第六話 花の日
花の日(リベルテ歴151年 3月)
ふわり。甘い花の香りが、漂う。その香りを吸い込んで、シストはほぉと息を吐き出した。
「いつの間にか、春だなぁ……」
そう呟きながら、空を見上げるシスト。
晴天。美しい青空が広がっている。任務を終えたすがすがしさもあってか、この空気はとても心地よい。眩い太陽の光に目を細める彼は、いつの間にか立派な少年に成長していた。
「俺たちが入団してから十年かぁ……」
彼の隣で呟く少年……エルドも同じくだ。幼げだった子供の頃の面影は大分薄れ、凛々しい雰囲気を纏うようになっていた。
「早いよなぁ」
そう。いつのまにか、二人が騎士団に入団してから、十年が経っていた。
気が付いたら、というのが正解だ。いつも通りの生活を送っているうちに、任務をこなしているうちに、いつの間にか此処まで成長していた。不思議なものだと思って、二人は笑い合う。
エルドはふと、シストの方を見た。そしてまじまじと、彼のことを見つめる。彼の視線に気が付いたシストは不思議そうに首を傾げて、彼に問うた。
「? 何だ、エル」
「背伸びたな、シス」
そういいながら、エルドは軽く背伸びをする。彼は、シストより少し背が低い。そのことに今、気が付いたのである。
「そうか?」
きょとんとしたように瞬きをしているシスト。それを見て、エルドはむぅと唇を尖らせた。
「うー……俺ももうちょっと伸びるといいんだけど」
そう呟きながら彼は背伸びをする。シストはそんな相棒の姿を見て、くすくすと笑みをこぼした。
「まだまだ成長期だろ、伸びるよ、エルも……俺も」
「シスも伸びたら意味ないし!」
もう! とエルドは拗ねたような声をあげる。それを聞いて、シストは愉快そうに笑い声を立てた。
「はぁ……それにしても、さ」
シストはそういいながら、空を見上げる。美しい青空。そこにひらり、と淡いピンク色の花びらが舞っていく。
「こうやって一緒に任務に出掛けるの、何度目になるだろうなぁ……」
しみじみと、そう呟くシスト。エルドはそれを聞いて可笑しそうに笑う。
「そんなの数え切れるはずがないだろ? 十年近く一緒に任務出かけてるだろ」
そういって笑うエルド。シストは〝そりゃそうだけどさ〟と苦笑を漏らした。
「いや、いつもこうやって一緒に出掛けてるからさ……改めて、ずっと一緒に居るんだなぁと思ってさ」
相棒となってから、何年だろう。相棒になるより先から、ずっと一緒に居るのだ。一緒に居ないと落ち着かないと、そう思うくらいに。
「まぁ、それは確かにそうだなぁ……」
エルドも懐かしむように、そう呟く。ふわりと吹いた風が、彼の黄緑色の髪を揺らしていった。
「シスと初めて出会った時はさぁ」
「だからそれは忘れろって」
エルドの言葉にシストは苦笑する。あの日の、あの時のことは忘れてほしい。シストがそういうと、エルドはくっくと笑った。
「まさか初っ端の訓練で剣忘れる奴がいるとは思わなかったよ」
「俺だってあんなミスするとは思わなかったよ……っていうか緊張してたんだよ」
シストはそういいながら溜息を吐き出す。エルドはそれを聞いてエメラルド色の瞳を細めた。
「シスはプレッシャーに弱いもんなぁ……それは未だに変わってないよな」
「……性分、だと思う。エルは逆に何というか、プレッシャーに強いよなぁ……」
彼が緊張したり、それ故に失敗しているところは大して見たことがない。シストがそういうと、エルドは肩を竦めて、言う。
「繕うのが得意なだけだよ……こう見えて結構緊張するときはあるしな?」
「ふぅん……そうなのか」
意外。シストがそういった時、一度、ぶわっと強い風が吹いた。長いシストの髪が風に攫われる。
「いて……っ目に、ごみが……」
シストはそう声をあげて、慌てて顔を伏せる。ごしごしと目を擦りかけたところで、エルドは彼の手首を掴んで、止めた。
「おいおい、擦ると痛いぞ……ちょっと待て」
そういいながらエルドはそっとシストの瞼を指先でなぞる。微かに魔力を感じるから、恐らく彼なりに何とかしようとしてくれているのだろう。
「う、……いてぇ」
小さく声をあげるシスト。
「ん、これで良し、ちょっと瞬きしろ」
エルドはそういう。彼がぱちぱちと瞬きをすると、ゴミがとれたようで、はぁっとシストは息を吐き出す。
「痛かった……」
「よしよし……取れたな? もう大丈夫か?」
そう問いかける相棒に、シストは小さく頷く。
「ん……ありがと、エル」
助かった、という彼を見て、エルドも笑う。それからそっと、シストの長い髪を漉いた。
「それにしても……シス、髪長いな」
エルドはそういいながら軽くシストの髪を弄る。それを聞いてシストはアメジストの瞳を瞬かせて、言った。
「あー……まぁ、姉貴の好みだからな」
「あぁ、お前の姉さん、髪の長い奴が好きだもんな」
俺も伸ばせって何回か言われた、といって笑うエルド。シストはそれに苦笑しながら、言った。
「姉貴はほかの奴相手にもそうなのか……」
そういって笑うと、シストはぐっと伸びをした。それから、エルドの方を振り向いて、言った。
「さ、そろそろ帰るか!」
「ああ、そうだな」
二人は頷きあって、城に向かって歩き出したのだった。
***
「あれ、シスト」
城に戻ったところで、不意に声をかけられた。その声の主は鮮やかな赤髪の少年……アネットで。
自分たちの同期生。彼は他のメンバーより少々早く成長期が来たためにか、シストやエルドよりも背が高い。炎豹という部隊柄もあって、体格も良かった。
「おぁ、アネットか」
「ただいま。アネットも、任務帰りか?」
少し汗をかいている様子の彼。そう問いかけると、アネットは小さく頷いた後、シストに視線を向けた。
「おう、ただいま。あとシス……髪の毛、花ついてんぞ」
可愛いな、などといってアネットはにかっと笑う。エルドは〝え?! 〟と声をあげるシストを見て愉快そうに笑う。
「ふは、落ちないままで帰ってこれたのか」
「! エル、お前が付けたな!?」
さっき髪弄ってた時か! そう声をあげる、シスト。エルドはそれを聞くとくすくすと笑いながら、言った。
「はははは、まさか気が付かないとは思わなかったけどな!」
「あぁあもう! 何でそういうことするかなぁ」
恥ずかしそうに顔を赤く染める、シスト。それをみて目を細めたエルドは、軽く彼の額を小突いて、言った。
「誕生日祝いだよ、シスの」
「……へ?」
唐突なエルドの言葉にシストは驚いたように目を見開く。花を振り落そうとした手も、止めて。それを見て、エルドはふっと笑みを浮かべながら、言葉を紡いだ。
「今日、シスの誕生日だろ?」
そういって首を傾げる、エルド。……いわれてみて、気が付いた。今日は、確かに……シストの誕生日で。
「……すっかり忘れてた」
「だろうと思ったよ」
そういいながらエルドは苦笑する。そして改めて彼の方を見ながら笑いかけて、言った。
「誕生日、おめでとう……相棒」
エルドはそういって、小さく笑った。シストは彼の祝いの言葉にぱちぱちと瞬きをした後、照れくさそうに表情を綻ばせて、頬を引っ掻く。
「……ありがと。何か照れるな」
「はは、顔が真っ赤だ」
アネットもからかうような口調で言う。シストはそれを聞いて唇を尖らせた。
「……そりゃ、照れるに決まってるだろ」
「あははは、良かったな、祝ってもらえて。っていうか、アレだ……ルカはもうパーティの用意してるよ!」
そういって、アネットはシストの腕を掴む。大きく目を見開く彼の手を掴んだままに走り出すアネット。
「ちょっと?! アネット!」
「ほら急げシストー! エルドも遅れんなよー!」
あっという間に遠くなる、アネットとシストの声。それを聞いてエルドは苦笑を漏らしつつ、急いで彼らを追いかけた。
「あの調子じゃあまだ準備中の食堂に突っ込むな」
ルカに怒られる前に止めるか。そう呟くエルドは愉快そうに笑っていたのだった。
―― 花の日 ――
(柔らかな花びらが舞う、そんな日。それは君が生まれた日で)
(俺とお前が出会ってから、どれだけの日々が過ぎただろう? 少しずつ深まる絆は今や、決して切れることのないものとなっていて…)