眴の常世の眼
お盆が近づいてきた。
田舎なので、お盆になると親戚が集まって一堂に会したり、当然のことながら墓参りや盆供養で、半数の生徒は家のことで忙しくなる。
マスコット作りも急ピッチで進められていた。
由良姫が水場で作業をしていると、涼やかな声で呼ばれた。
「やあ、藤吉さんだったよね。なんか、雰囲気変わった?」
音楽部OBの篠さんだった。
「あ、どぅも!お久し振りです、その節は…」
篠さんはアッハッハ!と、本当に可笑しそうに笑い飛ばした。
「いやあ…マジであの時は連絡もらって行ってみたら、ビビったよ。ローションまみれでさ」
笑い続ける篠さんに、由良姫はつられて一緒に笑った。
「うん、笑いって、笑うことって、大事だと思うんだよね。アレみたいに、笑い飛ばすしかないことってあるじゃない」
「今、合宿中なんですね」
「うん、俺もさ、自分の学校の合唱部あるんだけど、時々来てるんだ」
篠さんは由良姫の表情から、聞きたいことを読み取って続けた。
「藤吉さんが心配するようなことは起きないよ、当分ね。アレからOBOGで集まって話し合ったんだ。さすがに先生もね、ヤバイって悟ったんじゃない?」
「そうですか、それは良かったです」
篠さんは由良姫の頭をポンポンッとすると、今買ってきただろうスポーツドリンクを渡した。
「あ、ありがとうございます」
「暑いから気をつけてね」
篠さんは手を振って、音楽室の方へ去って行った。
由良姫は糊を作ると、急いでマスコット現場へ戻った。
由良姫はあまりの暑さに、篠さんからもらったスポーツドリンクを一口飲んだ。
「あっ!頼む!半分くれっ!!」
差し出された手に、思わず由良姫は飲みかけのスポーツドリンクを渡してしまった。見ると、ヒロ先輩が思い切りゴクゴクと音を立てて飲んでいた。
「あ、悪ィ!全部、飲んじゃった」
ヒロ先輩は小銭入れを由良姫に投げて渡すと、人数分買ってくるよう頼んだ。
「わあーっ!先輩、あっざーす!!」
ヒロ先輩は面倒見がよかった。
「俺たちラッキーだよな。ヒロ先輩、何かと気ィ遣ってくれるし」
ブロックによっては、口ばかり出すくせに1年に任せきりだったりということもあった。ヒロ先輩は率先してクラスにも声かけていた。お陰でマスコットは順調に仕上がっていた。
「おい、由良!何時だ、今」
「えっと、もうすぐ1時です」
「ゲッ!?悪ィ、また12時過ぎてまった!」
ヒロ先輩は全員に、作業の切りがついたら終わって帰るよう指示した。
由良姫は、切りがつくまで残ってやっていた。
「おい、由良!もういいぞ。おまえって、ほっんとマジメだな」
気がつけば、周りはみんな切り上げて帰っていた。
「あ…」
由良姫は脚立から降りようとして、あと少しのところで急に目の前が暗くなった。
由良姫が次に気がつくと、エアコンの効いた保健室で寝かされていた。
「おっ!気ィついたか。センセーっ!!」
「気分、どお?気をつけなくっちゃ、熱中症なりかけてたわよ」
由良姫は気をつけていたが、どうやら少し頑張りすぎたらしい。倒れた由良姫をヒロ先輩が保健室まで運んだ。
「帽子とかさ、野良仕事するばあちゃんに聞いて、工夫してやったんだけどな」
「今日ちょっと、いつもより暑いからね。お家には連絡したから、もうすぐ迎えに来てくれるはずよ」
保健室をノックする音がして、眴が迎えに来ていた。
「どうも、すみませんでした!!俺がついていながら、こんなことになって」
眴が来るなり、ヒロ先輩が深々と頭を下げて謝った。由良姫は驚いて、ベッドに寝たまま、その光景を見つめていた。
「あ、その子は学祭のブロック長で。藤吉さんを運んできてくれた…」
養護教諭は眴の顔を見るなり余計なことを言うのをやめ、由良姫の容態だけを簡潔に説明した。
「そうですか、お世話をかけました」
「いえっ!俺が悪いんで。もうちょっと…」
「由良姫、自分で自分の体のことくらいコントロールしなさい」
眴が厳しい声で見下ろしながら言った。
それ以上何かを言おうとした柏木浩徳を、養護教諭がそっと止めた。
由良姫は礼を言って頭を下げると、眴に連れられて保健室を後にした。
「先生、どうして、俺のせいなのに」
養護教諭は、ちょうど芥見の近くが実家だった。
「あの子はね、ちょっとね、いろいろあるのよ」
「あのタトゥーみたいなヤツのこと?俺は別に…」
「そういう簡単な問題じゃないのよ。柏木くんも今度ばかりは気安く関わらない方がいいわ」
「なんや、倒れたって?気ィつけなあかんよ」
「風通しええとこで、氷枕して寝てたら」
初音と凛華はせっせと夏休みの課題をやっていた。
「これ1冊丸っと訳せやて、鬼かって思うわ」
ハッと凛華が、しまった!という顔をした。眴が氷枕を作って持ってきたところだった。
「いいんですよ、凛華さん気にしなくても。あとで、お話ししましょうか。由良姫が落ち着いたら」
宇羅彦が由良姫の頰や首を触る。氷嚢を作ると由良姫に渡した。
「私の常世の眼は、いつも閉じています。この眼帯の下で閉じたまま、いつも過ごしています。
初音さんも凛華さんも、ご自身の内のモドキやケガレの祓い方はご存知ですね」
二人は頷いた。それを由良姫と宇羅彦はへえ…と感心した。二人はまだ上手くできなかった。
「私の常世の眼は、人の眼の奥を覗くことでモドキが巣喰う様子や、ケガレによる蝕があるかどうか、視ることができる程度です。
もちろん、外側からモドキがどれだけ巣喰っているか、大雑把にはわかりますが、最近は現世でのモドキの多さから、開けていると私自身への影響が大きくなるので閉じたまま使いません」
「私の常世の眼は、ケガレが変化したり変容する様を見つけることに特化したものです。
先日は、実は閉じていた眼が勝手に開いてしまったんです。それで、一気にケガレの瘴気が眼を通して流れこんできてしまって、妖力を使わざるを得なくなりそうになった、というわけです。すぐに万里依さんが気がついてくれたので助かりました」
「なんやようわからへんねやけど、眴さん鬼化するってこと?」
凛華が、一番聞きにくいことをズバッと切り込んできた。
「そうですね。私自身もなりかけたのは初めてです。常世の眼は、邪視、いわゆる邪眼なんですよ。使ってはいけないものなんです」
「使ったら、どうなるん?いつも視てくれとるやろ、うちのこと」
「由良姫は、奏司さんに似て、耐性は非常に高いんですが、モドキに憑かれやすいんです。仕方がないでしょう。最近はなくなったので安心しています」
「お母さんにもらった藤の花の香水つけて行くもん、いつも祓いに行く時は」
「鬼化には、藤から作った薬が効くって、確か聞いたことあるわ」
凛華が得意げに言った。響家に伝わる薬の知識である。
「そうですね。丸薬は昔からあります。私も持ってますよ。これからは今回のようなことがあるといけないので、必ず持っていくようにします」
「藤には毒もありますから気をつけて下さい」
初音は上手に話題を逸らしていく眴を黙って見ていた。初音は母の唱から、響家の異形には鬼化する者がいることを聞いていた。
鬼化と言っても様々である。眴の鬼化も、もしかすると特殊な能力があっても制御できていないだけなのかも知れない。
今回、眴は閉じていた眼が勝手に開いたと言った。何か視なければならないものがあったのではないだろうか。
それを視たが故に、鬼化しそうになった。鬼化しても妖力でケガレを祓うことはできる。
眴は何か肝心なところを話していないように、初音は感じた。




