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由良姫と宇羅彦



 山は、いつもよりやけに静かだった。

 なぜか、鳥のさえずりさえなく、風も止まっている。


「おい、由良、ほんまこっちなんか?」


 狐を抱っこした女子高生に向かって、同じ年頃の男子が尋ねる。


「ウーちゃん、間違いないって、なあケン!」


 狐が小さくケン! と鳴く。


「ほら見い、そこも、あそこも、うちの山に無断で、こんで4個目やん」


 チッと舌打ちしながら、ウーちゃんと呼ばれる男子が、4個目のくくり罠を引き抜いた。


「ケンが足ケガしたんは、コレやって」


「ワイヤーに黒ずんだ跡残っとるわ」


 狐のケンが唸った。


「ウーちゃん、向こうに罠にかかっとる、犬がおる」


 犬は首輪もなく、少しほっそりして茶色い。目がギラギラしている。吠えもせず、こちらを見て低く唸っていた。


「由良、ケンしっかり抱いとらんと!」


 宇羅彦は唸る犬の目をまっすぐ見た。ちょうど眉間あたりに気を飛ばす。

 すると犬は次の瞬間、力がふっと抜け倒れた。それを由良姫が抱きかかえる。


「ひでえことしやがる」


 気を失っている犬の足から罠を取ってやると、傷ついた足の様子を見て一息つく。


「ウーちゃん、どお?」


「由良、お前の方が得意だろ。足治してやれ」


 由良と呼ばれる女子高生は、狐のケンを下ろすと、罠で傷ついた犬の足を両手で包み、あっという間に治した。


「こんで、5個目の罠やね」


「まあ、確かに最近、野犬が多なって目につくけど、コイツはひでえな」


 するともっと藪の奥の方から、人の声らしきものが聞こえてきた。

 よく耳をすますと、年配の男と若い女の声がした。

 男はくぐもったガサガサした声で、静かにするよう言っていた。

 女の声は何かで口をふさがれているのか、言葉にならないうめき声のようだった。


 宇羅彦は重なる人影に向かって、藪の上から地面を蹴った。


「おい、オッさん、なにやっとるんや」


 そう言うと、もう一度地面を蹴った。石が男に当たる。


「うるせえガキだな、ジャマするな!」


 狐のケンが一声鳴いた。


「そうか、おまえも臭うか」


 風が戻らない。

 かわりに、臭いだけが濃くなってくる。


 宇羅彦が構えると、くくり罠を由良姫に預けた。宇羅彦は男を宙に浮かせ持ち上げると、近くの木に向かって放り投げた。

 由良姫が手に持っていたくくり罠で男の両手首、両足首をくくって思い切り引っ張った。


「うぎゃああっっ!!」


 男は身動きできず、宙吊りのまま罵声を浴びせていた。若い女は二人と同じ制服を着た、女子高生だった。


「お父さん!」


 女は思わずそう呼んだが、次の瞬間、切り裂くような悲鳴をあげていた。


 女の体は小刻みに震えていたかと思うと、肩口が不自然に波打った。制服の布越しに黒い染みが浮かぶ。

 それは影のようであって、しかしドロリとした液体のようでもあって、それでいて形を持たない。空気に触れた瞬間、少し痩せる。だがすぐに、熱を求めて伸びる。


「モドキや」


 その黒いものたちは、宙吊りになっている男へと群がった。男の体がミシミシと内側から軋み始める。


「ぎああああああっっ!!」


 男の叫び声がする。本来、見えるはずのないモドキが、気の道に巣食うだけで全身に違和感が走る。

 女子高生の娘の体から漏れ出たモドキが、一斉に男の体を目がけて取り憑こうとしていた。


 それを見た由良姫は呆れて呟いた。


「ぎょうさん、巣食ってはるわ」


 女子高生は、宙吊りの父親が奇妙な形に動く姿に、半ばパニックになっていた。


「いやああああっっ!! 助けてえーっっ!!」


 女子高生が叫んでいると、彼女からもケガレ(モドキ)、通称『モドキ』が山ほど出てきていた。


「コレ、どないしよう。ひとつは証拠で取っとかなあかんな」


 由良姫は、手に持っていた5個目のくくり罠を恨めしそうに見つめた。


「ケンの足、もう少しで千切れるとこやってん、許せんなあ」


 ケーン! と狐が一声鳴いた。


「ンぎゃああああああっっ!!」


 男の手足に縛られた罠が締まる。罠が軋むたび、黒い影が弾かれるように散る。地面に触れた瞬間、それは干からびた。

 男から溢れるモドキは、必死に男の体に戻ろうとする。

娘の女子高生から溢れ出たモドキが、男の方へとどんどん集まっていく。

 男の元に残ったモドキは次々に男の体の中へ入っていった。


「い、い、いや、いやあああああっっ!!」


 女子高生はそのまま走って逃げていった。


「アレ、いいん? 行っちゃったよ」


「あの様子やと、ヤバいかも」


 宇羅彦はあーあ、と言った表情。


 由良姫は男を見て、ゲンナリとした顔になった。男はたんまりとモドキを蓄えていた。

 男はモドキにたかられて、気の道からみるみる気を奪われていった。男の体から、目に見えない何かが持っていかれる。

 影が濃くなり、呼吸の形が崩れ、干からびていった。


 それがケガレ化の一歩手前の姿だった。


「うわぁ、くっさ!! いつもやけど、ほんま鼻曲がるわ」


「由良、そろそろ祓わんと、蝕が終わる」


 宇羅彦は輪紋と響紋で光の玉を作った。由良姫も同じように作った。


「じゃあ…」


「……終わらせるか」


 二人は男の体だったであろう姿めがけて術を放った。二つの紋が重なる。

 一瞬にしてケガレもモドキも祓われた。

 男も、いない。

 ただ、山の空気だけが残る。

 そこに誰かがいた気配だけが、わずかに残った。

 風が、ようやく通り抜けた。

 

 祓い後、由良姫は手に持っていたくくり罠を見つめた。


「……誰やったんやろ」


 由良姫は、視線を地面に落とした。

 宇羅彦が遮る。


「忘れろ。罠は全部始末した」


「あの、逃げた子、どうするん?」


「アレ、うちの制服やろ」


「何日もつかなあ」


「……もたんやろな。あの調子やったら、学校でなってもおかしない」


 由良姫と宇羅彦は何事もなかったように山道を下りていった。


「今夜は麻婆豆腐やって、眴ちゃん言うてた」


「あ、ケンのネズミ頼むん、忘れた」


 ケーン! 狐の鳴く声が山に軽く響いた。


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