユを食べながら、店に馴染んでいるユアティーナの姿に、アープルだって今更な気はしている。
モモッチが、ユアティーナの食べているラタトゥイユに興味を持って、同じものを頼んでいた。モモッチに好き嫌いはない。野菜も魚も肉も食べる。
「モモッチ。王城に埋めた種だがの、芽が出たぞ。元気な普通の芽じゃった。庭師に研究者、木属性の魔法師がみても同じ見解じゃった」
「うーん、そうなんだ。でもね、大切な子なのは変わらないから、大切に育ててね」
「それは当然じゃ。モモッチはこの世に生まれたばかりじゃ、焦らなくて良かろう」
「ユティへーか、ありがとう。ゆるっと頑張るね」
「アープルに似てきたのう」
そうユアティーナが笑っていると、護衛が到着した。以前より早く、鍛えられているようだ。マキナの差し入れをありがたく食べてから、ユアティーナと帰って行った。
「陛下、また怒られないといいけど」
「怒られたくてやってるんじゃないのかしら?」
アープルとマキナの会話に不思議そうにするモモッチ。
──まさか、あんなことが起こるなどと、この時、アープルは思わなかった。
数日後、モモッチが、芽の出た子たちがかわいいと、すっかりご機嫌になっていた。悩みは吹っ切ったようだった日のことだった。
「アープル殿はおるか!」
「陛下の護衛……? 何があった!」
普段の雰囲気からは、想像できない勢いで子猫亭に飛び込んできた。
アープルも、何が起きたのかと身構える。もしや陛下に何かあったのかと、周囲にも緊張が走った。
「す、スタンピートです! 南の山脈からこちらに向かってきています!」
「南部の騎士団は?」
「現在、交戦中とのこと。如何せん数が尋常じゃないのです。この町も避難を!」
「援軍の到着予定は?」
「空中戦特化の部隊は二時間後にはこちらに到着します。陸の方は夜中になるかと。陛下は先発隊に同行してくるそうです」
アープルは頷くと、ちょうど居合わせた冒険者にギルドへの伝達を頼んだ。マキナが険しい顔で、アープルに尋ねる。
「アープル……あなたまさか」
「マキナ姐さん、モモッチを頼む。撃ち漏らしは冒険者に頼むとしても、援軍が来るまで持ちこたえてみせるよ」
「え、アープルさん、ひとりで行くの……?」
モモッチが、真っ青な顔をして、アープルの袖を引っ張る。
「モモッチ。大丈夫だよ。この町も、モモッチの育てた桃の芽も、もちろんモモッチも必ず守るから」
「まもる……僕も、アープルさんを『守る』よ」
モモッチの両手が金色にキラキラ輝いていく。眩しいくらいの光がおさまったとき、モモッチの手にはキラキラと光をまとった桃がひとつあった。見ているだけで温かい気持ちになる。
「この桃は、アープルさんを『守る』よ。もしもの時は食べてね」
「モモッチ……ありがとう。絶対に帰るから」
「うん! 信じてる。アープルさんは嘘つかないもん!」
アープルは、モモッチをギュッと抱きしめた。モモッチもきゅうっと、抱き返してくる。自分を信じてくれる者がいる。それだけで力が湧く。
アープルは、マジックバッグに大切そうに金色に輝く桃を入れて、戦闘用の防具を身につけた。
「マキナ姐さん、モモッチを頼むね」
「任せておいて! アープルは、全力で暴れてらっしゃいな。リヴァイアサンを討伐して褒賞を貰ったくらいなんだから、今回もなんとかなるわ!」
「ああ! 陛下用の特別室が一番頑丈にできてるだろう。そこにいればいい」
「行ってらっしゃい! アープルさん!」
「モモッチ、行ってくる」
アープルはそう言って頷くと、南の平原へと向かった。途中すれ違う冒険者たちに指示を出して、ユルット町の周囲を固めるように頼む。ギルド長も戦闘準備はできていた。アープルに頷いてみせた姿を見て、アープルはひとり南の砦へと走った。
アープルの技は大技が多い。なので周囲に人がいない方が戦いやすいのだ。もちろん連携もできるのだが、アープルの戦闘スタイルには合わない。騎士団にも誘われた。ユアティーナはアープルの性格を見抜いて、諦めてくれた。
「おぬしにも、わかる時がくるじゃろう」
そう言っていたが、アープルは最近までそれも信じていなかった。
「モモッチ……」
不思議な桃の精霊。あの子に出会って、なんとなくわかってきたのだ。「守る」ということを。
大海原一振流は、あざらし獣人を開祖とした伝統ある流派だ。昔のアープルは強さにだけこだわっていた。弟弟子が増えるにつれて、仮面を被るようになった。面倒見の良い兄弟子として。免許皆伝のときも、師匠に言われた。当然だと思った。
だから、きままな一人旅に出ることにした。弟弟子たちには止められたが、自分より相応しい弟弟子に託して色々な国を見てまわった。
偶然、ユアティーナたちが討伐に苦戦しているところに居合わせて倒すと、ユアティーナに「我が国はマッタリしていて、居心地が良いぞ」と誘われ、そのまま居着いてしまった。本当によい国だと思った。
愛刀「海豹丸」は、リヴァイアサンの報奨で貰ったものだ。銘はアープルがつけた。普段はなんてことのない大剣だが、魔力を通すと美しい海の色に変化する。
南の砦が見えてきた。魔物たちの猛攻に必死に応戦しているのがわかる。アープルは、ドッと砦の天辺まで飛び上がると、大声で伝達した。
「援軍が来るぞ。堪えろ! 俺が前線を押し返す!」
「アープル殿!」
砦の悲壮感が少し和らぐ。先の見えないくらいの魔物の群れだ。よく耐えたと思った。空も曇り、遠くには飛行型の魔物がいるのがわかる。
アープルは、砦の天辺から魔物の群れの中にとび降りた。
ヒュンッと青い円が描かれたかと思うと、そこにいた魔物たちは絶命していた。まるで、いつもの鍛錬のように大剣を薙ぎ払い前に進んでいく。
「よし、だいぶ砦から離れたな。海豹丸、お前の力をみせてくれ」
魔物たちはアープルの強さに気づき少し遠巻きに取り囲んでいる。
「薙ぎ払え! 海豹怒濤絶波刃!!」
大剣を海の嵐のように振り回し、あざらしの魂が宿る猛烈な怒濤の波動を放ち、周囲の敵を巨大な水の刃で薙ぎ払う奥義だ。深海の底へと叩き込む終焉の渦潮に、一帯の魔物は、為す術もなく倒されていく。
「おお……思ったより範囲が広かったな。全力でやらなくてよかった」
なんと言ってもアープルも全力で海豹丸を使う機会がなかったのだ。不謹慎だが、今回はちょうど良い機会かもしれなかった。
「……こんな考えが浮かぶのが、俺の駄目なところなのだろうな」
少し自嘲気味にアープルは呟いた。その瞬間、ふわふわなピンクの髪の毛に若草色の瞳の少年の笑顔が蘇る。
そうだ、あの子は「守りたい」のだ。今回だけではなく、全てから。仮面を被って相手をしていた弟弟子たちへとは違う、心の底から思えた本心だ。
「ここから先には、お前らを行かせられないな」
フォーン──と、大剣が鳴動すると海の色に染まる。続々と押し寄せる魔物たちの動線を断ち切るように振り下ろした。
「堕ちろ! 奥義! 海豹冥界葬送斬!!」
大剣を振り下ろし、あざらしの闇の力を召喚した。大地を切り裂き、冥界の門を開く。魔物たちに次々と、永遠の深海に沈める終焉の裁きを与えた。
「あ……やり過ぎたか? あとで陛下が大地を元に戻してくれるだろう」
底の見えない大地の裂け目に、アープルは少し焦ったが「まぁ、いいか」と思い直した。裂け目に思い留まった魔物の後ろから次々と押し寄せてくる。押された魔物は奈落の底に落ちていく。
もちろん飛び越えて来る魔物もいるので、裂け目を飛び越えたアープルは、魔物の群れの中で大剣を振るって行く。徐々に強い魔物が増えているのを感じる。背後にはかなりの強敵が待っていそうだ。
アープルは、かなり前線を押し返しているが、撃ち漏らしもいる。そこは騎士団と冒険者に任せておこうと思う。
「さて、もう少し減らしておこうか」
アープルは、そう言うと、海豹怒濤絶波刃で薙ぎ払う。先程のような手加減はなしで発動すると、アープルを中心に、周囲は見事に絶命していた。
「やっぱり、海豹丸とは相性がいいな」
アープルは見渡して、そう呟いた。背後から複数の気配を感じる。
「アープル殿!」
ユアティーナ自ら鍛えた有翼人部隊の精鋭が到着した。
「もう少ししたら、空中戦になる。それまでは俺の撃ち漏らしを相手にしてくれないか? 空中戦の時は頼むよ」
「わかりました!」
王国の精鋭部隊が、一介の冒険者の指示を聞いてくれるなんて、にわかには信じ難いだろうが、実はアープルは、リヴァイアサンを討伐した「英雄」として王国で有名だ。ユルット町では、アープルのことを自然に受け入れてくれるので過ごしやすいのだ。
大剣で魔獣を屠っていく姿を頼もしそうに見ていた精鋭部隊も魔物を的確に倒していく。倒しても倒してもきりのないスタンピートの襲撃に、どれほど時間が経ったのだろうか。後衛で、騎士団の到着の報を聞いたアープルと精鋭部隊は、目前に迫った飛行する魔物の集団と相対していた。
「まずは、俺が吹っ飛ばす。あとは頼めるか」
「そのための精鋭部隊ですから!」
「頼りにしてる」
アープルは、精鋭部隊にそう言うと、大剣を上空に向かって斬りあげた。
「貫け! 海豹氷嵐天衝!!」
大剣が海色に輝くと、水が凍りつき、氷の嵐が空に向かって突き上げる。水と氷の融合技だ。いくつもの鋭い氷の矢が、魔獣の急所を次々と貫いていく。
恐れおののく飛翔型の魔物を、精鋭部隊は次々と倒していく。魔物の個体がだいぶ強くなってきている。町の方にも撃ち漏らしが何体も向かっていく。
「元凶はまだか!」
とっくに夜になっていた。魔獣の赤く光る眼が川のように続いているが、最初の時よりも、だいぶ数は少くなっている。ふと、アープルの視線が、少し上向きになる。
「三体か……」
竜種三体。確かに強い。しかし、勝てない相手ではない。精鋭部隊にも視認できているだろう。
「あの三体は俺が引き受ける! 残りを頼めるか?」
「もちろんです。後方にいる奴らも、暇を持て余しているので、ちょうど良いでしょう。アープル殿、お気を付けて」
アープルは、今回のスタンピートで、海豹丸の能力を自在に操ることができるようになっていた。だからわかる。まだ、真の解放は、されていないと。
「さあ、アイツらは、お前の実力を引き出してくれるかな?」
ブンッ! と、周囲の魔獣を小バエでも振り払うかのように、薙ぎ払った。青い軌跡が闇夜に映える。為す術もなく倒されていく魔獣たちにとって、アープルの方が脅威だろう。竜種の一体目がアープルに襲いかかる。
咆哮を轟かせる竜種の迫力に、ニヤリとアープルは笑った。噛み砕こうとアープルに顎を突き立てようとするが、そこにはすでにアープルの姿はない。竜種の上をとったアープルは、ブゥーンという振動音をたてた青白い大剣を、竜種の脳天にスッと吸い込まれるように突き立てる。
断末魔をあげることもできず、そのまま大地に骸となって倒れ込んだ。
「この程度か……。次の奴は、もう少し骨がありそうだな!」
ゴォォォ───ッ!! と、轟音とともに吐き出した灼熱の炎が迫りくる。火属性の竜種だ。アープルは、海豹丸をぐるりと回転させると、海水が螺旋状に渦を巻いた。炎とぶつかり合い相殺していく。
「海豹蒼渦封陣」
炎を防がれた火竜は、怒りの咆哮をあげる。アープルが思っていたより強くない。冷めた目で、つまらなそうに呟いた。
「無に還れ──海豹氷嵐天衝」
無数の氷の刃が堅固なはずの火竜の身体を貫くと、火竜は為す術もなく大地に倒れ込むと動かなくなった。
竜種の最後の一体は、空から襲撃してきた。翼を広げ、細い首とくちばしで、アープルを目掛けて一直線に飛んでくる。
ガキ───ン!
風竜が高速で突進してきたのを、アープルは海豹丸で受け止める。
「速いな。面白そうだ」
アープルはニヤリと笑うと、風竜の翼を狙ったが、素早くかわされた。風竜は速いが、重さがない。何度か同じやり合いをしたあと、上空から両羽を羽ばたかせ竜巻を起こした。
「海豹蒼渦封陣」
アープルは、火竜のときのように、相殺していく。防がれた風竜は怒り、一直線にアープルに向かってくる。
「地に這いつくばれ! 海豹蒼流墜迅牙!!」
水流を牙のように鋭く放ち、翼に狙いを定める。流れの中に加速した水圧の刃が風竜を墜落させた。 風竜の速さを逆手に取って叩き落としたのだ。
両翼を失った風竜が、唸り威嚇するが、アープルには通用しない。
ザンッ─!
アープルは、風竜の首をおとして竜種三体を屠った。
スタンピートは終息を迎えようとしていたが、アープルはまだ終わりではないと肌で感じていた。竜種三体のレベルではない何かがやってくる。注意深く山脈を見つめた。
「あれは────っ!」
ゆらりと陽炎のように揺らぐ輪郭。漏れ出る魔力の圧倒的な威圧感。
「エンシェントドラゴン……黒龍か。伝承では隣国の山に封印されていたはず。混沌と精神攻撃を得意とする、ノクティスカオス」
正直、アープルも魔力をかなり使っていた。この状態で勝てるのか。いや、万全な状態でもエンシェントドラゴン相手だ。
「……やるしかないか」
「アープル殿!」
「相手は精神攻撃を使ってくる。同士討ちは避けたい。このことを陛下に伝えてくれ。俺はやってみるさ」
「しかし……」
「スタンピートもあと少しだ。頼むぞ」
「──っ! ご武運を!」
精鋭部隊もだいぶ消耗しているが、魔獣を倒しながら後退していく。一人は伝令として町に向かった。それを見てから、アープルは前へ進む。
一歩。アープルはぞわりとした。エンシェントドラゴンの間合いに入ったのだ。
『我の前に立ちはだかるか。塵芥よ』
脳内に直接響き渡るノクティスカオスの声音に、アープルの本能が跪きそうになる。海豹丸を地面に突き立て、歯を食いしばる。負けるわけにはいかない。アープルは、目の前に立ちはだかる絶対的な存在を睨みつけた。
『ほう、少しは楽しめるか……。我に視せてみよ』
グワン──ッ
脳を直接揺さぶられるような感覚に、怖気が走る。幼少期から現在までの孤独感が蘇り、アープルは幻影に囚われた────
◇◇◇◇◇◇
「!! アープルさんっ!」
「モモッチ、どうしたの?」
「お願い、マキナさん。外に出して! アープルさんが!」
「モモッチ!」
マキナの静止を振り切って、モモッチは子猫亭の陛下専用の特別室から飛び出すと、外に出た。
閑散とした町並み。聞こえるのは、中央広場に設置されたテントへと負傷者たちを運び込む音と、治療する人達の声。陛下は平原へ指揮を取りに向かったらしい。
まだ夜明け前の暗闇と星空を覆い尽くす分厚い雲に視線を向ける。
「アープルさん、僕がいるよ。一人じゃないよ。僕がアープルさんを守るよ……」
モモッチは、アープルが戦っている方を向いて、祈るように手を組んだ。目を瞑りアープルの無事を祈ると、全身が金色に輝きはじめたのだった。
◇◇◇◇◇◇
暗く長い長い孤独の旅路。その時、アープルの手のひらに、ふわりと柔らかな感覚が蘇った。
「?」
そこにはピンク色のふわふわな髪の毛をした頭が見える。さらに視線を凝らすと、十歳くらいの少年だった。若草色の瞳が、アープルを見て──笑った。
「……モモッチ?」
「アープルさんを『守る』よ」
そうだ、ここに来るときに、モモッチに「絶対に帰る」と約束した。アープルは思い出した。守る。ひとりではないと。
「モモッチ、力を分けてくれ」
アープルは、マジックバッグから金色に光る桃を取り出した。ガブリとかぶりつく。
「──美味いな。力も魔力も湧いてくる」
アープルの身体に力が漲ってきた。海豹丸をブンッ!と振り払うと、幻影が消え去った。
『我が幻影から生還したか。しかしそれだけのこと』
「それはどうかな?」
アープルは、ノクティスカオスの言葉に不敵に笑った。
「俺はひとりじゃない」
フォン── と海豹丸が青白く輝き、刀身が伸びていく。今ならやれる。アープルは確信していた。
「秘奥義! 海豹蒼穹滅翔斬!!」
『まさか、我が消滅するだと!? グアアアァァァァ!!』
アープルは、海豹丸を天空高く振り上げ、アープルとモモッチの想いが宿った青白く輝く衝撃波で、エンシェントドラゴンであるノクティスカオスを粉砕した。雲まで切り裂いた一閃は、大地に青空をもたらした。一筋の光がスタンピートの終息を、みんなに伝えたのだった。
「モモッチ、ただいま」
「おかえりなさいっ! アープルさん!」
アープルは、飛びついてきたモモッチを高く持ち上げた。本当に嬉しそうに笑うモモッチに、アープルは胸が熱くなる。ここが自分の帰る場所なのだと。でも……。
「感謝するぞ、アープル」
「陛下」
「まさか、エンシェントドラゴンを討伐するとはのう。英雄の称号だけでは足りぬ。褒賞は考えておくぞ。マキナが腕によりをかけてご馳走を準備しておる。今日はゆっくり休め。わらわも少しだけ休憩に来たのだ」
子猫亭に入ると、マキナが泣きそうな笑顔で、アープルを迎えてくれた。
「おかえりなさい、アープル。スペシャルメニューにおまけもつけたわよ」
「マキナ姐さん……ただいま」
「僕とユティ陛下は日替わりメニュー!」
「おお、モモッチとおそろいか。良いのう」
いつものように、カウンター席に座ったアープルは、モモッチにお礼を言った。
「モモッチ、ありがとう。モモッチがいてくれたおかげで、俺はエンシェントドラゴンに勝てたんだよ。あの桃も、ものすごく助かったよ」
「よかった。あのね、お祈りしたの。僕がいるよって」
「そうか……あ、そうだ。モモッチに渡さないといけないものがあった」
アープルは、マジックバッグから桃の種を取り出した。キラキラと輝いている。
ユアティーナは、漆黒の瞳でその種を見つめた。
「モモッチ。これじゃな?」
「……うん、わかる。この子だ」
ああ、やっぱりそうか。と、アープルは思った。モモッチが探していたものは、この種だったのだ。
「アープルさん、まだこの子を持っていて。もう少し待って……」
「わかった」
モモッチが困ったような泣きたいような笑顔を見せた。アープルの胸がチクッと痛む。
アープルは、その痛みを隠して、いつも通りのゆるっとした態度で過ごした。幸い、町の被害はなかったらしい。騎士団も冒険者も力を合わせて、満身創痍で守り抜いた。
ユルット町に、普段の賑わいとゆるさが戻ってきた頃の朝のことだった。
「アープルさん、預けていたあの子を出してくれる?」
「……いいよ」
いつものように、モモッチが裏庭の桃にオレンジ色のぞうさんジョウロで、水やりをしていたのを横で見ていたアープルは「とうとうきたか」と思った。すくすくと成長している桃から、二人とも目を離さない。
アープルは、首から下げて、肌身離さず持っていたキラキラ光るの桃の種を、袋ごとモモッチに手渡した。
「お願いがあるの。桃の古木のところに連れてって」
「……うん」
「スコップとこのジョウロも持っていく」
「わかった」
「アープルさん、お腹すいた。マキナさんのところに行こう」
ポムッ! と、久しぶりに小さくなったモモッチは、アープルの肩に乗りたいとねだった。アープルは、普段よりゆったりと歩いて子猫亭に向かう。モモッチが、町並みを目に焼きつけることができるように。
子猫亭で朝ごはんを食べ終わると、モモッチはいつも通りに、マキナに言った。
「マキナさん、またね」
「モモッチ、また来てね」
普段と変わらないやり取り。次は果樹園の桃たちに会いに行った。モモッチが笑顔で水やりをしながら会話しているのがわかる。
「またね!」
「もう、いいのか? モモッチ」
「うん。アープルさん、肩に乗せて」
「いいよ」
向かった先は、桃の古木のあるアープルのお気に入りの昼寝する場所。モモッチと出会ってから足が遠のいていた。
モモッチを降ろすと大きくなって、キョロキョロすると、走り出した。アープルは、その後ろをゆっくりついて行く。
「うん、ここにする」
「……」
モモッチがスコップを受け取ると掘り出したのを、アープルはジッと見つめていた。ふわふわと動くピンク色の髪の毛。触るととても癒されるのだ。
「アープルさん、一緒に埋めよう?」
「……わかったよ、モモッチ」
モモッチの掘った穴に、手渡された桃の種をそっと置いた。指を離すのに一瞬躊躇した。アープルは、覚悟を決めて指を離すと、モモッチと一緒に土を被せた。
「ありがとう、アープルさん」
「……」
モモッチがジョウロで水をまくのを見ていた。
「これで良し……ねぇ、アープルさん」
「……うん?」
アープルは、こちらを真っ直ぐ見つめる若草色の瞳を見つめ返した。正直、この先の言葉を聞きたくない。
「僕、やらないといけないことがあるんだ」
「うん」
「思い出したの。僕はあの古木の次代を育てないと」
「……」
「だからね……アープルさんと、少しだけバイバイしないといけないの」
「毎日、会いに来るよ」
「ふぇっ、グスッ。約束するよ。僕は、必ずアープルさんに『ただいま』っていうね」
「じゃあ、俺はその時に『おかえり』っていうよ」
「うん……大好きだよ。アープルさん」
モモッチの身体がキラキラと光りはじめる。
「俺も、モモッチのこと大好きだよ」
「うん! またね!」
モモッチが満面の笑顔を残して──消えた。
「またね、モモッチ」
アープルは、モモッチと次代の桃の種を埋めた周囲に、石を置いて即席の花壇にした。
しばらく、離れなかったアープルだったが、ゆっくりとした足どりで、その場をあとにした。
──三年後。
アープルは、獣化した姿で若木のそばで昼寝していた。警戒心のないへそ天の状態だ。
後日、アープルは、エンシェントドラゴンを討伐したとして、この古木と若木のある原っぱを、ユアティーナから褒賞として受け取った。「欲のない男じゃ……いや、ある意味贅沢かのう?」そう言って笑った。
それ以来、ほぼ毎日ここに来ては昼寝をしている。アープルの帰る場所だから。
ポスンとお腹になにか落ちてきた。
「んにゃ?」
アープルは、あたりを見まわした。桃の花の時期は終わり、今は青葉が生い茂っている。
おなかの横に、桃が落ちていた。
「……モモッチ?」
期待にアープルの声が少し震える。
「アープルさんっ! ただいま!」
ポムッ! と、十八歳くらいの青年が現れた。ピンク色のふわふわな髪の毛に若草色の瞳。ほっそりとした美しい青年だった。
飛びついてきたのを、アープルは、獣人化してしっかり受け止めた。
「モモッチ、おかえり」
「約束、守ったよ?」
「うん、えらいぞ」
「お話したかった。毎日来てくれてありがとう」
「モモッチ、大きくなったなぁ」
「アープルさんが、毎日お世話してくれたおかげだよ」
ぐぅ~
感動の再会に、不似合いな腹の音が鳴り響く。
「あはは! アープルさん、マキナさんのところに行こう?」
「そうだね。きっと喜ぶぞー」
二人は当たり前のように手を繋いで、子猫亭までの道のりを歩きはじめたのだった。
~完~




