悪役令嬢、断罪ルートから農地に転生しました 〜あらすじに殺されかけた私は、今日も設定外を耕している〜
転生悪役令嬢ものに挑戦してみました。感想を下さると嬉しいです
貴族令嬢の朝は、通常、優雅な紅茶と共に始まる。
だがわたしの朝は、耕作用の鍬でミミズをぶった切るところから始まる。
「ちょっとラヴィ、こっちの土、また固くなってるじゃない。どんだけ痩せてんのこの土地」
「そりゃ“設定外”ですからニャ。王都の地図にも載ってないし、読者人気もないニャ」
「うるさいな……ミミズに謝れ」
わたしの名はエレノア・グレイス。かつては帝国第二公爵家の一人娘、いわゆる“婚約破棄される側の悪役令嬢”だった。
そのままいけば、舞踏会で泣き崩れ、白い手袋で頬を叩かれ、断罪され、牢に放り込まれ、断頭台でギロチンだったはず。
ところが、だ。
わたしはその“あらすじ”の途中で目覚めてしまった。
32歳のOL――それも「ラノベ編集者の人格」で。
「いやほんと、まさか自分が構成して手直しした展開の中に転生するとは思わないじゃん……」
頭の中で、もう一人の“わたし”が苦々しくつぶやく。
「婚約破棄イベント、連載だと人気あるんだけどね。ハートマーク飛ぶし、スクロール率高いし……でもさあ、実際にやられたら死ぬよ? 気づいてよね。わたしたち、作者の駒じゃなくて生きてるんだって」
気づいたのは、処刑の夢を何度も繰り返し見たせいだった。
あのとき、夢の奥で「これは物語のテンプレです」ってプレゼンしてた自分の声を聞いた。
ああ、と思った。これはわたしの“好きな話”じゃない。“数字が取れる話”だった。
だからわたしは、舞踏会の直前に逃げ出した。
貴族街を抜け、王都の地図の端を越え、すべての展開からドロップアウトして、そして今。
わたしは、ミミズを切ってる。
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ラヴィは、元・攻略対象の使い魔だった黒猫だ。
つまり、わたしが嫉妬して毒を盛ることになっていた相手のペットである。
「……よくもまあ、そんな立場から一緒に鍬振ってくれるもんだね」
「腹立つ貴族がいなくなってスッキリしたニャ。あいつ、ボクにキャットフードすらくれなかったニャ」
ラヴィは毒舌だが、悪い猫じゃない。畑仕事もこなすし、帰ると玄関でお出迎えしてくれるし、爪もたまには引っ込めてくれる。
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「――エレノア・グレイスは、その日、静かに舞踏会をあとにした。唇を噛み、涙をこらえ、気高き沈黙のなかで、令嬢の矜持を保ちつつ……」
空から、どこか懐かしいような、でも少し古臭いナレーションが降ってくる。
“あらすじの声”だ。ここにはたまに、こうして過去に滑ったエピソードが微調整されて再投稿されることがある。
「……誰か、“そっと再掲載してバズらせたい気持ち”、うっかり漏らした?」
そういうときの声は、ちょっと切ない。卑しくて、健気で、胸にじんわりくる。
たぶん“あの頃の自分を、今なら誰かに読んでもらえる気がして”って、そんなふうな。
「いずれにせよ、あらすじは執行されなかったニャ」
「ま、わたしが逃げたからね」
この地では、地の文も音を立てて崩れていく。
設定にない場所で、設定にない生を、設定にない声とともに。
けれど不思議なことに最近、奇妙な花が咲いた。名もない銀色の花。
肥料はほとんどラヴィの落とし物だ。よく咲いたねって、思わず声をかけたくなった。
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問題が起きたのは、その日の午後だった。
土を掘り返していたラヴィが、異様に澄んだ声で鳴いた。
「来たニャ……メインシナリオが、接続を試みてるニャ」
数分後、空が裂けた。王都からの強制召喚。
空には燦然と輝くアップロード中の読み込みバー。わたしをデータごと回収しようとしてきている!
「エレノア・グレイス! 王子陛下がご要請です!」
「わたし、“農村の片隅で耕して暮らす”タグに書き換えたはずよ!なんで見つかったの!?」
空がきしみ、データの波が逆流するような気配が走る。
絶対読まれないようなタグを設定したはずだった。
"設定資料集が本編"、"用語辞典から書き始めた"、"虫描写注意"、"ヒロイン全員失踪"
けれど、そこに表示されたのは、見覚えのある華美なタグ群だった。
「……“悪役令嬢ざまぁ”、“王太子婚約破棄”、“胸スカ展開”……」
わたしは小さく吐息を漏らす。
ああそうか。わたしは“設定”から逃げたけど、“作者”は、わたしを手放してくれなかったのか。
「作者さん……未練がまし……いや、いいのよ、わかるけど。バズりたかった頃の夢、忘れられないのね」
いや、もしかしたら、作者ではなく、中途半端に放置された物語の夢なのかもしれない。
物語は、数字を求める。エモい展開を、映える罵倒を、読者の反応を。
投稿され、埋もれた数百万の物語たちが、わたしを連れて行こうとしている。
かつてラノベ編集者だった私を、断頭台へと続く道へ。
ラヴィが小さく鳴いた。「行くしかないニャ」
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舞踏会の会場は、もはや見慣れた夢と同じだった。
わたしを囲む貴族たち。中央に立つ、かつての婚約者。
その隣には、正ヒロインが立っている。
「エレノア・グレイス。貴女の嫉妬深い振る舞いにより、わたくしの妹は……」
「ちょっと待った」
わたしは、スカートの裾を踏みながら前に出る。
静かに、一言。
「それ、あらすじで見た。すっごく既視感ある」
ざわつく会場。王子の眉間に皺。読者の好感度低下。
「でも、わたしはそれを耕しちゃったのよ。
ミミズも切ったし、猫と暮らしたし、鍬の握り方も覚えたし。
もう、このあらすじに乗っかる必要なんてない」
「なにを言って――」
「ねえ王子。あなた、自分のセリフ、"自分の意思で喋ってる?"
誰かのタップと、スクロールのために、生きてない?」
空間が、きしんだ。
設定が、ひび割れた。
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破片のように舞う光の粒の中で、王子が何かを思い出しそうな顔をする。
わたしの頭の中で、編集者の声がささやいた。
「……きっと、あの子も怖かったんだよ。『話がウケなくなる』のが」
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翌朝。
また畑を耕している。
あの“イベント”の後、何かが変わったらしい。あらすじの声はもう聞こえない。
かわりに――
「ニャあ……花が、また咲いたニャ」
「ん。今度は、白いのだね」
銀色の隣に、小さな白い花が揺れていた。
わたしは、笑ってみせる。
「ねえラヴィ、この花の名前、つけようか」
「ニャにニャに? “PVゼロ草”とかどうニャ?」
「それ、しんみりしてて良いかもね」
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花が咲く。それは、誰にも読まれなかった物語の一部。
それでも、生きて咲いた。
それで、いいじゃないか。
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夜は、虫と風と、ラヴィのしっぽの音だけ。
焚き火の火がパチパチと跳ね、温もりを分け合っているのは、たぶんこの土地で、わたしたちだけ。
「ねえラヴィ。わたしさ、ほんとは断罪されてもよかったのかもしれない」
「ニャ?」
「だって、“悪役令嬢”ってそういう役回りでしょ。 誰かを愛して失敗して、妬んで、奪おうとして、全部うまくいかなくて。
――なのに逃げちゃった。設定の罰からも、期待の目からも」
「ふーん」
ラヴィが、火の明かりでぬるく光る目をすっと細めた。
「……なら、“罪”の代わりに、耕せばいいニャ」
「耕す?」
「畑でも、話でも、自分のことでも。全部、ニャ」
「……あんた、詩人になったの?」
「違うニャ。猫だニャ」
わたしが鼻で笑ったら、ラヴィは黙って膝に乗ってきた。
いつもなら前足で容赦なくゴリゴリ押してくるくせに、今夜は不思議とおとなしく、まるで湯たんぽみたいに丸くなった。
「……ラヴィ。あんた、なんでそんなに優しいのよ。昔は、毒盛られる予定だったのに」
「ニャに言ってるニャ」
「いや、ほんと、恩赦でも出た? 脚本の都合? “猫溺愛系”タグに書き換えられた?」
ラヴィはしばらく黙っていたけど、ぽつりと、ぽつりと、言った。
「……誰かの“好かれたくて”ばかりで、誰かを“好きになる”こと、忘れてたニャ。
……エレノアは、最初から“自分で好きになる”こと、やってたニャ」
火の粉がふわりと舞う。
たぶん今夜は、読者も、作者も、あらすじの声すらも、見ていない。
だから、わたしは小さくつぶやく。
「……あんたに毒盛らなくて、よかった」
ラヴィが喉を鳴らす。
猫のくせに、泣き声みたいな音で。