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第五話 雪の日

雪の日(リベルテ歴148年 12月)

 

 冷え込みが厳しくなった、ある日の朝。けほけほと咳き込む、弱々しい声が部屋に響く。一人身支度を進め、制服の留め具をかけたシストは、ベッドに寝ている相棒の方を見て、声をかけた。


「大丈夫か? エルド」


 問いかけてから、大丈夫なはずがなかったな、と思う。ベッドに寝たままの緑髪の少年は弱々しく咳き込み、ぐったりとベッドに沈んでいるのだから。しかし彼……エルドは気丈に笑って、応じた。


「ん、平気……ごめんな、シス。風邪引くなんて、間抜けだよなぁ」


 そう呟いて、エルドは溜め息を漏らす。薄紅に染まる頬は熱を持ち、吐き出す息も熱かった。

 エルドが風邪を引いた。始めこそ無理に起き上がって支度をしようとしていたのだが、明らかに辛そうな様子を見て、シストがそれを止めたのだ。無理をしたってろくなことはない、周りにも迷惑がかかるから休め、と。エルドもそれをおとなしく聞き入れて、ベッドに潜り直したのだった。


「ちゃんと髪の毛乾かさないで寝るからだよ、エル」


 馬鹿だな、とシストは呆れたように言う。エルドはどちらかと言えば面倒くさがりな方で、風呂上がりに髪を濡れたままにしておくことが多かった。風邪を引くよ、と言うシストの警告もむなしく、こうして風邪を引くと言う結果に至った訳である。


「はは、ごもっとも……」


 シストにじとりとした視線を向けられて、エルドは苦笑を漏らす。今度から気を付けるよ、と言う彼を見て溜め息を吐き出すと、シストはブーツの紐を結び直しながら、言った。


「じゃあ、いってくるから。あとからジェイド様が来てくれるって」

「わかったわかった、はやくいけよ」


 遅れるぞ、といいながらシストに向かってヒラヒラと手を振るエルド。それを聞いてシストは少しムッとした顔をした。


「……はいはい」


 いってきますよーだ、と言ってべっと舌を出したシストはさっさと部屋を出ていく。ぱたん、と閉まるドアを見てエメラルド色の瞳を細めたエルドは、おとなしくベッドのなかに体を潜らせたのだった。


 ***


 今日は、街中の巡回任務だった。だから一人でも大丈夫だろう、と言われてシストは一人で街中の巡回をしていた。

 特に変わったことはない。いつも通りの、一日だ。しかし……シストは、どこか落ち着かなかった。


 賑やかな街。明るい話し声。それを感じながらシストはアメジスト色の瞳を細めた。

 隣を見る。いつもならばいる彼が、居ない。それが何だか酷く、落ち着かない。


「……なぁ」


 声をかけても返事はない。何処か寄り道しようか、という提案に頷く影も。

 彼……エルドは体調不良で休んでいるのだから当たり前のことなのだが、シストにとっては違和感しかない。いつも、何時でも、一緒に居るのだから。

 傍に彼がいないというのは落ち着かない。……彼も、そうなのではないだろうか?


「……早く帰ろう」


 吹き抜けた風に体を震わせて、シストはそう呟く。そして、少し速足で、城に向かったのだった。


 ***


「あぁ、シスト、帰りましたか」


 城に戻ると、シストに声をかけてくる人物がいた。柔らかな緑の髪の男性……ジェイド。それを見て、シストは驚いたように瞬きを繰り返す。


「ジェイド様……どうかしましたか?」

「エルドのことですよ」


 貴方に話があったんです。ジェイドにそういわれて、シストは大きく目を見開く。……エルドに、何かあったのだろうか。


「……どうかしたんですか?」


 思わず、声が掠れた。そんなシストを見て、ジェイドは慌てたように手を振り、言う。


「ああ、そんな深刻な顔をする必要はありませんよ。でも、少し熱が高いので……一人にしておくのが心配だな、と。ある程度回復するまで面倒を見てあげてくれませんか?」


 一人で心細いようだったので。そういって微笑む、ジェイド。シストはそれを聞いて少し、眉を下げた。

 氷属性魔術使いのエルド。熱が高いのはきっと、苦しいだろう。弱った体で一人で寝ているというのは、ジェイドの言う通り、心細いだろうなと、そう思った。

 シストは小さく息を吐き出して、こくりと頷く。


「わかりました」


 部屋に向かいます。そういうシストを、ジェイドが呼び止めた。


「これが薬です。軽く何か食べた後に飲ませてあげてくださいな、嫌がるかもしれませんが……」


 まぁ、貴方ならどうにか宥められるでしょう。ジェイドはそういって、微笑む。

 シストはそれを聞いてくすりと笑うと、小さく頷いて急いで部屋に向かったのだった。


 ***


 そっと、額を撫でられる。ひんやりした手が、心地よい。もっと触れて欲しい。そう思いながらエルドはゆっくりと、目を開けた。


「ん……」


 漏れた声は、少し掠れている。まだ少し、喉が痛かった。

 そんな彼の顔を覗き込んでくる、アメジストの瞳。優しい手の主が彼……シストであることは、エルドにもよくわかっていた。


「エル、大丈夫か?」


 そう問いかける、心配そうなシストの声。それを聞いてエルドは微かに、笑みを浮かべる。


「……おかえり」


 掠れた声で告げれば少し驚いたように目を見開いた後、彼は答える。〝ただいま〟の声にまた微笑んで見せた後、エルドはそっと、手を伸ばした。そのまま、どうした? と言わんばかりに首を傾げるシストの手をそっと握って、エルドは言う。


「夢、見てた」

「夢?」


 驚いたように瞬きをするシスト。エルドはこくり、と小さく頷いて、言った。


「ん……お前と、はじめて出会ったときの、夢」


 お前が忘れた剣を届けた、あの時のこと。エルドがそういうと、シストは目を丸くした。それから、頬を薄紅に染めて、呟くような声でいった。


「あれは、忘れてくれよ、恥ずかしいんだから」


 あの時はうっかりしてたんだってば、というシスト。それを聞いてエルドは苦笑する。


「へへ……シスは抜けてるからな」


 今も変わってないや。そういって笑う、エルド。シストはそれを聞いて深く溜息を吐き出す。そしてくすくすと愉快そうに笑っているエルドの額を撫でて、言った。


「おとなしく寝てろよ……もう」


 触れた額は、やはり熱い。ジェイドの言っていた通り、熱が高いのだろう。そう思いながら、シストは眉を寄せた。

 薬を、飲ませなければならないが……何か、口にしただろうか? 机に食器などはないし、何も食べていないのかもしれない。だとしたら何か軽く食べられるものをもらってくるべきか……


「……シス」


 そんな思考に沈んでいたシストを呼んだのは、彼の弱い声。シストは少し驚いたように顔を上げ、彼の方を見た。


「ん? どうした?」


 そう問いかける、シスト。エルドはそんな彼のエメラルド色の瞳で真っ直ぐにシストを見つめながら、弱弱しい声で言った。


「ここに、いてくれるか?」


 一緒に、と彼は言う。その弱い声に瞬きを繰り返した後、シストはふっと笑みを浮かべた。


 ―― ああ、やはりジェイド様の言う通りか。


 余程彼は、心細いらしい。揺れるエメラルドの瞳を見つめてそう思いながら、わざと揶揄うような声色で、シストは言った。


「……追い出す気か? 此処、俺の部屋でもあるんだけど?」


 彼の発言にエルドは苦笑して、ゆっくりと首を振った。


「違うよ。でも、一緒に寝てたら風邪、うつすかもしれないから」


 別々の方が、良いかと思って。そういうエルドに、シストは笑いかける。そして軽く彼の額を小突いてから、いった。


「そんなの今更だろ。うつったらうつったときだ。そしたら、今度はエルが面倒見てくれればいいよ。だから、馬鹿なこと言ってないでさっさと寝ろよな」


 そうしないと治らないぞ。そういいながら、シストはそっと、エルドの手を握って、ベッドサイドに座った。

 薬も飲ませなければならない、とは思うが……とりあえずは、彼を休ませることが先決だろう。シストはそう思い、此処に留まることにしたのだった。


 何処にも、行かない。そう言いたげな彼の様子を見て、エルドはほっとしたように息を吐く。


「はは、そっか……ありがと、な」


 そう呟くと、彼は目を閉じる。吐き出す呼気はまだ、熱く苦し気だ。


「……エルドがいないと、落ち着かないからさ」


 シストは独り言のように、そう呟く。実際、エルドには聞こえてなくても良い、と思っていた。


「……早く治して、早く一緒に、任務行こうぜ」


 任務じゃなくても良い。日常生活、どんな場面にでも、彼がいないというのは、酷く違和感だから。シストはそう、呟いた。


「……うん、俺も、シスがいないと寂しいから、早く治さないとな」


 そう小さく呟いた後、エルドは静かな寝息を漏らし始めた。

 シストはそれをみて、とりあえず安堵したように息を吐き出す。一先ずは眠ることが、一番の薬だと思うから。


 後で、彼が目を覚ましたらちゃんと何かを食べさせよう。甘いものが好きな彼だから、ゼリーとかなら食べてくれるかもしれない。そうしたら、駄々をこねようが何だろうが、必ず薬を飲ませてやる。

 そう思いながらシストはふぁ、と小さく欠伸を漏らす。いつもより少し体温の高い彼の手を握っていたら、眠たくなってしまった。


「……少し、寝よ……」


 おやすみ。小さく呟いて、シストも目を閉じる。

 目を覚まして、彼が元気になったら、またいつものように一緒に、任務に出掛けよう。

 まだ外では、しんしんと雪が降っている。明日、目を覚ます頃にはきっと、たくさん積もっているだろう。一緒に、雪遊びをするのも良いかもしれない。そんなことを思いながら、シストも眠りに身を委ねたのだった。

 

 

 

 

 ―― 雪の日 ――

(隣にお前がいるのが、当たりまえのことだったから。その〝当たり前〟が傍にない、というのは酷い違和感で)

(だから、早く元気になれよ。そんな優しい声は、何よりも暖かく、心を満たしていく)

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