水泳部3年沢田美由紀②
まだ父親の四十九日も明けずに、というよりすでに父親が倒れて意識不明で入院中から、叔父は病院の帰りによく家に寄っていたように思う。
この頃は、クラスの女子からイジメが始まっていた。高校3年にもなって、そろそろ受験一本だというのに、不思議なことだった。
美由紀はそういうことすべてに耐えていた。パパ活で始めてセッ○スされ、確か10万もらって、その時はさすがに折半で5万もらって帰った。
そんな記憶だけはクルクル頭を巡るけど、誰ととかイジメのグループのメンバーとか浮かんでこない。
そんな話を思わずチューターの伊藤に話したことがあった。
「私、精神的に何かあるんでしょうか。何か辛い部分だけが抜け落ちるようにないんです」
「僕は医者じゃないから、なんとも言えないけど。辛い記憶を消してしまうことって、あると思うよ。それがいけないことなのかな、沢田さんにとっては」
「そういうわけではないんですけど。忘れてしまっていいってことですよね、多分」
「僕は、そう思うよ」
美由紀は、父親の通夜に伊藤が来てくれた日から、よく些細なことでも伊藤を頼って相談するようになっていた。
それを仲間内の同じチューターの女性が揶揄した。
「伊藤さん、そこそこにしておかないと。まだ奥さんと離婚協議中でしょ」
「ええっ!?あの子は高校生だし。お父さん亡くしたばっかで、不安定だから。仕事だよ、やだなあ」
「世の中、そんなふうに、伊藤さんのようにお人好しばっかじゃないですよ。奥さん見て学んだんじゃないんですか」
「ああ…ありがとね」
世の中には、いろんな人種がいる。人種とは、遺伝学上の、ではない。人の生まれ持つ性質の差だ。
不思議なもので、生まれ落ちた瞬間には無垢なように見える。ところが性根は生まれ落ちた瞬間から、臭いがしてモドキが寄ってくる。それはどうしたものかもわからない。モドキは上手に宿主を探し出す。
もちろん、中には美由紀のように強い者もいた。
美由紀の母親は、そこそこの器量良しでも、取り立てて目立つ存在ではなかった。
それが、結婚してしばらくして、夫が事故で1ヶ月ほど入院することになった。その間に、生来固い人間だった夫の兄が豹変した。
新居の家へ、畑で採れたものを持ってきただけだった。弟の妻はというと、特に何もなく礼を言って受け取っただけだった。
それが、何気に出された茶を飲み、世間話をしていた時のこと。
兄は急に抑えきれない欲望に駆られた。弟の妻は、嫌がりながらも悶えていた。自分の妻では聞いたことのない艶っぽい喘ぎ声に、男は最後までいくところまでいってしまった。それからだった。夫が入院中の女の元へ、夫の兄は通い詰めた。
女のよがりようはたまらなく、年も若くそのくせ艶っぽい。
何か悪いものに取り憑かれたようだった。そうこうするうちに女は妊娠した。
それが、美由紀だった。
女の妊娠がわかった途端に憑き物が落ちたように、夫の兄は遠ざかった。
その後、夫婦の間は仲睦まじかったが子供はできなかった。
小学校の帰り道に、何度か父親の車が叔父の家の前に止まっているのを雄一郎は見た。何か知らないことにした方がいいように思えた。
雄一郎はふと、そんな子供の頃のことを思い出していた。
「親父はまた、悪い虫が動き出したんだな。困ったもんだ」
父親は畑で採れた野菜などを持って、毎日のように美由紀の母の元へ通っていた。
美由紀は、最近家の中が臭く感じるようになっていた。
「なんか最近、魚の腐ったような臭いがすることない?」
「あらやだ。夏だから生ゴミが臭うのかしら。気をつけるわね」
美由紀には、覚えのある臭いだった。パパ活中、こういう臭いの人と会うことがあった。美由紀は吐き気がするので避けていた。
中にはまれに一般人でも、美由紀のように臭いを感じる者がいた。最近この臭いのせいか、よく気持ちが悪くなりオエっとすることはあったが何かを吐くことはなかった。それは美由紀自身には見えていないが、大量のモドキを吐いていた。そのモドキはすぐ近くにいる母親の体内に吸い込まれるように移っていった。
なぜなら、モドキはモドキを呼び、大量に巣喰って早くケガレへと進化するよう仕組まれていた。だからこそ臭いを出し合い呼び合っていた。
今は美由紀の中のモドキを取り込む方が、早く進化ができる。少なからずパパ活で巣喰っていた美由紀の中のモドキはどんどん臭気が強くなる母親へ宿主を乗り換えていた。
「ねえ、美由紀。お母さん…」
「どうしたん?」
「ううん、なんでもない。いってらっしゃい。今日も遅くなるの?」
「うん、そのつもりだけど。なに?」
「ううん、頑張ってるんだね」
美由紀は塾で講義を受けると、そのまま塾の自習室で勉強してから帰ることが多くなっていた。大きな街で会社勤めしている雄一郎は、駅前の本社ビルに移動していた。
「たまにはメシでもご馳走してやるか」
雄一郎は駅のコンコースを塾へ向かって行くと、前から仲よさそうにくっついて歩いてきた美由紀とチューターの伊藤を見た。
「おい、おまえ。こんな遅い時間に妹と一緒にどこへ行くんだ」
伊藤と話がはずんで、美由紀はすっかり帰りが遅くなってしまっていた。雄一郎は二人を呼び止めると、伊藤に食ってかかった。
二人を連れて駅中の喫茶店に入り、雄一郎は伊藤の言い分もそこそこに説教した。特に雄一郎は、伊藤の外したばかりの指輪の跡が気に入らなかった。
「いいか、相手は高校生だぞ、いくら相談が長引いたからって、そこは大人の判断で切り上げるのが常識だろ。おまえ、今から帰ったら、美由紀が家に着くのがいったい何時になると思ってるんだ。田舎の暗い夜道を夜の10時過ぎに歩かせることになるんだぞ」
「お兄ちゃん、ごめんって。これから気をつけるから、今日は許して。ねえ、もう帰ろうよ」
美由紀は地元の街まで雄一郎と電車で帰ってくると、家に電話をした。しかし、なかなか母親は出なかった。雄一郎と一緒にご飯を食べて帰るというと、すぐ了解を得た。
「なんか、お母さんえらそうだった。疲れて寝てたみたい。ご飯食べてきなさいって」
「駐車場に車停めてあるから、どこでも好きな店いけるぞ」
雄一郎は父親が今夜は寄り合いがあると言って出かけたのを思い出していた。
「またか…」
雄一郎は誰にも聞こえないよう、口の中で呟いた。
由良姫と宇羅彦は夕食を食べ終わると、宇宙依からの連絡を待っていた。今夜、隣の市にある街の住宅街で、大きなケガレが生まれるかもしれないという予見があった。
万里依がその家は、前からマークしていた、二人が通う高校の3年生、沢田美由紀の家だった。
しかし、宇宙依はなかなか動く気配がなかった。万里依と動くタイミングを見計らっていた。それは宇宙依が見えている状況が難しいものだという現れだった。宇宙依から電話がかかってきた。
「そこに初音と凛華はいるか?出かける待機しておいて。万里依は例のダンスチームの送迎に出た。そのまま女の子ら送ったら合流することにしたで」
10時になったら、眴が由良姫と宇羅彦、初音と凛華を乗せて目的地まで行くことになった。
どうして全員で向かうのか、由良姫はひどく不安になって落ち着かなかった。何度か水泳部のシャワー室の前で会っただけだった。でも狐のケンを撫でてくれたり、何度も言葉を交わしたことがあった。
そういう顔見知りが、大きなケガレに関係してくるなんて初めてのことだった。




